2010年02月27日

3.1ビキニデー

3月1日焼津でショートスピーチをします。
テーマは「大国の横暴」
  ビキニ水爆実験被害、イラク,アフガニスタンの報告をします。
「ビキニ被災56年2010年3.1ビキニデー集会」
13:00から15:30 焼津市文化センター大ホール

0001_75_3_1BikiniDay_YAEZU .jpg
【写真】1975年のビキニデーに参加したネルソンアンジャインさん(左から2人目)です。

あすから静岡でビキニデー集会が開かれます。
ビキニデーとはいまから56年前に中部太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験によってビキニの海域で操業していた日本の第5福竜丸を始め1000隻の漁船が被曝した事件が起こりました。第五福竜丸の乗組員の久保山愛吉さんが亡くなり、広島、長崎につぐ3たびの犠牲者が出たことで日本国内で核兵器廃絶の大きな運動が始まるきっかけになりました。

実は3.1ビキニデーは私が核問題に関心を持った原点なのです。
1975年の3.1ビキニデーの取材に始めていきました。当時私は24歳,右も左もわからない駆け出しのカメラマンでした。
ビキニデー集会の壇上から一人の色黒の男が「ワタシタチヲタスケテクダサイ」とたどたどしい日本語で訴えたのです。彼はマーシャル諸島ロンゲラップ島(ビキニ核実験場から180キロ東のロンゲラップ環礁)からやってきた村長のネルソン・アンジャインさんでした。日本の占領時代、皇民化教育で無理矢理覚えさせられた日本語が30年後に役立ったのでした。しかし、当時私は日本の侵略戦争の加害の歴史に関心を寄せていませんでしたから何となく、彼が話す日本語に親近感を感じるだけでした。しかし、核実験被害者の存在はしっかり記憶されていたのです。
それから、19年後、私はネルソンさんの案内で始めてビキニ被曝の取材を開始しました。「船がすごく揺れひどく船酔いしました。でも、島の人たちを助けて貰おうと必死でした」と始めて日本に来て救援を訴えたときのことを話してくれました。パスポート持たず決死の覚悟で日本に上陸したのでした。(不法入国?)










posted by M at 11:02| レポート