2015年05月05日

森住卓写真展 福島―放射線を視る

森住卓写真展 福島―放射線を視る
東京での展示が決まりました。

日時:2015年5月10日 14:00〜16:30
イベント名:上映とトーク「チェルノブイリ28年目の子どもたちーそして福島は」白石草さんの講演です。
会場:練馬区職員研修所(練馬区豊玉北5−27−2)
主催:原発を考える会@ねりま
入場料:500円
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福島県浪江町の保育園の園庭に落ちていた子どもの履いていた上履き

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福島県浪江町の民家の庭に落ちていた調理用ハサミ

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2014年05月06日

AutoRadioGraphy

Autoradiography from Fukushima
The glittering spots in the photos are caused by fine particles of radioactive substances such as cesium that cling to objects and emit radiation. When film is placed on the objects, the parts that come into contact with the radiation are gradually exposed, causing the spots. Although radiation is something we cannot see, has no sound, or smell, or taste and cannot be perceived by our senses, this process makes it visible.

It has been three years since the Fukushima nuclear power plant accident, and some people are acting as if everything is back to normal. But the threat of radiation has caused serious injury to the hearts and bodies of many people. Radiation – it cannot be seen, has no smell, or taste, or sound, is not painful or uncomfortable, and cannot be perceived by our senses. I have been trying to find a way to make radiation visible so that the images will remain etched in their memories. My first attempts were made with the help of Toshi Mori, a professor emeritus in the Tokyo University Faculty of Agriculture, using IC plates. Since then, I have been making these photos using a method of exposing film (TRY-X), or autoradiography.

These images solemnly tell us the story of the radioactive contamination of Japan. They force us to recognize that the menace of radiation does not fade, but lasts for long periods of time. The images are of objects and plants collected in the evacuation zone in Fukushima Prefecture. The radiation from the Fukushima Daiichi Nuclear Power Plant accident robbed many people of their home towns. Will they ever be able to live in those places again? In Spring and Ashura, the poet Kenji Miyazawa wrote his thoughts of the future, saying “Perhaps two thousand years from now….” I hope these images will provide a hint for how to live in the present and how to create the future.

Autoradiography from Fukushima
白くきらきら光る斑点は放射性物質のセシウムの微粒子が物体に付着し、放射線を出している様子だ。
写真のフィルムに感光させた物だ。
目にも見えず、音もなく、臭いもなく、味もなく、五感で感じることが出来ない放射線の視覚化です。

福島原発事故から3年が過ぎ、すでに福島は終わったかのように人びとは振る舞っている。しかし、放射能の脅威は人びとの心と肉体に深い傷を追わせてしまった。目に見えず、臭いもなく、味もなく、音もなく、痛くもかゆくもなく五感で感じることが出来ない放射能。これを視覚化し人びとの脳裏に焼き付けたいと試行錯誤を続けている。放射能の視覚化は当初、東京大学農学部名誉教授の森敏先生の協力で、ICプレートを用いて映像化した。その後、フィルム(TRY-X)に感光させる方法で現在の映像を作り出している。
これらの映像は日本の大地が被曝していることを厳然と伝えている。人びとに放射能の脅威の継続性を再認識させてくれる。福島県内の帰還困難区域から拾ってきた汚染した生活用品、植物などである。福島第一原発事故がもたらした放射能は多くの人びとのふるさとを奪ってしまった。平凡な幸せを壊してしまったその証拠である。そのふるさとが再生するのはいつになるのだろうか?かつて、詩人の宮沢賢治は「おそらくこれから二千年もたつころは」と未来の人びとへの思いを「春と修羅」に書いた。これらの映像が未来を創造し、今をどう生きたら良いのかを示すその一助になれば幸いである。

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Circular saw
Collection site:Akougi, Namie Town
Collectiondate:18.Decmber 2013
丸鋸の刃
採取地:福島県浪江町赤宇木
採取日:2013年12月18日

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Rubber gloves. Dairy farmer Masatsugu Shiga used them when taking care of his dairy cows.
Collection site:Warabidaira, Iitate Village
Collectiondate:3.October 2013
ゴム張りの軍手。酪農家志賀正次さんが乳牛の世話をするときに使っていた物だ。
採取地:飯舘村蕨平
採取日:2013年10月3日

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Mr. Akaishizawa lives in at the foot of Notegamiyama, Iitate Village. He is famous for his ability to find matsutake mushrooms. Using experience and his sixth sense, he can tell exactly where they can be found. His entire town was evacuated, so now he is living in temporary housing in Fukushima City.
4 October 2013
飯舘村野神山の麓の住人の赤石沢さんはマツタケ取りの名人だ。経験と勘でどこに生えているのかピタリと当たる。まさに名人芸だ。。赤石沢さんは全村避難となったため福島市内の仮設住宅にいまも避難中だ。

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Matsutake mushrooms
Collection site: Notegamiyama, Iitate Village
Collection date: 4 October 2013
マツタケ
採取地:飯舘村野手神山
採取日:2013年10月4日

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Matsutake mushrooms
Collection site: Notegamiyama, Iitate Village
Collection date: 4 October 2013
マツタケ
採取地:飯舘村野手神山
採取日:2013年10月4日

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A nursery school child’s shoe Collection site: Ohbori, Namie Town
Collection date: 24 February 2013
保育園の子供用上履き
採取地:浪江町大堀
採取日:2013年2月24日

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A nursery school child’s shoe Collection site: Ohbori, Namie Town
Collection date: 24 February 2013
保育園の子供用上履き
採取地:浪江町大堀
採取日:2013年2月24日

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Tile fragment Collection site: Warabidaira, Iitate Village
Collection date: 3 October 2013
瓦の破片
採取地:飯舘村蕨平
採取日:2013年10月3日

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Tile fragment Collection site: Warabidaira, Iitate Village
Collection date: 3 October 2013
瓦の破片
採取地:飯舘村蕨平
採取日:2013年10月3日

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Slipper Collection site: Ohbori, Namie Town
Collection date: 24 February 2013
スリッパ
採取地:浪江町大堀
採取日:2013年2月24日

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Slipper Collection site: Ohbori, Namie Town
Collection date: 24 February 2013
スリッパ
採取地:浪江町大堀
採取日:2013年2月24日

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Hat Collection site: Akogi, Namie Town
Collection date: 18 December 2013
帽子
採取地:浪江町赤宇木
採取日:2013年12月18日

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Hat Collection site: Akogi, Namie Town
Collection date: 18 December 2013
帽子
採取地:浪江町赤宇木
採取日:2013年12月18日

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Socks Collection site: Akogi, Namie Town
Collection date: 18 December 2013
靴下
採取地:浪江町赤宇木
採取日:2013年12月18日


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Socks Collection site: Akogi, Namie Town
Collection date: 18 December 2013
靴下
採取地:浪江町赤宇木
採取日:2013年12月18日

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Gloves Collection site: Warabidaira, Iitate Village
Collection date: 3 October 2013
軍手
採取地:飯舘村蕨平
採取日:2013年10月3日

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Gloves Collection site: Warabidaira, Iitate Village
Collection date: 3 October 2013
軍手
採取地:飯舘村蕨平
採取日:2013年10月3日

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Crow feather Collection site: Maeda, Iitate Village
Collection date: 30 April 2013
からすの羽
採取地:飯舘村前田
採取日:2013年4月30日

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Number plate of the car
Collection site: Warabidaira, Iitate Village
Collection date: 3 October 2013
軽トラックのナンバープレート
採取地:飯舘村蕨平
採取日:2013年12月19日



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2013年09月27日

被曝スリッパ

放射能汚染の実態を映像化するにはどうしたらよいか?事故直後から構想を考えてきた。いろいろ試してきた。これまで、ロールフィルムをホットスポットに長時間おいて露光させたり、オートラジオグラフでの映像化などなど。しかし、私は写真家なのでオートラジオグラフでは納得できなかった。
感剤に放射線を焼き付けることにこだわった。しかし、この映像化はいろいろな制約があってオートラジオグラフと同じくらい大変な労力と時間がかかる。
でも、一つ成功した。
この映像は浪江の警戒区域に落ちていたスリッパである。
使用したフィルムはコダックのTR-Xの大判の8X10フィルムだ。要するに密着焼きと同じ手法だ。現像は念のため2倍の増感現像をした。ネガを印画紙に焼き付けた状態で見せるため白黒反転させた。放射線が輝いて見える。私たちの体内に入って細胞内のDNAを破壊していく姿を想像して欲しい。恐ろしい光景だ。
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posted by M at 00:51| 原発

2013年08月02日

見てくれ、オレが作ったメロンだ。父ちゃんは2011年3月23日「福島の百姓は終わりだ」と言って逝った。

政府や原発を推進してきた人々は「福島第一原発事故で死んだ人はいない」と繰り返し公言している。しかし、福島県内の震災関連死のうち789人は避難などに伴う「原発関連死」だ。そのうち12人(東京新聞2013年3月13日)が自ら命を絶っている。原発が無ければ自ら命を絶つ事は無かった人々だ。
 遺族の多くは声を上げる事も出来ず東電への賠償請求も行っていない。

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東電は父ちゃんの仏壇の前で頭を下げて欲しい。

 「人間が作ったものはいつか壊れる。人間は神様ではないから,絶対安全何てあり得ない」と常に言っていた樽川久志さんが原発の爆発したニュースの映像を見ながら福島の百姓はこれで終わりだ」とつぶき、自らの命を絶った。あれから2年と6ヶ月が経過し,遺族は東電との和解が6月に成立した。だが、東電は和解金の支払いだけで遺族の要求する形での謝罪を拒んでいる。

樽川さんの住んでいる福島県須賀川市は福島第一原発からおよそ70キロ離れている。
亡くなった樽川久志さんは7代目の農家で米と野菜の専業農家だった。久志さんは30代のころから有機農業をはじめた。「農薬はなるべく使いたくない。虫も食ねえものを作ってどうする」と口癖のように言っていた。年間通して現金収入が得られるようにビニールハウスを建て、周辺農家の出荷時期をずらして収入を増やす工夫をした。「もぐら堆肥」で育てたキウリは築地の「こだわり野菜コーナー」に出荷し、高価格で売れた。「父ちゃんは何でも誰もやっていない野菜をつくりいろいろ工夫し、研究熱心だった」と次男の和也さんは父親を振り返る。和也さんは8年前に勤めていたプラント会社を辞め父・久志さんのあとを継いだ。
有機農業と言ってもやることは土作り。毎年冬場には近くの山から落ち葉を集め腐葉土にしていた。原発事故が起こった時には3年分の腐葉土を確保していたが、それも全部汚染し使う事が出来ない。検査したら6000Bq/Kg以上あった。

樽川家の仏壇には樽川久志さんが始めて参加した1985年の原水爆禁止世界大会の報告集が供えてあった。そこで原爆の放射能の被害を知るようになり「原発を落とされた国がなんで原発をつくるんだ」と言うようになった。事故前にはだれも原発に危険について口にしなかったが、今では「親戚、近所の人たちはウチの人の言っていたとおりになってしまった、」と奥さん美津子さんが顔を曇らせる。

