2011年03月30日

福島第1原発正門前

3月27日日曜日午後、カーラジオの天気予報は晴れ、西の風を伝えた。
陸から太平洋に向かっている、絶好の風向き。この気象条件を待っていた。
原発から40キロの飯舘村での取材を切り上げ、福島第1原発に向かった。
爆発を起こした1から4号機を近くで撮影しようと考えていた。
浪江町を通過すると,放射線量が上がってきた。原発のある双葉町では車内20マイクロシーベルト・時。
13日双葉町役場で測定した時は1000マイクロシーベルトの計測器が振り切れて計測不能に落ちいたが,今回は放射線量が大幅に減っている。
誰もいない町を通り抜け国道六号線を大熊町方面に北上。
原発に近くなるにつれ、放射線量は急激に高くなる。
これより東電敷地内という看板が目に止まったが、正門ゲートは見えない。
松林の中に関連会社の事務所が点在し、一台のマイクロバスとすれ違った。
車中には作業員らしき人たちが防護服を着て乗っていた。
私も防護服姿なので、不信感をもたれることはなかった。
松林を過ぎて開けたところが正門だった。
1号炉から4号炉が展望台から見えると聞いていたので、展望台方面に向かおうとした。
道案内の看板に従って正門ゲートの右の道を入ると、道路が陥没して関連会社と思われる小型トラックが陥没した穴に落ちていた。
原発敷地内にも亀裂や陥没ができたかもしれない。
車では先に行けないので引き返し、正門ゲートの撮影をした。
ゲートの警備員が近寄ってきて「中に入るアポは取っていますか?と聞かれたので、正門ゲートの撮影をしたら帰ります」と答えた。
必死の作業がこの奥の原子炉周辺で、今繰り広げられている、という緊迫感はなかった。

放射線測定器は308マイクロシーベルト/時を計測した。
正門ゲート滞在時間10分間。
13日の双葉町滞在時間のおよそ、10分の一。

周辺の小高い丘から事故炉が見えるところを探したが、原発敷地内の丘と松林に囲まれ、外から見えるところは見つからなかった。
翌日、東電は敷地内でプルトニウム238を検出と発表した。

今週金曜日発売の「FRIDAY」と来週月曜日発売の「週刊現代」に掲載されます。


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posted by M at 20:28| 原発

2011年03月29日

無念のミルク

福島第1原発から40キロにある福島県飯舘村の酪農家長谷川健一さん(58)は「これで全部おしまいだ。いつまで続くのか見通しが全くない。このままでは廃業を覚悟しなければ」と悲痛な気持ちを語ってくれた。
3月21日出荷の停止以来、牛は牛乳を出さないわけにはいかない。
「えさを減らして乳量を減らしているが,普段乳量が多い牛ほど自分の身を削って乳を出そうとするから、ガリガリにやせた、と悲しそうに牛を見つめていた。
朝、搾乳した原乳は近くの畑に捨てられた。目ざといカラスが近くの森で絶好のえさにありつけると、廃棄作業が終わるのをじっと待っていた。
(3月29日福島県飯舘村)
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posted by M at 22:30| 原発

福島第1原発50キロ圏の高濃度汚染

30キロ圏の避難指示だけが汚染範囲ではない。
すでに40キロの飯舘村は汚染が広がっていることが大きな問題になっている。
しかし、もっと離れた50キロの伊達市月舘町の月舘小学校宇付近の地上1メートルでは放射線量はたいした事はないのだが、
住宅の雨樋の下を測定してみると、100マイクロシーベルトを記録した。(3月29
日午後3時20分)
3月15日に同市月舘町布川で高濃度の放射線を計測した。その後空気中の放射線
は減少したものの雨や雪に含まれた放射性物質が屋根に降り積もり、雨樋を伝っ
て集められたものと思われる。
こういった高濃度汚染スポットがたくさんあると思う。
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posted by M at 22:05| 原発

2011年03月27日

飯舘村の土壌汚染

家族だけ自主避難したが牛を飼っているので俺はずっと家にいた。
おれたち年寄りは被曝したって、今更どおって事ねえ、田んぼの土が汚染された。
今年の米作りはどうなるんだ。
一刻も早く土壌の検査をして欲しい」(田んぼは毎時1,578ミリレントゲンの放
射線を出していた。3月27日午12時 福島県飯舘村)
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posted by M at 21:12| 原発

避難所にマッサージの出前

避難所を回って、じっとしているお年寄りにマッサージをして笑顔を振りまいている、整骨院の岩崎健二さんさん。
佐藤 貞美さん(83)の行方不明になった息子が見つからずふさぎ込んでいた。
マッサージを受けて笑顔が戻った。(3月26日 陸前高田市小友町三日市)
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posted by M at 01:43| 地震・水害など

