2011年07月11日

写真展「Nuclear Bule核に蝕まれる地球 福島」パネル貸し出し中

福島原発の写真パネルの貸し出し(有料)開始しまた。
全国で開催をして下さる方、募集中です。http://www.morizumi-pj.com/shashinten/fukushima.html
写真展の挨拶文=======================
私は3.11地震発生後、太平洋側の原発の動向に注目していた。テレビやラジオからは福島第一原発での事故発生のニュースが入りはじめていた。
原発がどうなっているのか?実際にこの目で見てみようと思ってしまう。これがジャーナリストの性なのか?
チェルノブイリ原発で、セミパラチンスク核実験場で、プルトニウムを生産していた核工場で、そして劣化ウラン弾が使われたイラクの砂漠で通用していた放射線測定器の針が振り切れてしまう。これほど高線量を出している土地を歩いたことはなかった。
砲弾が飛び交う戦場でさえ銃弾はそう簡単には当たらない。しかし、ここでは100%確実に我々の肉体に食い込んできた。放射線という見えない砲弾が。そして、細胞を貫通するとき遺伝子を傷つけていったかも知れない。しかし、その自覚がない。目に見えない、音もない、臭いも味も・・・。五感で感じることの出来ない放射線。もし、放射線測定器を持っていなかったら、どれだけ原発の奥深く突っ込んで行ってしまったか?今思うと身の毛がよだつ。

3月下旬から私は30キロ圏外の高汚染地域の飯舘村に取材の焦点を絞ってきた。そこでは高汚染に曝されながら人々が苦悩するの日常があった。私は村の酪農家に密着してその暮らしを追ってきた。
我が子と同じように愛情一杯に育ててきた牛を手放さざるを得ない牛飼いの無念さと怒りに寄り添い、彼らの頬を伝う涙に向けてシャッターを切らなければならない自分もまた、ファインダーが曇ることがしばしばだった。  
汚染された畑に浸みこむ原乳やビニールハウスの中で出荷できなかった小松菜の満開になった菜の花に農民の「悔しさと憤り」を感じた。
しかし、大地に生きる人々の姿は見た目には日常と何ら変わりなく、放射能による汚染と被曝そのものを切り撮る事が出来ない。どう表現したらよいのか。その模索をつづける日々だった。
チェルノブイリ原発周辺以上の汚染地に妊婦や幼子が2ヶ月以上住み続けている現実を伝えなければならない辛さも重なって、私の身体と精神はぼろぼろになり、そのバランスを失っていった。感情の昂ぶりをコントロールできなくなることもしばしばだった。
そして、その旅は私自身の被曝の履歴を書き換えることでもあった。
2011年7月1日
      森住 卓
ここをクリックしてスライドショーをごらんください。fukushima.swf

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posted by M at 17:34| お知らせ