「あっちこっちでほうれん草出荷停止だとか、静岡でお茶が汚染されたといわれ、だんだん追い込まれた。ウチではあの年、キャベツを学校給食とも契約して7500個に生産を増やした。そのキャベツが出荷間近だったんだ。3月23日出荷停止の連絡が来た。期待していたキャベツの出荷出来なくなり、終わりだと思ったんじゃないの」と奥さんの美津子さん。
 遺書は見つからなかった。「原発に殺された」「もうこんな人を出さないで欲しい」と東電に訴えた。裁判になるとメディアが騒いで、近所や親戚で和解金いくらもらったとか言われたくないから、東電と直接交渉しようとADR(原子力損害賠償紛争解決センター)に訴え6月に和解が成立し賠償金が支払われた。しかし、和也さんは「一般の人間なら常識的にみて、頭を下げて謝罪するべきじゃないの、メディアを入れた公開の場で。それがして欲しい。東電から非公開を条件に線香を上げさせて欲しいと電話がきたが、弁護団を通じて断った」
和解の文章には「我が社、東京電力とお亡くなりになられた樽川久志様の間に因果関係があったと聞いております」と書かれてあった。人ごとだから東電は全く誠意がない」と怒りを通り越してあきれ顔だ。

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(事故直後の2011年4月26日、農民連の東電本社抗議行動に夫・久志さんの遺影を持って参加した美津代さん)
美津代さんは「賠償はやってもらわなければならないが、一番の願いは原発を早く収束させてほしい。土を汚したら食べ物どっから生産すんの?日本は終わっちまうよね。今すぐ廃炉にして原発をやめるべきだ。
安心安全が大事か、お金が大事か?福島(第1原発)だけでも始末出来ねえうちに他の国に原発売るなんて?なに考えてんだか、総理大臣?」と怒りの言葉が止まらない。

賠償を認めない東電
最近、東電は賠償を厳しく制限している。事故でいまは、「福島の野菜は売れない。競りの最後に回され、買いたたかれておわりだ。福島産と言わずに売られていく。外食産業に持って行かれるんだろう」と和也さん。この風評被害の賠償も認められない。
「みんな放射能検査して出荷してんだもの。畑だって何だって、全部測ってもらった。いままでは気を遣わなくて良かったのに」と美津子さんは大きくため息をついた。
汚染した腐葉土は使われないから買っている。東電は販売実績ないから賠償しないと。さらに産直で売っていた椎茸や干し柿など。農業資材のビニールも汚染したので張り替えた。これも賠償しないと。回収業者も汚染しているから持って行ってくれなかった。無けりゃ困るから買って使っている。請求出来ない損害がいっぱいある。みんな俺らが被っている。被りが凄い・・・・」と和也さんは怒りをぶちまける。
「東電は出さねえように、出さねえようにしている」と妻の美津子さん。

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和也さんが今年始めて栽培したメロンハのウスを見せてもらった。
ちょうど拳ぐらいになったメロンを見つめながら「元木から3本出して、そこから全部で6個収穫出来るようにした」と説明する和也さんの目は仏壇前でインタビューした時と、うって変わって輝いていた
「安全で美味しい農産物を消費者に喜んでもらうためにがんばることが父ちゃんの意志を受け継ぐことだ」と和也さんは父久志さんの死を乗り越えようとしていた。
posted by M at 12:59| 原発

2013年06月19日

飯舘村あいの沢でブラックバスを釣る。空中線量毎時4マイクロシーベルト

auto radio graphy 作成のため汚染した生物、生活用品を集めている。
釣り人口は1000万人。この人達に魚の放射能汚染に関心を持っていただくことは内部被曝を禦ぐ上で重要だと考えている。
ブラックバスの内部被曝を可視化出来たら多くの人に被爆の実態を知らせることが出来ののではないかと考えた。
今回、汚染の続く飯舘村あいの沢でブラックバス釣りを決行した。2日目の日曜日朝は霧の立ちこめる肌寒かった。
汚染の危険性を知らない若い男女が釣りに来ていた。
ここは汚染がひどく釣りは危険ですと話した。
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posted by M at 12:11| 原発

浪江町大堀の保育園

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posted by M at 12:01| 原発

サビ付いた線路.常磐線 浪江駅付近

ヤマブドウの蔓が線路を這って覆っていた。
やがて夏草でおおわれ、ここが線路だったことも記憶か消えていくのかだろうか。
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2013年05月22日

保育園に落ちていた上履き

オートラジオグラフで放射能汚染を視覚化しました。
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posted by M at 15:09| 原発

オートラジオグラフィー

映像は警戒区域20キロ圏内,民家の玄関先に落ちていたスリッパと保育園の園庭に落ちていた上履き。
放射線像=オートラジオグラフィーで放射能汚染を映像化し、白黒を反転させた映像。
光っているように見えるのはセシウムの出す放射線。輪郭がぼやけているのは感材から少し距離があるため放射線が拡散して照射を受けた状態です。
皆さんの想像力を働かせる以外に被曝の危険を知ることが出来ません。
被曝の実態を映像化して、その危険性を身近に感じてもらう事が狙いです。
福島からのメッセージ・福島から次の世代へという意味を込めています。
福島はまだ終わっていないことを皆さんに知って欲しいから。
この画像はチームAutoradiograph from Fukushimaが作成したものです。
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2013年05月10日

福島第一原発事故の全面賠償を求め東電と交渉 4/30

4月30日福島圏二本松市男女供せにセンターで原発事故の完全賠償を求める会や全国公害被害者総行動実行委員会などが呼びかけた。
これまでの交渉で東電は額面通りの答弁しかなく、その場で判断出来るしかるき会社幹部の出席を求めてきた。
今回は東電復興本社の石崎代表の出席を求めてきたが、出席しませんでした。その理由もあきらかにしなかった。

参加者からは「廃炉無くして福島の復興はあり得ない」という立場から廃炉を強く求めた。
賠償は因果関係があるものだけ認めるの一点張り、事故が起こらなければかから
なかった経費の補償など県民の被害の実態を訴えたが、「因果関係があるものに
対応している」との一点張り。
さらに賠償の時効には東電が被災者に損害賠償の書類を発送してから3年で時効
が成立し,以後の請求が出来なくなることに時効の撤回を求めた。
会場からは怒りの声が噴出した。
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2013年04月24日

オスプレイの飛ぶ村高江でノグチゲラ撮影

「キュロ」っと静かな森の空気を切り裂く鳴き声。
やがてレンズを向けているタイワンハンノキの枯れた太い幹をチョン、チョン、
チョンと昇りながら幹をつつく。時々粉々になった木の粉が飛ぶ。木の頂上近く
まで来るとさっと森の中に飛び去っていった。それはほんの一瞬でした。早朝か
ら待ってほんの2,3秒の出来事でした。
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posted by M at 17:27| 原発

2013年03月28日

福島第一原発 飯舘村から 生き残った子馬

福島圏飯舘村の細川牧場では今年一五頭の出産があったが、一ヶ月以内に14頭が死んでしまった。
この一頭だけが生き残った。
「みんな死んでしまうなんて原発事故前にはなかったことだ」と牧場主の細川さんは首をかしげた。
お母さんポニーにぴったりくっついて離れない赤ちゃんポニーは厳しい冬を乗り越えてきた。
飯舘村にもうすぐ温かい春がやってくる。
がんばれ。
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posted by M at 15:38| 原発

2013年03月25日

福島第一原発 飯舘村から 馬の異常死 相次ぐ

原発事故から2年。ようやく厳しい冬を乗り越えて、飯舘村の牧場にも春の兆しが見えてきた。
細川徳栄さんの経営する牧場には現在、乗馬用馬、ポニー、ミニチュアホース、ロバなどのが32頭前後いる。
今年になってから、この牧場に異変が起きている。
生後一週間から一ヶ月で死亡した子馬が14頭。元気に育った子馬は1頭のみ。
さらに、2月末から現在までに4頭の大人の馬が死亡した。
後ろ足を引きずるようになり、だんだん、歩けなくなり死亡してしまう。みな同じ症状だったと細川さんは言う。
家畜保健所の血液検査の結果、細菌やウイルスなどの感染症や寄生虫による死亡ではないことがわかった。
更に獣医師の診断では黄疸がでおり、肝臓に何らかの異常があるようだ。
細川さんの牧場は馬やポニー、ロバを繁殖させ、調教し観光牧場などに販売し、各地のイベントなどに貸し出していた。
毎年夏に行われる「相馬馬追」の行事にも参加していた。
事故後、細川牧場も汚染した。細川さんも避難したが、馬たちは取り残された。
細川さんは毎日避難先の福島市から牧場に通って世話をしている。

事故後は観光牧場への販売はゼロに。各地のイベント出演依頼もなくなった。
しかし、処分も処分でず、引き取り手も見つからず、放射能汚染したの牧場で飼い続けてきた。
「事故が起こる前には、こんな事はなかった。放射能の影響以外考えられない」
「とんでもない事が起こり始めた。一刻も早く東電は賠償に応じて、解決して欲しい。異常の原因をはっきりさせて欲しい」と細川さんは言った。
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一ヶ月前に死亡したポニーは野犬やカラスなどに食べられ白骨化している。
白いポニーは、けさ死んだ。すでに目だまはカラスに食べられてしまった。
被ばくとの因果関係を解明する必要がある。
現在もこの牧場は毎時4μ㏜前後の放射線が出ている。
posted by M at 22:36| 原発

2012年11月24日

航空自衛隊百里基地のフェンス

大間原発建設地のど真ん中にある朝子ハウスに着いて書いていたら思い出した。
茨城県の航空自衛隊百里基地も「戦争のために土地を売らない」と用地買収に応じなかった農民の土地がど真ん中にあり、現在ここは平和公園いなっている。
平和公園に行くには両側をフェンスに囲われた道を行かなければならない。
この土地のため、本来まっすぐな誘導路がくの字に曲がっている。軍事基地にはあり得ない光景だ。
さらにスクランブルで発信したパイロットたちは西側にある小高い丘にかかげられた「自衛隊は憲法違反」の大看板を見ながら出撃しなければならなかった。
現在は目隠しのための木が大きく育ってしまったために見えなくなった。
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posted by M at 12:15| 原発

大間原発のど真ん中にある あさこハウス1

大間原発は熊谷あさこさんがガンとして土地を売らなかったために建設予定が大幅に遅れた。
しかも、熊谷さんの土地は原発の炉心予定地だったからだ。「この土地を売れ」と、ほぼ毎日町長、町議会議員。親し友人などが押し寄せ、人権無視の執拗な説得が続いた。
「原発が出来ればこの海がよごれる。海の恩恵を受けて漁師の暮らしがダメになる」「お金はいらない、この海の恵みを受けて暮らしたいただ」と。結局電源開発は原子炉予定地の計画変更し建設を強引に進めている。
2008年建設に着工し,2012年運転開始予定だった。だが、福島第1原発の事故で建設がストップしたが、先月工事再開が決定した。
現在工事は4割近くすすんでいる。
いまはあさこハウスは娘の厚子さんが母の意志を受け継いで運営している。

あさこハウスまでは国道からおよそ1キロの道をゆかなければならない。
国道からの入り口には監視員が出入りする車をチェックし、両側を有刺鉄線のフェンスが威圧的だ。
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posted by M at 11:52| 原発

2012年11月12日

六ヶ所村核再処理工場

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posted by M at 18:00| 原発

11.11反原発1000000人大占拠「原発ゼロへ」

雨の中みなさんご苦労様でした。
都知事候補の宇都宮健児さんもあいさつしました。
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posted by M at 10:04| 原発

2012年11月10日

東北電力東通原発

下北半島東通原発に行ってきた。
原発がある所には必ずPR館がある。原発があるところは都市から離れた過疎の地域にあるから人はあんまり来ないのだけれど。どれも立派なものばかり。
東通原発のPR館も外観はご覧のように立派だ。
館内見学で見つけたおもしろいもの。
原発建て屋のミニチュアがあった。説明のボタンを押すと施設が何処にあるかわかる。
一カ所テーピングで隠してある。ボタンを押してみたら赤いランプがついた。ご覧になれますか赤い小さなランプが点いてるところ。
なんと制御室だ。
どうして隠すの????
テロ対策????