鉄路の柵 JR大船渡線

海沿いを走っていた大船渡線の線路は津波で流され、枕木が柵のようになっていた。(3月26日 脇ノ沢ー小友)
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posted by M at 01:35| 地震・水害など

陸前高田被災地

川原さんのおじいさんが発見された場所で、大阪から犠牲者の供養にとやってきた僧侶が、卒塔婆をたてて、供養してくださった。
祖母と母親が行方不明のままだ。地域の消防団で連日,犠牲者の捜索に当たっている。
川原さんの顔には疲労が色濃く、体力の限界に達している。(3月26日 陸前高田市小友町三日市)
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posted by M at 01:16| 地震・水害など

2011年03月24日

今日から福島、宮城、岩手の取材向かいます。

あすから岩手、宮城、福島の取材に行きます。
岩手や宮城の被災地ではネット接続できない事が多いと思います。
ブログの更新はネットに繋がったところでおこないます。
posted by M at 01:24| お知らせ

2011年03月22日

福島第1原発付近住民の被曝検査

二本松市男女共生センターでは住民の被曝の検査をやっている。
双葉町住民や大熊町の住民が心配そうに検査の順番を待っていた。
会場外では自衛隊の科学防護隊が除洗作業を行っていた。{3月16日}_TM20670.jpg
posted by M at 18:58| 原発

福島第1原発の被災者

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田村市総合体育館には原発のある大熊町から逃げてきた人たちが避難していた。(3月16日)
「お茶菓子と貴重品だけもってバスに乗ってしまった。次の日に帰れると思っていたから。ペットの犬は室内のゲージに入れてきた。もう死んじゃったかもしれない。」と肩をおとして「かわいそうなことをした」と目頭を押さえた。
チェルノブイリ原発事故の時、四キロ離れた原発労働者の町プリピャチの人たちも「明日帰る」と言われて、着の身着のままで避難した。あれから25年が過ぎても人が住める状態ではない。
お年寄りが医者に行きたいがガソリンもない、何とかして欲しいと訴えた。
posted by M at 18:48| 原発

「覚悟はしています」福島原発・作業員の証言

OurPlanet-TVで3月13日に、福島第一原子力発電所そばまで取材に入った日本ビジュアルジャーナリスト協会((JVJA)のメンバーによる報告第2弾。
http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/921

3月11日の地震発生当時、福島第一原子力発電所の建屋の中で計器類のメンテナンス作業をしていたTさん(27歳)。
第一原発のある大熊町(おおくままち)出身の彼は高校卒業以来、その原発の中で毎日働いてきた。
地震発生後に一時待機命令が出て、彼は家族とともに避難所生活を送っている。
地震発生当時、何が起きて何を思っていたか。
そしていま何を考えているのかを聞いた。

取材:森住卓(JVJA)/山本宗補(JVJA)
撮影:綿井健陽(JVJA)
聞き手:白石草(OurPlanetTV)

posted by M at 17:51| 原発

2011年03月19日

津波 気仙沼レポート1 孫への土産

3月17日午前。宮城県気仙沼市に入った。
港が見える高台に上ると町の全景が見えた。息をのんだ。
すべてが失われている。
340トンの巨大な船が港からはるかかなたに打ち上げられている。先日まで燃え続けた火災はすべてを灰にした。地震、津波、火災。昔「地震、雷、火事、親父」と怖い物の順にたとえられたが今は「地震、原発、津波、火事」だ。
気仙沼の町はイラクやアフガン、コソボ、レバノンなどの戦場で見た破壊された風景とは規模内容が全く違う。

町内会の防災係だった五島正登(65)さんは地震発生後すぐに町内の人たちを安全な高台に避難させた。近くの缶詰工場から流れ出た缶詰を拾って孫へのお土産だといった。何もかもない。水、灯油、食糧、衣類、何もかもない。すぐすべての支援を。

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posted by M at 21:12| 地震・水害など

汚染の広がりには気象条件地形などが影響する。

福島第一原発から出た放射性物質の微粒子は空気中を浮遊し、風に乗って遠方まで運ばれてゆく。コンパスで円を描いたように半径20キロや30キロ圏内が均一に汚染されるわけではない。風向や強さなどの気象条件、さらに地形などの影響もうける。さまざまな条件によて汚染の広がりは決まってくる。3月16日にUPした3月15日の伊達市月舘町布川で測定した放射線の値が高かったのは上記のような条件が重なって、福島第一原発から58キロの地点まで運ばれたと思われる。
posted by M at 02:03| 原発

ブログ訂正のお知らせと放射線測定値

2011年3月16日UPのブログで
1、「飯館村」と記した地名を「伊達市月舘町布川」に訂正させていただきます。
2、我々が測定したは伊達市月舘町布川は福島第1原発から58キロ(グーグルアースによる測定)の地点でした。
「福島第一原発から58キロ離の地点だ。」に追加訂正させていただきます。
posted by M at 01:36| 原発