ここも活断層が。。。。東洋大学の渡辺満久教授は「活断層があることを確認した」と発表している。(東奥日報2011年10月25日)
東電東通原発も東北電力の原発敷地の北側隣接地に予定されている。東北電力に隣接した東電は「地震を引き起こす活断層は存在しない」と工事を再開しようとしている。だが、専門家からはさらに調査をおこなう必要がある」と声が上がっている。
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2012年10月17日

Zone 26年目のプリピャチ3

キエフのゼムリャキであったタチアナ・ツィブリスカヤさんのアパートを探した。(ゼムリャキとは旧プリピャチ住民の互助組織)
教えてもらった住所はスポルチーブナヤ通り十三番地十六号室。五階建ての1階。ガイドのサーシャさんの記憶を頼りにこのあたりだという。タチアナさんが説明してくれた学校、スイミングプールがあった。位置関係からアパートを特定したが、背の高いブッシュに覆われて前に進めない。26年が経過したプリピャチの町はジャングルのように灌木が生い茂り道をふさいでいた。倒木や草がマンホールを覆っているので落ちないように慎重に一歩一歩進んだ。ようやく目当てのアパートにたどり着いた。
先に中に入ったサーシャが壁に貼ってある居住者名簿を見つけた。そこには16号室のタチアナさんの名前があった。
以下、タチアナさんの思い出。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1976年プリピャチに移り住んだ。その前,夫はキエフでバスの運転手をしていた。住宅の配給がプリピャチであるというので引っ越してきたのだ。当時、プリピャチの平均年齢は26,7歳でとても活気があった。町中にバラの花が植えてあった。
タチアナさんは結婚後初めての家だったので大事に使った。1階の部屋は外から生活をのぞかれたり、湿気が多いので嫌われていたが、夫は1階なら地下室が出来る、とベランダに穴を掘ってちいさな物置小屋を作ってくれた。
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posted by M at 09:42| 原発

2012年10月13日

Zone 26年目のプリピャチ2 サーシャさん

プリピャチ市文化会館にあった文学会の会長で文化関係の仕事をしていた詩人のシロタ・リュボイ・マカロヴィナさんの息子サーシャは事故の時小さかったのでほとんど覚えていないと。
現在は30キロ圏内のツアーのガイドを行っている。
26年前に離れなければならなかった故郷を彼はどんな思いで案内しているのだろうか?
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posted by M at 01:25| 原発

2012年10月07日

Zone 26年目のプリピャチ@ 残された足跡

プリピャチの町はチェルノブイリ原発建設の伴って1970年に建設された。
町の建設直後、コンクリートがまだ固まらぬ道路を歩いた人の靴跡がくっきりと残っていた。
この靴跡を残した人はどんな人だったのだろうか。事故の時には何をし、処にいたのだろうか。今も健在なのだろうか?いろいろと思いを巡らすうちに、
30年以上前、360万年前の人類が残した足跡がタンザニアで発見されたニュースを思い起こした。当時猿から人間に進化し二足歩行した証拠だった。二足歩行は猿から人間に進化する重要な事件だった。そして、巨大化する脳の重量を支える力学的にもそれは重要な事だった。同時に脳の発達は欲望と理性をコントロール出来る能力を人間に与えてくれた。
チェルノブイリから発信された人類への警告は欲望によってかき消され、福島の大惨事を引き起こしてしまった。
プリピャチに残された足跡は福島原発の未曾有の大惨事を引き起こした人類に「欲望をコントロールできなかった人間の脳はどれほど進化したのだ?」「立ち止まって考えよ」と言っているようだった。

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posted by M at 22:28| 原発

2012年07月22日

飯舘村から 牧場の再建の一歩踏み出す田中さんと長谷川義宗さん

原発事故で廃業に追いやられた飯舘村の酪農家田中一正さんと長谷川義宗さんは、NGOの支援で福島市内に牧場を再開することになった。
7月中旬、使われなくなった牛舎の洗浄作業中の二人を訪ねた。設備関係の業者も入って急ピッチで再開の作業がすすんでいた。
8月頃には北海道から乳牛を導入する予定だという。
「エネルギーを原発に頼っていた反省から、太陽光発電パネルを牛舎の屋根に取り付けたい。夏期の牛舎の扇風機と照明をまかないたい」と。
原発でふるさとと仕事を奪われた二人は「もう原発に頼りたくない」という思いが人一倍強い。
まずは、牛舎と倉庫の屋根およそ3100平方メートルにパネルを乗せたいという。
ところが資金難で太陽光パネルの購入資金がない。どなたか、寄付してくれる人がいないか探している。
二人の夢を叶えるために知恵とお金を。
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posted by M at 18:55| 原発

2012年07月21日

飯舘村から、国の行っている除染の実証試験

国は農水省、環境省がそれぞれ飯舘村で除染の実証試験を行っている。
請負業者は大成建設、フジタ、間組、など原発建設でぼろ儲けしていた大手ゼネコンだ。
飯舘村の除染事業に20年間で3200億円以上の金がつぎ込まれる。
しかも、今行われているモデル事業は除染を行った後、放射線量を幾つに下げるのかその目標値がない。
ゼネコンは田んぼの表土をはぐための完璧な技術を持っている。5〜8pの表土を剥ぎ、汚染していない土を5〜8pかぶせる。
確かに田んぼの放射線量は下がる。しかし、ゼネコンにとって線量が幾つに下がるのかは問題ではない。再び周辺の山から大雨や風によって汚染物質が運び込められるかも知れない。
もし放射線量が下がらなければ、また新たな除染事業を転がり込んでくる。ゼネコンにとって、こんなぼろい儲け仕事はない。
原発建設でぼろ儲けし、事故を起こして放射能汚染が広がれば今度は除染ビジネスだ。
さらに、汚染土や汚染した草木などの仮置き場が決まっていないことだ。小宮地区の水田の除染事業で出た汚染土を入れた黒いビニール製の袋が積み上げられている。
住民はこれを「仮仮置き場」と呼んでいる。
さらに、捨て場に困った国は飯舘牛を育てていた飯舘村振興公社の牛舎に放射能汚染した草、立木、落葉などを黒いビニール袋に入れて積み上げていた。村は政府と協力して住民と議会に知らせることなく黙認していた。
「放射性物質が村内を自由に移動し、放射線量の高いものを低いところに移動させ、放射能汚染を拡大している」と村議の佐藤八郎氏は怒っていた。

こんな国の事業に飯舘村は全く無抵抗だ。村のやっていることは被害者と加害者の立場が逆転しているようだ。

国が開く除染事業の説明会に同席した村長に「村長は原発事故の加害者なのか」と住民の厳しい批判の声が上がりはじめている。

宅地の除染事業の説明会では築年数の経った古い住宅を除染すると壊れる恐れのあるものは除染対象外。土壁の除染も不可能。
除染事業で壊れたものへの補償もない。
除染して出た放射能汚染の土や建材などの仮置き場も出来ていない。宅地にまとめて置くことになっている。
しかも、これらの除染作業で本当に効果が上がるのかわからない。
これでは住民の納得など行くはずもない。
国の方針を拒否すれば「除染は遅れ、いつまでたっても帰れませんよ」と住民を脅す。
国の「原発再稼働」と福島で進んでいる「除染と帰還」は一体の動きだ。
出来もしない除染を無理やり進め、放射能汚染を広げ、汚染地に住民を帰す。
「もう事故は終息しました。これからはふるさとに帰還して、復興ですよ。止まっている原発も再稼働させましょう」といっているようだ。
飯舘村の「避難区域見直し」と汚染による、帰還事業は原発再稼働のためのモデル事業ではないのか。
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posted by M at 09:36| 原発

2012年07月20日

飯舘村から、避難区域見直し4

国道399号線の長泥地区に入る峠には長泥の住民が丹精込めて育てたアジサイが見事に咲いていた。
春は桜、夏はアジサイが峠を通る人の目を楽しませてくれた。
いま、人知れずひっそりとしている。
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posted by M at 19:06| 原発

飯舘村から、避難区域見直し3

長泥地区に入る国道399号線の峠のゲートが閉まった。追い出された住民がゲートに施錠する国の役人をじっと見つめて居た。
住民が汚染地帯に住むことは危険だ。もう長泥は長期にわたって住める環境ではない。立ち入り禁止にするのは理解出来るが、その前提に住民への宅地や農地の補償をしてからではないのか。
補償がいつもらえるのか、その金額はいくらなのか何も決まっていない。住民の生活再建の目途はない。
長泥地区区長の鴫原良友さんは「村は一人も立ち会わなかった。先祖伝来の家や田畑を失う長泥住民の悔しさと辛さを知って欲しい」と憮然としていった。
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posted by M at 19:01| 原発

飯舘村から、避難区域見直し2

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7月17日午前0時に国道399号線の長泥地区に入る峠に設置されたゲートが閉まった。
取材に駆けつけたメディアが去った後、静寂が支配した峠に満天の星空が何事もなかったように輝いていた。
posted by M at 18:51| 原発

飯舘村から、避難区域見直し1

「計画的避難区域」になっていた飯舘村は政府の避難区域見直しによって、最も放射能汚染の酷い長泥地区は「帰還困難地域」となり17日午前0時を期して立ち入り禁止区域となった。
それに先立つ16日午後4時長泥から蕨平に通じる道路が封鎖された。
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posted by M at 18:44| 原発

7.6首相官邸包囲デモ原発再稼働反対

びしょ濡れになりながら、カメラの水没を気にしながらの撮影でした。
それにしても、今回は警察の規制が厳しい。先週警備責任者は怒られたのでしょうね。
反対派の連中を国会周辺で自由に動き回らせてはダメだと。
それでも圧倒的な市民の集まりで整然と抗議行動が繰り広げられました。
来週16日には10万人集会(代々木公園)もある。
野田首相が退陣に追い込まれ、原発の息の根を止めるまで続々と。
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posted by M at 11:35| 原発

2012年07月01日

国会記者会館前の再稼働反対集会

国会記者会館 左奥が首相官邸。
6月29日午後5時。再稼働反対の抗議の波が押し寄せてきた。
今まで大手メディアは抗議行動を無視していた。
首相のぶら下がりをやっていれば,心情的にも首相に寄り添うようになってる。
権力への批判的な芽は摘み取られ、特権意識が芽生えてくる。
若い時「存在が意識を決定する」と弁証法を勉強した。
その象徴が黒塗りの高級ハイヤーだ。
こんな車に乗って取材にでかけていたら庶民の感覚が無くなるのも当然だ。
これまで首相官邸前の抗議行動を無視し続けたのも、こうしたハイヤーを利用している大手メディアだからかもしれない。(2012/06/29)
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posted by M at 00:15| 原発

2012年06月07日

飯舘村から 長泥地区長の鴫原さんのお宅

家の中もいまだに高い放射線量がでている。
裏山は昨年東大の田中俊一教授が除染させてくれと来て、地表の落ち葉をかき集め、周辺の木を伐採したが線量は下がらなかった。
集めた落ち葉や腐葉土は裏山にブルーシートをかぶせて置き去りにされたままになっていた。
田中俊一とは原子力委員会前委員長代理・元日本原子力学会長・元日本原子力研究開発機構特別顧問などの原子力推進勢力の最右翼を歩いてきた人物。
彼がどういう人物かも知らない飯舘村の村民に汚染されたものを捨てるために「谷の一つぐらいつぶして産廃置き場のようなものを作れ」と青写真まで作って持って来ていた。
用意周到。原子力を推進してきた人間の事故を起こした責任のみじんも感じていない言動に怒りを通り越し,唖然とした。
事故後,廃炉になるまで今後の仕事と儲けはがっちり確保するゼネコン、原子力村のあくどい手口が見え見えだった。
結局、除染の効果が上がらないとわかると、そそくさと逃げ出した。彼らが引っかき回した後がブルーシートだ。
彼らに、ふるさとを失った村のひとびとの怒りと悲しみを思う心は微塵もない。(飯舘村長泥 5月14日)
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posted by M at 22:47| 原発

飯舘村から 除染作業

農地の除染作業(5月14日飯舘村長泥)
ゼネコンの大成建設が請け負っている。
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posted by M at 22:20| 原発

2012年05月25日

訂正 キビタキの写真 オートラジオグラフ

本ブログ中に使われていた「ラジオオートグラフ」は「オートラジオグラフ」であることに気づき、訂正します。
posted by M at 19:48| 原発

2012年05月17日

福島第一原発 警戒区域の見直し

20キロ圏内の警戒区域の見直しで、南相馬市小高区に入れるようになった。
津波、干拓する100年前の地形に戻っていた。田んぼは水が引かず湖のようになっている。
よく見ると地形も陥没した用に見える。
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posted by M at 19:42| 原発

飯舘村の桜

ゴールデンウイークが終わった6日夕方、飯舘村に着いた。
翌日早朝、最後の桜が朝日でピンク色に染まった。
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posted by M at 19:37| 原発

福島県伊達市名産の柿の木

除染して、木の皮がはがされて白い幹がなんだか不気味に光っています。
今年はCs137はどのくらいになるのか?減ってくれることを祈るばかり。
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posted by M at 19:35| 原発

2012年05月12日

ウグイスの写真をキビタキに訂正します。

オートラジオグラフで小鳥の被曝写真を掲載しましたが、たいへんな反響です。そして、大切なご指摘を頂きました。
この写真はウグイスではなく「キビタキ」だと。
「キビタキは、雄は鮮やかな黄色の羽をしておりますが、若い個体や雌はウグイスに似たこのような羽色をしております。掲載されている個体は、尾羽や肩羽の形と色から、当年生まれの若鳥であると思われます。」
以上のようなご指摘を頂き、訂正させていただきます。
そして、キビタキは福島県の県の鳥になっています。

ありがとうございました。



posted by M at 00:57| 原発

2012年04月28日

福島県鳥 飯舘村ので収集したキビタキ オートラジオグラフで被曝を映像化 


先日、森敏先生から以前お願いしていたオートラジオグラフの写真が届いた。
私が飯舘村で昨年12月に採取してきたキビタキの死骸だ。
やはりだいぶ被曝していた。

キビタキの被曝の状況を映像化したものだ。
カラーはサンプルの写真。
モノクロのレントゲン写真のようなものがオートラジオグラフ。
黒い点々としたものがCs137の放射線がでているため黒くなった。
羽の部分は表面に付着したもの、腹の部分の黒くなったところはお腹の内部から放射線がでている。
汚染した虫などを食べたことで食物連鎖で濃縮されたものと思われる。
これはお腹側を羽を広げて撮影したものだ。
1枚の写真を撮影するために要した感光時間は一ヶ月。
提供;森敏先生
森先生のオートラジオグラフで映像化した飯舘村の植物の写真も衝撃的です。この写真はJVJA編集のオンラインマガジンfotgazet vol5に掲載されています。是非購入してご覧下さい。
http://fotgazet.com/

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posted by M at 23:28| 原発

2012年04月26日

26年目のチェルノブイリ@10キロ圏内コパチ村の保育園

チェルノブイリ原発から10キロ圏内にあるコパ千村の保育園。
子どもたちのかわいい靴や毛糸のパンツ、人形などが残っていた。
園庭は木々が生い茂り,半分埋められた古タイヤが当時の面影を忍ばせていた。
ベッドルームには小さな幼児用2段ベッドが整然と並び、お昼寝から覚めたばかりの子どもたちのうつろな目が私を見つめいるような錯覚にとらわれた。
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posted by M at 15:49| 原発

2012年04月20日

チェルノブイリから 

ホールボディーカウンタ-を受ける子ども。
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posted by M at 04:24| 原発

チェルノブイリから チェチェルスクの学校

汚染の中心地ゴメリから北に百キロのチェチェルスク市の中高学校では高校生た
ちがホールボディーカウンタの検査を受けていた。
ミンスクにあるNGOベルラドが学校を訪問して検査を行っている。
この地域の子どもたちの被曝量は30から40Bq/kgで時々200Bq/kgぐらいのこども
もいる。検査は普通のイスに腰掛けて、5分ぐらいじっとしているだけ。その場
で結果が出る。
子どもたちは不安そうに結果の出るパソコンをのぞき込んでいた。
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posted by M at 04:23| 原発

2012年04月19日

ゴメリの市場の食品検査。

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先ほど、ベラルーシ汚染地の中心地ゴメリ最大の市場行った。肉、乳製品、野菜など市民の胃袋を支えている。食品安全検査場が隣接され、生産者が販売前に放射能の検査を受けた食品だけが市場に並ぶ。市民は安全な食べ物を手に入れられる。
豚の頬に検査済の印のスタンプが押してある。
posted by M at 01:50| 原発

2012年04月17日

チェルノブイリから

ミンスクでゴメリから避難してきた、ナターリアさんに会いました。
チェルノブイリから北西方向にゴメリー、さらに首都モスクワの方向に風が吹い
ていた。当時、ソ連政府はモスクワを守るためにゴメリー上空で人口雨を降らせ
た。雨はチェルノブイリ原発から放出した放射能を大量に含んだ、いわゆる黒
い雨だった。しかし、住民には知らされなかった。首都モスクワを汚染から守る
ためにゴメリーが犠牲になった。

その後夫、息子、娘を甲状腺がん、胃がんで失い、たった一人になってしまった
彼女は娘が残してくれた孫娘を生きる支えにがんばっている。
ナターリアさんの部屋の壁に飾ってある写真はかわいい孫娘の写真だけ。
息子や娘、夫の写真はないの?と、うかつにも聞いてしまった。
戸棚にしまって置いた、子どもたちの写真を撮りだして見せてくれた。
「前に向かって生きるために全部外してしまった」とつらそうに顔をしかめた。
教会でチェルノブイリ被災者は「強い者に与えられた試練なのよ」と言われたと
きから、夫と子どもたちの死を受け入れられるようになったと。
ロシアの伝統的な起き上がりこぼし ニェバリャーシカを見せてくれた。これは私の気持ちと一緒なのだと。
日本にも七転び八起きの精神を表現したダルマという人形があると言うと、お土産にくれた。
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posted by M at 04:09| 原発

2012年04月15日

4月20,21日広島に避難した人たちが被災者の会を結成

飯舘村から広島に避難した、青木さんからお知らせです。
皆さん応援してください。
====以下届いたメール==============
森住さん、お久しぶりです。
今月の20、21日に広島に避難した被災者の会でイベントを行います。
避難区域、各県からの自主避難を問わず、他の政治団体などに利用されないためにも私たちだけで会を作り
生活問題、賠償問題などについて、まとまって活動していきたいと思います。
今回のイベントはこう言った会がある事を広島中に知ってもらい。孤立している被災者などに知ってもらい、まとまる事です。
イベントの事前に記事などで紹介してもらえば、イベントも盛り上がり、会も成功していくと思うので、よろしかったら取り上げてください。
よろしくお願いします。
青木達也=======================

青木さんの家族のことはhttp://mphoto.sblo.jp/article/45598164.htmlで紹介
しています。





森住さん、お久しぶりです。

今月の20、21日に広島に避難した被災者の会でイベントを行います。

避難区域、各県からの自主避難を問わず、他の政治団体などに利用されないためにも私たちだけで会を作り

生活問題、賠償問題などについて、まとまって活動していきたいと思います。

今回のイベントはこう言った会がある事を広島中に知ってもらい。孤立している被災者などに知ってもらい、まとまる事です。

イベントの事前に記事などで紹介してもらえば、イベントも盛り上がり、会も成功していくと思うので、よろしかったら取り上げてください。

よろしくお願いします。

 

青木達也

 




__________ ESET NOD32 Antivirus からの情報, ウイルス定義データベースのバージョン 6629 (20111114) __________



このメッセージは ESET NOD32 Antivirus
によって検査済みです。


http://canon-its.jp



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posted by M at 02:24| 原発

2012年04月07日

20キロ圏立ち入り禁止区域 怒りの看板??