2011年03月17日

福島第一原発作業員へのインタビュー

3月16日
福島第一原発のある大熊町の人々は現在いくつかの避難所に避難している。
その中の一つで、大熊町在住で福島第一原発のメンテナンスをしている人にインタビューを行った。(匿名で後姿だけ撮影、音声を変えることを条件にインタビューに応じて下さった。)

 「地震発生時には施設内にいましたが、発生後すぐに屋外に出ました。その後、施設内の事務所に全員集まり、私は自宅待機を言い渡されました。避難指示後、家族とここに避難してきました。
もし招集がかかれば私も当然行きます。それが私の仕事ですから。その時は最悪の事態も覚悟しています。現在、施設内では千人から数百人が決死の覚悟で作業をしています。今後、この原発事故をどう収拾させることができるかは誰にもわかりません。最悪の事態も考えられます。炉心溶融も考えに入れておかなければならないと思います。」

現在は地元出身者以外で作業をしているとのこと。彼らの決死の作業に数百万の命がかかっている。彼らは、これまで安全だと言い続けてきた政府や電力会社の尻拭いをさせられている。
(本日はネット環境の関係で写真を掲載できません。)
posted by M at 09:35| 原発

2011年03月16日

福島第一原発から58キロ地点の伊達市月舘町布川2

ものすごい汚染を知った食品店のおばちゃんは、すぐに店のシャッターを下ろして避難すると言っていた。
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posted by M at 07:49| 原発

福島第一原発から50キロ地点の伊達市月舘町布川

宿にしていた三春町に戻る途中の伊達市月舘町布川で念のため放射線を測定した。
第一原発から50キロの地点だ。
驚いたことに東京の数百倍の放射線を出していた。放射線測定機を持ってきた広河隆一さんは「現在のチェルノブイリ事故機の横で測った時よりも高くなっている」と語った。
測定中に集まってきた住民に知せて、すぐ避難したほうがいいですよ、と伝えた。
(3月15日16:30)
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posted by M at 07:47| 原発

「原発爆発爆発この先立ち入り禁止」の看板

避難指示が出された双葉町方面に向かう道路が封鎖されていた。
ときどき、住民が封鎖地域内から避難していった。すでに、この地点も東京の数
百倍の放射線を出していた(3月15日12時50分)
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posted by M at 07:40| 原発

2011年03月13日

福島第一原発 JVJA DAYSJAPAN プレスリリース

森住卓を初めJVJA福島原発取材班はプレスリリースを発表しました。

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三月一三日午前10時20分、双葉町役場玄関付近で放射線を計測。
三台の機器を使用(GEIGER COUNTR DZX2は1000マイクロシーベルト/時以上,VICTOREEN 209-SI10ミリレントゲン/時以上,MYRate PRD-10/19,9マイクロシーベルト/時)
すべての測定器が振り切れた。
10時30分頃 双葉町厚生病院玄関前でもすべての計測器が振りきれた。国道288号線を双葉町に向けって多くの人々が自宅に向かっていった。
すべての住民が双葉町の高汚染について知らなかった。
我々は双葉町に向かう住民の車を止めて、長時間の滞在は危険であることを知らせた。
半径二〇キロ圏内立ち入り禁止の表示はなかった。また、検問もなかった。

問い合わせ先:JVJA携帯:090−6101−6113

取材者;JVJA山本 宗輔、森住 卓、野田 雅也、豊田 直己、綿井健陽、DAYS JAPAN編集長広河隆一

参考:広河隆一(談)
二月末のチェルノブイリ原発取材で、事故炉から二〇〇メートル付近で計測した値は4ミリレントゲン。事故炉から四キロ離れた、プリピャチ市で計測した値は0,4ミリレントゲンでした。
(なお、広河隆一、森住 卓はチェルノブイリ原発、世界の核実験場など核汚染取材のスペシャリストである)
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写真:
双葉厚生病院1F検診室でも放射線測定器が振り切れた。

双葉町役場前の時計は地震発生時を示したまま止まってしまっている。

役場に続く道には「原子力郷土の発展豊かな未来」という標語が掲げられていた。
町はゴーストタウンとなっていた。
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posted by M at 19:14| 原発

2011年03月12日

福島県郡山市に着きました。

広河さんと車で都内を午前11時に出て福島県郡山市に午後9時につきました。
郡山市内のホテルは避難民で一杯。一般客は泊まれません。仕方ないのでいったん引き返し郡山の手前の須賀川のホテルにチェックイン。ここも、すでに満室で相部屋。ロビーにも泊る人がいる。
いわき市から被ばくを恐れて避難してきた若い人たちもいた。まだ、残っている人がたくさんいると。
郡山からいわき市内に行く道路は閉鎖されていない。
明日から本格に取材開始する。
posted by M at 22:55| 原発