浪江町幾世橋の住宅にかけられていた看板。帰宅した住民に怒りの気持ちが伝わってくる。ユーモアたっぷりに。
怒りを越えて笑っちゃう。笑いがなければ生きられない。
もう帰れないかも知れない住民の気持ちを逆撫でするように、再稼働だと。許せない。
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posted by M at 22:07| 原発

ザマナイ

「ザマナイ」カザフスタンの旧ソ連核実験場セミパラチンスクの閉鎖の闘いの中で歌われたうた。
セミパラチンスク核実験場では1949年から1989年まで40年間にわたり全部で467回もの核実験が行われた。
環境に放出した放射性物質はチェルノブイリの5000倍と言われている。
百数十万人が被曝した。
核実験は最高の秘密にされ周辺住民は沈黙させられた。
1989年2月地下核実験で周辺に高汚染が広がったことを知ったカザフ国民は長年の沈黙を破り核実験反対、被曝者救済の声を公然と上げた。
闘いは燎原の火のように広がりその年の暮れ核実験が中止され閉鎖された。
この時に歌われた「ザマナイ」は多くの人々にカザフ民族の誇りを取り戻させた。
日本語訳のうたをTOMOKOさんCDにした。
このたび私の写真集「新版セミパラチンスク」を使ってPVにして下さいました。
http://www.youtube.com/watch?v=hmaaiYebx_0
posted by M at 21:25| 原発

福島第一原発20キロ圏立ち入り禁止区域 希望の牧場の牛たち1

厳しい寒さを乗り越え、ようやく牧草地に柔らかな緑が芽生えてきた。
冬の間乏しい乾草で命を繋いできた牛たちは生きかえったように輝きを増し、次々と新しい命が誕生している。

この厳冬期に生まれた牛は寒さと栄養不足で次々となくなった。それでも生き残った子牛はいま元気に牧場を母牛と駆け回っている。

政府の殺処分に「牛飼いの意地」だと反対して飼い続けてきた牧場長の吉沢正己さんは「経済的価値を失った牛たちを飼い続ける意味は何か、まるで禅問答のようだ」
といいながら汚染した牧場から逃げずに事故の責任を追求している。
ここで牛を飼い続けることは、事故を起こした東電と国への抗議の証しでもある。
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posted by M at 17:06| 原発

2012年04月05日

接近空撮 福島第一原発4

汚染水の処理タンクや汚染物質の保管コンテナが所狭しと並んでいた。
周辺の松林を切り開いて汚染処理タンクが並べられている。
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posted by M at 14:15| 原発

接近空撮 福島第一原発3

チャーターしたヘリは規制空域3キロギリギリで原発に接近した。
高度300b最接近した時の放射線量は以外にも0,8ミクロシーベルト/時だった。
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posted by M at 14:15| 原発

接近空撮 福島第一原発2

3号機はプルサーマルでMOX燃料を使っていた。大量のプルトニウムニュウムが存在する。プルトニュームは地上最も危険な物質。
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posted by M at 14:15| 原発

接近空撮 福島第一原発.1

4号機は格納容器の黄色いフタが見えて左端には作業員のすがたが。決死の被曝労働が続く。 彼らのおかげで何とかおとなしくしている使用済み燃料だが、予想される大地震では崩壊爆発の危機が迫っている。プールの中には1535本の使用済み燃料が入っている。原子炉に入る2倍もの量だ。使用済み燃料プールに落ちている瓦礫の除去、バケツのような金属容器をクレーンでプールの中に入れ、水の中で燃料棒をバケツに入れ蓋をしプールから出し、外の入れ物に移し替える。作業はクレーンが大破したので新しいクレーンの建設から始める。東電の計画では取り出しは2013年の12月からと言うことだ。この作業は何年もかかるだろう、その間に大きな地震が来たら一貫の終わりだ。
国が冷温停止状態=終息宣言をしたが実態は全く危機的状態がずっと続き、深刻さは増している。
だから、脅かしでも何でもなくて,東京の人も4号機が爆発したらすぐに逃げた方が良い。大きな地震が来ないことを祈るしかない。

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posted by M at 13:57| 原発

2012年03月29日

帰還する村 川内村の保育園

3月13日、川内村の保育園。
ちょうど一年前、高い放射線量を検出した我々は、川内村役場に避難するよう要請にいった。
あれから1年が過ぎた。
4月から村は帰還する。
保育園では除染がほぼ終わり,モニタリングポストの線量計は0,31μSv/hを示していた。
東京の6倍前後ある。
しかし、周辺の山には放射性物質が降り積もったままだ。
春には埃と一緒に放射性物質の微粒子が舞い上がる。
そんな環境で子どもたちが生活させてはいけない。
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posted by M at 10:22| 原発

2012年03月21日

3月20日イラク戦争9周年 脱原発金沢ピースマーチ

とっても元気で楽しいPeace & Loveのマーチでした。
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posted by M at 10:30| 原発

2012年02月24日

写真集「福島第一原発 風下の村」と加藤登紀子さんCD「命結ーぬちゆい」

命結−ぬちゆい 加藤登紀子加藤登紀子アルバム『命結-ぬちゆい』のPVが出来ました。
写真は森住卓 写真集『福島第一原発 風下の村』より
福島第一原発の影響で全村避難になった福島県飯館村を2011.5.25に加藤登紀子さんが訪れた時、
作った曲です。
聴く毎に心に染みいります。

posted by M at 20:20| 原発

2012年02月21日

2.19脱原発杉並集会 

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posted by M at 21:33| 原発

2012年02月15日

JVJA写真・映像報告会「3・11東日本大震災から1年〜大津波と核汚染」(仮)

JVJA写真・映像報告会「3・11東日本大震災から1年〜大津波と核汚染」(仮)
日時:2012年4月1日(日)午後1時半〜5時
場所:明治大リバティタワー・地下一階1001教室(東京・御茶ノ水) 
共催:日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)/現代史研究会)
posted by M at 22:34| 原発

2012年02月02日

除染より除雪 

大寒波襲来の会津地方。こちらも大雪に見舞われている。
福島第一原発の大熊町の人たちが避難している会津若松の仮設住宅では毎日雪かきが日課になっている。
浜通では年に1,2回しか降らなかった雪。毎日降る雪に「もう、うんざりだ」と鉛色の空を見上げた。
大熊町は町への帰還に向けて「除洗のモデル」事業が始まった。
しかし、いつ帰れるかもわからない中で,帰れないのなら仮設から出て永住出来るところを探して欲しいと言う声が聞こえた。
除染は結果が見えないが除雪は結果が見える。
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posted by M at 09:06| 原発

2012年01月29日

2012年 飯舘村から1

伊達市石田の酪農家菅野伸一さんの家で出産シーンの撮影が終わると外が明るくたってきた。
ここから山一つ超えれば飯舘村だ。雪景色の日の出を撮影できる良いチャンス。
雪の山道はさらさらの雪が積もっていて気持ちよく車を走らせることが出来た。
峠を越えて飯舘村に入ると山の向こうから朝日が昇ってきた。
誰もいない村に雪がつもり、悲しみや怒りを包み込んで夜が明けてきた。
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posted by M at 13:02| 原発

福島第一原発・特定避難勧奨地点の酪農家

一昨夜から伊達市霊山町i石田の酪農家・菅野伸一さんの家に泊まり込んで牛の出産シーンの撮影をした。
福島原発から北西48キロ地点にある。朝5時、外は氷点下10度。産気づいた母牛
が破水して出産が始まりました。だが、通常2本の前足が出てくるはずが,片方
だけ。もう一方の足は膝が折れ曲がって出てこれない。
菅野さんが一旦、子宮内に押し込んで、曲がった足を伸ばして仕切り直し。
自力で産み落とし事ができなくなった母牛は親牛は苦しそうに目が点になっている。
出かかった両足を引っ張って出すしかない。菅野さんと奥さんの二人で引っ張り出した。
ニュルッと出てきた赤ちゃんを逆さにして、飲んだ羊水をはき出させ、心臓マッサージをしたが蘇生しな
かった。駄目だった。濡れた体から湯気が立ち上った。
母牛は元気。奥さんの美佐子さんが「よく頑張ったね」と母牛のほほをなでてねぎらいの言葉をかけていた。
伸一さんが作った、ビタミンとカルシューム入りの味噌汁を飲ませた。ごくごくと、うまそうにバケツ3杯飲んだ。
子牛が死んだからと言って、酪農家はセンチメンタルになっていられない。
母牛が元気なので次に希望を繋ぐ。これからたくさん乳を出して、酪農家の暮らしを支えてくれる。
それにしても、3.11事故以来、事故死や異常出産が多いという。(2012年1月28日)
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posted by M at 13:01| 原発

2012年01月21日

「福島第一原発 風下の村から」の緊急報告

福島第一原発
風下の村からの緊急報告
【スライドとお話:森住 卓さん(フォトジャーナリスト)】
東日本大震災発生の翌日、森住氏は福島に入った。まだ報道管制はしかれておらず、彼のゆくてを阻むものは何一つ無かった。ただ、世界の核被害の現場でも見たこと
のないほど高い放射線測定値のほかには…。
2月12日(日)
13:00〜15:00
周南市文化会館
http://enjoy-live.net/detail/detail.php?hall_id=274
(地下) 練習室1
資料代 1000円
主催:原発いらん!山口ネットワーク
お問合 090−7991−7412 (那須)
posted by M at 21:05| 原発

2012年01月11日

20キロ警戒区域内 餓死した牛

正月元旦、20キロ警戒区域内にある浪江町の牛舎に行った。
夕日が差し込んだ牛舎の中は静まりかえっていた。
クモの巣が時折風に揺れていた。
3月12日事故発生直後、20キロ圏内には3000頭の牛がいた。

住民はとるものもとらず、緊急避難して、それっきりになってしまった。
牛舎から放され野生化した牛となった。
牛舎には繋がれたままの牛が残っていた。
やがて牛舎から牛の牛のなき声が消えた。
牛舎をおおう異臭は冬とともに収まり、文字通り皮と骨のミイラが牛の原形をとどめていた。
息絶えた牛の背後から近づくと、立ち上がろうとするかのようにカメラを見つめていた。
眼孔がぽっかりあいたその奥にはウジがサナギになって、これもミイラになっていた。
しゃがみ込むと腐臭が漂ってきた。
壮絶な死が目の前に広がっている。
心の奥底からやり場のない怒りがこみ上げてきた。
だが、牛舎を離れるた後、あの惨状を表す言葉が見つからなかった。
写真を発表すべきか否か・・・・。

「自分の屍が役に立つなら…と、世に出すことを願っているような気がします。福島の苦しみを余すことなく伝えて欲しいのは、人間も牛も同じだと思うから」
と友人からのメールがきた。
だから、勇気を出して公表する。
目をそらさずにしっかり見て、脳裏に焼け点けて欲しい。

牛たちの屍は原発に頼ってきた、人間の愚かさを告発している。
(2012年1月1日浪江町)
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posted by M at 23:20| 原発

2012年01月02日

20キロ圏内のノラ牛

浪江町の常磐線踏切で変な格好の牛を見かけた。
まだ若い。
よく見ると生ゴミを堆肥化させるコーンポストに首を突っ込んで抜けなくなってしまったらしい。
かろうじて餌は食べられそうだが、外してあげようと追いかけたが、野生化した牛は逃げ足の速い。
こちらが疲れ果てて逃げ切られてしまった。(2012年1月1日浪江町)
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posted by M at 23:48| 原発

浪江町立請戸小学校体育館


請戸小学校体育館 卒業式の看板が掲げられたまま。時間は津波が襲った時に止まってしまった。(2012年1月1日)
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posted by M at 23:42| 原発

無人の町に日が昇る

2012年元日、20キロ圏内・浪江町に上った初日の出。
撮影中、防災無線から7時を告げるチャイムが鳴った。メロディーはゲーテ詩の「野バラ」だった。
希望に満ちた曲が静寂の支配する町に響き渡った。
「童は見たり、荒れ野のバラ、朝とく清く 嬉しや見んと ・・・・」という詩が浮かび、嗚咽ととともにファインダーが曇ってしまった。
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posted by M at 23:26| 原発

2011年12月28日

福島第一原発 .3月13日配達されなかった新聞 浪江町の新聞販売店


20キロ警戒区域内にある浪江町の新聞販売店の店先に野積みされた未配達の新聞
があった。日付は3月13日の毎日新聞。早朝届いた新聞は住民が避難のどさくさ
で配達されなかったのだろう。(2011年12月26日)
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posted by M at 14:58| 原発

2011年11月18日

東京町田・母親達の叫びを聞いて下さい。

先月から送られてきている子どもたちの異常な症状2回目の掲載です。

福島第一原発事故でまき散らされた放射能は健康にどう影響するのかとりわけ低
線量被曝が。科学的解明が進んでいない段階だからこそ、これまでの医学報告例
や学説だけで判断してはいけないと思う。親たちの叫びに寄り添うことが何より
大切だと考える。
そして、一刻も早い大規模な健康調査を行う必要がある。その上で放射能の影響なの
か、他の原因なのか究明をしなければならない。
母親達の叫びと子どもたちの症例が世論を喚起し、大きな動きになればと考え、掲載することに
した。

以下、「子どもと未来をつなぐ会」http://ameblo.jp/kodomotomirai/
健康調査担当/有馬理恵さんからのメール

===================================
◆11歳 男 町田市在住
311後、急に鼻血が増えた。もともと鼻血体質の子どもだが、夏の暑い
とき、興奮したときなどに見られたくらいで小学校低学年を境に減って
きていた。現在の鼻血は量も出かたも明らかに異なる。週に1、 2度。
静かに座っているとき、就寝中などに突然、血をこぼしたように
出る。ティッシュ20枚以上は使う。下痢。おさまったりまた出た
りと、波がありながら繰り返している。
◆9歳 男 町田市在住
4月の半ばに鼻血。もともとまったく鼻血を出さない子だったので驚い
た。鼻血は今、ひと月に数回。回数と量は少ないが、原発事故前とは
まったく違う様子なので、何か起きているのは明らか。4月後半
にやたらにまぶたが重く閉じてしまう感じ。昼間の活発な時間帯なの
に、目が重く感じるため、何回も目をぎゅっとまばたきし、重さを振り
払っていた。同じ様子は6月、8月にも見られた。倦怠感。

昨日(11/17)、普段かかっている小児科医でこどもたちを受診し
てきました。
感じたこといろいろあり。ちょっと長くなりますがご勘弁を。
かかりつけ、といっても、年に数回行くかどうかという感じで過ごして
きたので、その先生をよく知っていて信頼している、というほどではな
いのですが、今回の原発事故以前から、診察しながら厚労省や官僚の批
判をしたりするはっきりとした先生だったので、いつかこの先生の見解
を聞きたいと思って、昨日は期待して行ったのです。
それで、どうだったかというと、、、ガクゼン!ガッカリ!でした。

「町田にいてそんなことを心配するなんて!全く心配いらない」
「僕たち医者の間でも誰もそんなこと言ってない」
「そんなことに時間をかけているのは人生のムダ」とも言った。
さらに「放射性物質の影響は鼻血だの下痢だのそんなもんじゃない。白
血病の症状と同じ状態になるんですよ」
→白血病発症してから、重症になってからでないと医者のところに来て
はだめ、軽い症状で来るのは間違っていると言っているようなものの言
い方。
重症になってからでは遅いでしょう!
軽い症状の今は、重症になる前の段階だから、早めに手当てや対策を考
えたいという思いがあって受診したのに。
重症になってから「やっぱりそうでした、今重症になったからみてくだ
さい」と行くことほどばかなことはありません。
予防医学の観点から見ても、あきらかにこの態度は間違っていませんか
ね。

そして、私が一番いやな印象を受けたのは、私が話そうとすると、たた
みかけるようにさえぎって話させないようにするのです。
「だからムダです」
「いつまでもそんなことを言っているのは意味がない」の繰り返し。

自分の考えがそうだとしても、 まずは受診者の話を受け止め聴
く、というのは医者として最低限の基本では?(どの仕事もそう
だけどとくに医師は)
私の気持ちや考えを聞こうともしないで自分の言いたいことだけをまく
したてるのに唖然としました。
なんだか私には、その様子が、何かを恐れている、こわがっているよう
にさえ見えました。自分には理解できないことに対する恐れかな?なぜ
なら、深い知識や経験や見識があれば絶対にそんな態度にはならないだ
ろうし、もっと誠実なやりとりをするはず。
こんな未熟な状態の医師が日々診察活動しているのはひじょうに心配で
す。

これ以上くいさがってもムダと思い、昨日は帰ってきましたが、、あら
ためて現状を確認した思いです。

今年6月に一度、別の小児科に行きましたがそのときは全く相手
にされず。
時間も経過し、原発事故に対する世の動きにいろいろ変化もあり、医療
関係にも何らかの意識変化あるかと期待して行っただけに、昨日はひ
じょうに残念でした。


◆7歳 男 町田市在住
夏休みから、二回 口内炎 、一週間程 食事出来
ず ゼリーなどで 栄養とる、 病院では風邪だと診
断、こういう風邪は産まれてはじめて、、、
以前から喘息はありましたが、治まっていました、311後から少しつ
づ酷くなり、11月からとても酷く産まれて初めてステロイド服用を処
方されました。

◆4歳 女 町田市在住
311後、三回口内炎 今現在進行中 産まれてはじめての事、、、

7歳男子、もともと、喘息がありましたが、治まっていた。
311後少しづつ酷くなり、今ものすごく酷くて、かかりつけの医師に受診して
いますが、「放射能の影響もあるのではないか?」と、これまでも今日も何度聞い
ても、
「東京であるはずがない。」と医師が回答。
今回(11/14)、産まれて初めてステロイド服用を処方された。
薬局でも、「初めてのステロイドに不安がある。」と訴えたら、
「ストレスが原因なんじゃないですか」と言われた。
「子どもの実態に目をそむけるのは日本人のはじだ!」と言って来た。
お願いだから、健康調査の動きを速めて、
「あるはずがない!」や「ストレス」の回答を医療機関がすることは医
師、薬剤師としておかしいのではないかとの苦言を、しかるべき人がし
かるべきところで公表してほしい!
たとえ、本当に因果関係がなかったとしても、これだけのたくさんの症
状はおかしいことぐらい普通のお母さんでもわかります。
なんのために医師になったのですか?なんのために薬剤師になったので
すか?どうか、母達の声を届けてほしい。広げて欲しい。お願い!!

今、医師に望む事!
今は少し、敏感に、感受性を高めて、いつも診る患者だったら、去年と
何か違う事があるか、患者が望む前に、命を守る、医師として、問診し
たり、これから、起こり得る事に、対して、データを集めたり、研究し
たり、医師会などでも、問題意識持って、活発に、議論して欲しいです。
今年は去年とは、違うんだから、いつも通りじゃなく、何が、起きてい
るか、生命を扱う、医療機関として、活発に、議論したり、患者の話
に、耳をかたむけるべきた!
患者が、先に、原因分かったら、医師はいらない!
===============================
posted by M at 12:47| 原発

2011年11月12日

飯舘村から ネコと犬

住民は全村避難した。飼っていた犬やネコを一緒に連れて行きたくても、仮設住宅や借り上げアパートでは飼うことが出来ない。
仕方なく、飯舘村の自宅に残して餌を上げに来る住民がほとんどだ。
主がいなくなり寂しいのか親子の犬が私の後を追ってきた。
餌をねだっていたネコはもらえないとわかって、あくびをした。
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posted by M at 22:34| 原発

2011年11月11日

私はモルモットにならないー福島県健康管理調査表に記入を拒否

飯舘村の長谷川健一さんは福島県が行っている健康調査表の記入を拒否し、抗議の意味を込めてサインペンでおもてに大きく「山下俊一のモルモットにはならない」と書いて提出する。

3月下旬飯舘村を訪れた福島県の健康管理リスクアドバイザーの山下俊一氏(長崎大学)は飯舘村の住民を前「子どもたちは外で遊ばせても大丈夫」と言った。
翌日、国は飯舘村などを計画的避難区域に指定し、一ヶ月をめどに全村避難しなければならなくなった。
講演を聴いた住民からは「あの(子どもを外で遊ばせても大丈夫)話なんだったんだ」と山下氏のいい加減な発言への抗議が殺到した。

山下俊一氏の発言を信じて子どもたちの避難が遅れたのだ。
長谷川健一さんは健康調査は「彼の研究材料にされるだけだ」と怒っている。
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posted by M at 22:04| 原発

2011年11月05日

除染2福島市蓬莱町の公園

福島市内の除染作業が行われていた。
高圧洗浄機で水を吹き付けアスファルトを洗浄する。
その水は下水に流れ込む。
植え込みの緑は全部根元から切られていった。
公園の放射線量線量はさがっても放射性物質がなくなったわけではない。
移動させただけだ。このいたちごっこがいつまで続くのか?
来年の夏は緑が減った福島県はとても暑くなるだろう。
どおすりゃいいんだ????
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posted by M at 21:57| 原発

2011年11月03日

除染(埼玉県三郷市立幸房小学校)

10月8日 市、教職員と父母が協力して一斉に校庭の土をはぎ取る作業が行われた。
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posted by M at 13:35| 原発

2011年11月01日

飯舘村から

飯舘村で稔った米(10月20日)
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posted by M at 22:24| 原発

福島第一原発.最近の状況

枝野が記者連れて中に入るって?質問しても突っ込まない仲良しクラブの記者クラブを連れて。
フリーのジャーナリストはダメなの。それじゃ一人で行くしかないか。
先日行った時には、福島第1の1号機はすっかり覆い隠されていました。
これで放射能洩れが防げるなんて思わないで下さい。
外から見えないように隠しただけです。
2、3,4号機も隠すつもりだ。
事故後も隠す体質は変わっていません。
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posted by M at 19:33| 原発

福島県伊達市霊山町上小国の田んぼ

収穫の終わった霊山町上小国のたんぼ。朝日を浴びて美しかった。
ここは6月に撮影をした。特定避難勧奨地点となっていたところだ。
ここの田んぼの農民は田植えの時期に市や農協は放射線をはかってくれなかった
と言っていた。「収穫した後汚染して言われたらどうしよう」と言っていたが、
収穫した米はどうだったんだろう。
http://mphoto.sblo.jp/article/46363203.html
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posted by M at 18:37| 原発

サケの遡上

相馬市の宇田川でたくさんのサケが産卵のため遡上していた。
太平洋を福島県松川浦にたどりつて、津波で変わり果てた風景を見ただろうか?
海底のがれきを見て、何を思っただろうか。
臭いもなく味もない大量の放射性物質が垂れ流された海を泳ぎ切ったサケたちはふるさとの変わり果てた姿をみただろうか?ここで卵を産んで子孫を残す。放射能で汚染された水で。
彼らにとってここが生まれ故郷なのだから汚染していようがいまいが戻って来なければならなかった。未来を見つめない人間の愚行が彼らにも影響を与えてしまった。
急流を遡り、ごつごつの岩にこすられ、ぼろぼろの身体になっても必死に産卵場所を求めて故郷の川を遡る。
やがてその身は絶えようとも、未来と子孫のために遡る。人間の愚かさをあざけり笑うかのように。黙々と遡上する。
(10月25日福島県相馬市 宇多川)
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posted by M at 18:01| 原発

2011年10月27日

除染のヒマワリ 南相馬市

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posted by M at 07:54| 原発

2011年10月25日

大熊町の石田洋一さん 福島第一原発20キロ圏内一時帰宅

3月11日の新聞がこたつの上に残されていた。
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posted by M at 07:19| 原発

福島第一原発20キロ圏内 一時帰宅の石田さん

石田家の墓参りにきた。
墓地は葛のつるが絡み草が生い茂っていた。
石田さんと息子の顕太さんは墓に手を合わせ、冥福を祈っていた。
2月に亡くなった奥さんと先祖に「また来るからね」といって線香をたいた。
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posted by M at 07:17| 原発

2011年10月24日

大熊町の石田洋一さん 福島第一原発20キロ圏内一時帰宅

大熊町議会議員をしている石田洋一さんと息子の顕太さんの一時帰宅に同行させていただいた。
石田さんの自宅は福島第一原発から南西におよそ8キロの地点にある。現在の放射線量は2マイクロシーベルト前後。事故当時の放射線量はわからない。親子は冬用衣類とスタッドレスタイヤ、プリンターなどを持ち帰った。
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posted by M at 11:40| 原発

2011年10月22日

低線量被ばくの可能性が考えられる気になる症状

自身も五歳のお子さんをもつ有馬理恵さんが自分で調査した『低線量被ばくの可能性が考えられる気になる症状』
を送ってくれましたので掲載します。
====================================
医師はこの程度の症状は無視するかもしれませんが、とても大事なデータです。
これをもっと知らせないと。そして調査規模も大きくしてデータの厚みと範囲を広げる必要があると思います。
誰でも出来る調査のフォーマットを作る必要があると思います。
そして、集計センターを置いて専門家が分析する体制をつくれると良いのですが。
以下 有馬 理恵さんの調査内容==============================

低線量被ばくの可能性が考えられる気になる症状(2011,10,20調査)
(子どもと未来をつなぐ会スタッフの調査による)
但しこれは、広島原爆被曝医師、肥田舜太郎先生に相談しお聞きした、低線量被ばくの症状例を元に判断し調査したものです。

6歳 男 町田市在住
産まれてからこれまでほとんど鼻血を出さなかったのに、3・11後、10回以上鼻血を出しており、そのうちの3回は25分から30分間鮮血の鼻血が水道の蛇口を全開にしたように大量に出るのです。仰向けには寝ていられず、トイレに垂れ流しの状態で止まるのを待ちました。今現在、鼻の奥に茶色の膿が溜まり、中耳炎が2ヶ月半続いています。耳鼻科に通い抗生物質など処方され服用し続けています。

9歳 男 町田市在住
鼻血3.11以降4ヶ月内に7回立て続けに出た。産まれて初めて。量はタオル一枚濡れるくらい、鮮血

6歳 男 町田市在住
口内炎が3回できた。3.11後、産まれて初めて。

9歳 女 多摩市在住
震災後、約2ヶ月間、抜け毛が凄かったです。毎日、朝、洗面所の前は以前と比べ、落ちている毛が半端ではなく、毎日、ブラシには、びっしり毛がついていました。本人も、はげてしまうのではないか?と心配していたそうです。後日談。当時は季節の変わり目だから抜け毛が多いのかな?くらいにしか思っていませんでした。

7歳 男 町田市在住
夏休みから、二回 口内炎 一週間程 食事出来ず ゼリーなどで 栄養とる、 病院では風邪だと診断、こういう風邪は産まれてはじめて、、、

4歳 女 町田市在住
三回口内炎 今現在進行中 産まれてはじめての事、、、

8歳 男 町田市在住
3.11以来、夜中によく鼻血を出し、布団が真っ赤に。ある時は3日間ほど連続で出したことあり。一度は夜中にずっと血が止まらず、ティッシュが何枚も真っ赤になる。そんな症状がなんどかあった。血は鮮明。塊のようなものが出た時もある。鼻血がでた時は、東京都の放射線量あがった時やその翌日でした。あの連続して止まらなかったときがそうでした!その前にも2回ほど同じ状況がありました。

4歳 女 多摩市在住
微熱が数ヶ月続いています。下痢もかなり長く5ヶ月続いています、病院から整腸剤を処方され服用していますが、治りません。口内炎と足の腫れ。発疹、病院からステロイドを処方されていますが治りません。倦怠感というか、すぐ寝転んでぐったり。

13歳 女 町田市と横浜市の県境在住
生理が月に2回ペース5月より

7歳 男 町田市と横浜市の県境在住 町田市通学
熱が1週間下がらず処方された抗生剤効かず。目の下にクマ、充血、9月入って頻繁に

12歳 男 町田市と相模原市の県境在住 町田市通学
311以降 4月5月、鼻血を頻繁に出すようなる。三日間連続夜になると出た時もありました。 とにかくいつもより、体が疲れるらしく良く寝ていた。寝ている。

11歳 男 町田市と川崎市の県境在住 町田市通学
前々から気管支は弱く何かあると必ず咳がひどくなります。今回は前回の台風後から喉の調子が悪く咳がとまらない状態に、、、熱はなく元気だが粘膜に異変あり。

6歳 女 町田市在住
夏頃、生まれて初めて口内炎ができる。鼻血もほとんど出た事がないのに、6月頃連続で出していた。(311より、飲料水はハワイウォーター。野菜や米もミネラルウォーターで洗っています。野菜は西日本産オンリー。外食もこだわっているお店のみです。)

3歳 男 町田市在住
鼻血を頻繁に出す。7月、9月と原因不明(血液検査異常なし)の熱が1週間続く。10月、手の爪が二本根元から剥がれる。(311より、飲料水はハワイウォーター。野菜や米もミネラルウォーターで洗っています。野菜は西日本産オンリー。魚、肉、卵、乳製品は一度も摂取していません。外食もこだわっているお店のみです。)

11歳 男 町田市在住
311後、急に鼻血が増えた。もともと鼻血体質の子どもだが、夏の暑いとき、興奮したときなどに見られたくらいで小学校低学年を境に減ってきていた。現在の鼻血は量も出かたも明らかに異なる。週に1、2度。静かに座っているとき、就寝中などに突然、血をこぼしたように出る。ティッシュ20枚以上は使う。下痢。おさまったりまた出たりと、波がありながら繰り返している。

9歳 男 町田市在住
4月の半ばに鼻血。もともとまったく鼻血を出さない子だったので驚いた。鼻血は今、ひと月に数回。回数と量は少ないが、原発事故前とはまったく違う様子なので、何か起きているのは明らか。4月後半にやたらにまぶたが重く閉じてしまう感じ。昼間の活発な時間帯なのに、目が重く感じるため、何回も目をぎゅっとまばたきし、重さを振り払っていた。同じ様子は6月、8月にも見られた。倦怠感。

10歳 男 町田市と川崎市の県境在住 町田市通学
夏休みに下痢が3週間以上続く。今まで、お腹の風邪なら治りがけに、又は同時に鼻水や咳がでていた。心配になり食事を減らしたり、お粥にしたりしたが下痢だけ続く。1日に20回以上トイレへ。元気ではあったのでホメオパシーを与えていた。今も治ったと思うと下痢を3日間ぐらい続けておこす。風邪の症状はない。前回の台風のあとも1週間くらいつづいた。

6歳 男 多摩市在住
昨年までは鼻血を殆ど出したことなく、一年に一回あるかないか。今年は5月ころから既に5〜6回鼻血。ちなみに、3月と8月は東京を離れました。

4歳 男 町田市と横浜市の県境在住 町田市通園
四月に生まれて初めて鼻血を出す。それからずっと、量は多くないが、月に何度か鼻血が出る。八月中はずっと広島に滞在。その間はすこぶる健康。横浜に戻ってきてしばらくしてから、ずっと今日まで咳や鼻水など風邪や喘息っぽい症状が続いている。薬をもらうがあまり効いている感じがしない。3月16日から4月1日までは都心を離れていました。

5歳 女 多摩市在住
大量の鼻血がでました。止まらなくて深夜救急に電話したくらいです。
花粉症と重なっていたので その時はなんとも思わなかったのですが よく考えたら低線量被ばくの症状だったのかもしれない。アトピーがいつもより酷い。

9歳 男 町田市在住
アレルギー体質で、もともと季節の変わり目などには寝起きの時間に咳、鼻水が多かったが、4月頃から毎朝、鼻水が出て、咳の頻度も増えた。

6歳 男 町田市在住
まるきり治っていた、喘息の症状が、ちょっぴり痰が出たりして咳している。生まれてから鼻血という症状を出したことのなかった子が、3.11後に鼻血初体験がありましたね。

2歳 女 町田市と横浜市の県境在住
頻繁に鼻血を出しています。耳鼻科に行っても鼻の中に傷がなく医者も首を傾げるばかりで、9月位からず〜と咳をしていて今、血液検査の結果待ちです。

5歳 女 町田市と横浜市の県境在住
咳が続き顔にむくみがでる。

7歳 女 町田市と川崎市の県境在住
9月位から咳が長く続いています。元々気管が弱く喘息とアレルギーがあります。

6歳 女 町田市在住
もともと鼻血はよく出す子ですが、今年は明らかに多いです。夜中に鼻血で起きることが多く、最近はそれにも慣れ、一人で起きてすぐにティッシュでさっと押さえることができるようになりました。8月5日夏祭りの日に鼻血をたくさんだし、あとからその日、放射線量が高かったことを知りました。

2歳 女 荒川区在住
2ヶ月間下痢が続いています。病院から整腸剤を処方され服用していますが、治らず。

3歳 男 町田市在住
喉の痛みを訴えたのですぐに病院で受診したら、肺炎と診断、入院しました。こんなことは産まれてからはじめてです。

8歳 女 多摩市在住
もともとよく鼻血を出しますが、4月・7月の2回の鼻血はいつもより多く出てマクラ・シーツが血の海でした。

7歳 女 町田市在住
3週間ほど微熱がつづいている。朝下がって、夕方になると上がるを繰り返しています。

胎児 (町田市の助産師の話)
311以降9月10月あたりに出産予定していた方が3人流産・死産しました。
最近、4月5月出産予定の方が3人流産しました。
助産院は数が少ないのでなんともいえませんが。
今まではこんなに続きませんでした。
クリニックの医師も最近多いなあとつぶやかれておりました。
逆子に関しては、311直後2人続き、しばらくして戻りましたが、回りの友達にも「逆子になったんです〜」って会話が多くなったようです。

胎児 40歳代 女 町田市と川崎市の県境在住
出産予定日10月だったのが早期出産でした!三ヶ月も早い出産でした。未熟児でしたが、今は母子ともに順調です。一子二子は予定通りの臨月出産でした。

40歳代 女 多摩市在住
震災後2ヶ月間原因不明の咳、喉の痛み腫れているような違和感がありました。頭痛もありました。それまでは頭痛で悩まされることはなかったのですが。動悸も激しかったんです。それまでは、動悸はたまにありましたが、あのときは異常なほどでした。私は5才のときに心臓の手術をしたので、多少、人よりも弱いです。バズビー教授がセシウムは心臓にたまり、不整脈を引き起こすと最近言っていたのをきいたので。

40歳代 女 町田市と横浜市の県境在住
倦怠感、めまい、頭痛が続く

30歳代 女 町田市在住
元々甲状腺に異常があって、ホルモン薬を飲んでいるが、放射線量が高かった時、野外ではくらくらとめまいがしました。

46歳 女 町田市と川崎市の県境在住
もともと喉、はなが弱い。しばらく喘息から遠のいていたが3.11から喉がよくなく、舌に常に何か薬物のような味があった。5月連休新潟ほとんど石川県の海岸沿いに帰省その際は舌の異変なくなる。夏沖縄に行った際にはまったくなくなった!また台風後、町田市にある学校グランドを掃除した後から喉に異変あり、鼻から大量の鼻水くしゃみ止まらず、その後日夜中息ができなくなり夜間救急に行く。そのあと、土壌検査の際に土をいじり、葉をさわっている、、、その夜からくしゃみ、喉に異変、その後声がでない、、、いつもの喘息とは違う感じ医者には咽頭炎といわれる。

43歳 女 町田市と川崎市の県境在住
9才の男児と同じ、目が重くなる感じ。昼間の、眠くもない時間帯に、無性に目が重くなる感じがある。以前はまったくなかったことなので、何か異変が起きていると感じる。

45歳 女 町田市在住
13年位前に甲状腺の炎症をおこした事がある。前回の台風の後、体がだるくて、どうしたらいいかわからないほどの症状。熱は38度くらいでた。風邪かと思っていたが、何かが私の体のなかで起きているのかと思うほど、肩から首、背中までいたくてだるい日が1週間ぐらいつづいた。娘がある日私の首を触って耳の下あたりに手がきたときに、とても違和感を感じ、自分で触ってみたら、腫れていた。以前、甲状腺が腫れたことがあるので、これが肩や首などの凝り、痛み、だるさを起こしていると納得。
昨日から腫れがひき、体のだるさもなくなった。甲状腺の治療薬はムーンフェイスという副作用があり、経験しているので絶対服用したくないと思っていたので安心したけど、放射能の影響なのかと心配になった。

30歳代 女 町田市と横浜市の県境在住
数日間声がかすれ出なくなる症状ありました。

39歳 女 町田市在住
311後、喉の異常、痛み、イガイガが続く、痰がからみ、咳がよくでる。産まれてから40年近く頭痛を経験した事がなかったのに、酷い頭痛が続く、311前より体温が高く微熱が続く。体がだるい。

45歳 男 町田市と川崎市の県境
自治会の美化清掃で草むしりなどした、そのあと、家の周りに溜まった落ち葉など二時間以上掃除したあとから咳がとまらない日が一週間以上続いた。

40歳代 男 多摩市在住
手術で1年半前に胃切除、術後快方へ向かっていたところ原発事故後下痢が増えてしまいました。

30歳代 女 多摩市在住
白血球数の低下、これは幅があるからたまたまかもしれないけど、今回初めて血液検査で経過観察に引っかかりました。昨年12月4000/μl・今年2月6100/μl→今年10月3100/μl)と下痢の頻度も増えています。

45歳 女 町田市在住
4月から左側の喉に痛みと違和感。耳鼻咽喉科で診察受けましたがノドに炎症等はないとの所見
posted by M at 10:13| 原発

飯舘村から 見回り隊の斉藤さん

見回り隊の斉藤さんは週3回自宅に戻ってくる。
ガランとした自宅にこたつを入れて一人ぽつんとテレビを見ていた。
山のヒラタケはどうなったか見に行った。「今年はだめだね」といいながら立派
に育ったヒラタケを放射性廃棄物の検査をするために採集した。
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posted by M at 09:58| 原発

福島市のさくら保育園 7ヶ月ぶりの外遊び

毎日、近くの山に行って遊んでいた子どもたちが事故後、室内に閉じ込められて外遊びが出来ない。
こどもたちは自然の中で遊び、たくさんのことを学んできたし、体力もついてきた。
しかし、半年以上室内いたので筋力も落ちた。
ようやく外で遊べるようになった。しかし、山に行けない。遊ぶ時間は20分から1時間。
それも親の同意を取ってからだ。七ヶ月ぶりの外遊びだった。普段は難なく動かせる三輪車が動かせなくなっていた。(サクラ保育園の三輪車は通常の
三輪車よりずっと重い)室内で過ごしている間に子どもたちの筋力が落ちてしまったのだ。
大好きな砂場はブルーシートが被されたままだ。
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posted by M at 09:58| 原発

飯舘村から 昨年の落ち穂からでた稲が実った。

誰もいなくなった村で昨年の落ち穂が春に芽を出し、実りの秋を迎えた。
今年はどう言うわけか雀の姿が少ないので食べられることがない。
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posted by M at 09:57| 原発

2011年10月20日

減線 子どもを守るペットボトル 福島市渡利 さくら保育園

福島市内で放射線量の高い渡利地区にあるさくら保育園では除洗のため園庭の土の入れ替えを6月4,5日にかけて市が行った。しかし、汚染しているのは園庭だけではない。ベランダに接した部分はコンクリートの上にグリーンのゴムが張ってある。ここが汚染されていた。しかし、市は予算がないとの理由でやってくれない。仕方ないので保護者のアイデアでペットボトルに水を入れ並べることにした。並べたペットボトルは1800本、保護者が集めてくれた。これで約3分の1放射線量が低くなる。
夏の時期は中庭に水を含ませたゴザを敷く。これで少し線量が下がった。
子どもたちを被曝からどう守るか、必死の努力が続いていた。
夕闇のせまる、子どもたちが帰宅した園庭にはペットボトルが不気味に光っていた。
子どもの安全を守れない国に未来はない。
原発を守って子どもを守らない国は滅びてしまう。
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posted by M at 22:14| 原発

飯舘村から 日本ハチミツの蜜の採集

10月19日蕨平の志賀正夫さんが、一時帰宅し、日本ハチミツの採集をおこなった。
春から夏にかけて、サクラ、フジ、ツツジ、クリなど何種類もの花の蜜のミックスだ。
香りがよく、こくがある。しかし、蜂の巣の周辺は毎時4,8マイクロシーベルト前後ある。
それでも蜂はたくさんの蜜を集めていた。
これは放射性物質でどれだけ汚染しているのか、弁当箱に入れて持ち帰り、農民連の食品分析センターで検査してもらう。
なめてみたいがぐっとこらえる。
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posted by M at 07:57| 原発

2011年10月01日

飯舘村から 草刈り

飯舘村の長谷川さんと電話で話した。
明日から村の草刈りが始まるという。
私は「除染のために草刈るの?刈った草はどうするの?」と問い詰めてしまった。
作業する人が埃を吸って内部被曝する恐れを心配して。
長谷川さんは「村じゅう草ぼうぼうでみっともねえ」といった。そして、「刈ったあとは空気中の線量が1μSv上がる」と。

田畑を汚され、放置せざるを得ない村。
夏を越して草ぼうぼうになってしまった村を、黙って見ていられない長谷川さんたちの気持ちが痛いほどわかる。
草を刈ってきれいにしたいと。
でも、草刈りで埃を舞上げ作業の人が被曝してしまう。そして、放射性物質を再拡散させてしまう。

昨日報道された、プルトニウムの検出のことに触れた長谷川さんが「プルトニウムがでた45キロ地点はおれん所の部落だ」と言った。
つらい。悲しくなってしまった。
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前田地区の企画整理された造成農地(8月15日)
posted by M at 09:36| 原発

2011年09月20日

9.19原発反対集会

デモを終えた参加者が新宿駅でもう一つの原子炉が東京湾の入り口にある危険性を訴えていた。
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数万人集まった集会のデモは新宿コースが新宿駅に着いたのは午後5時40分過ぎだった。先頭が出発した2時半過ぎから3時間かかった。TM1_1530.jpg
posted by M at 00:45| 原発

9.19原発反対集会で山本太郎さんが訴えた。

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俳優の山本太郎さんが「目の前の利益を守りたい人には目障りな発言だろう。でも僕たちは命がかかっている。一番大切なのは人々の力だ」と訴えた。
posted by M at 00:09| 原発

2011年09月19日

9.19原発反対集会

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posted by M at 23:58| 原発

9.19原発反対集会に数万人

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東京・明治公園9月19日
posted by M at 23:42| 原発

原発反対9.19集会 千駄ヶ谷駅

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きっとメディアは無視するだろうから、きちんと記録しておかなければと思った。
福島原発事故後最大の集会となった。
明治公園の最寄り駅JR千駄ヶ谷駅は人で埋まってしまった。ホームに人が溢れたため、危険を避けてホームに入ってきた電車が停車せずに通過してしまったとか。


posted by M at 23:38| 原発

2011年09月18日

9月19日飯舘村の長谷川健一さんのお話を聞く会があります。


福島県飯舘村より、酪農家の長谷川健一さんをお招きして、3.11以降の飯舘村のお話をうかがいます。
『までいライフ』を合言葉に、村を愛し、隣人を愛し、真心を込めて生きてこられた飯舘の人々。
でも今は、高濃度の放射性物質が検出され、全村避難を余儀なくされています。
長谷川さんが直に体験されたことを、映像・画像を交えながらお話してくださいます。


※『までい』とは、東北地方の方言で、「手間ひま惜しまず」「丁寧に心をこめて」「つつましく」という意味。飯舘村では、飯舘流スローライフを”までいライフ”と呼ぶそうです。(SEEDS出版 飯舘村監修 『までいの力』より抜粋)

日時:9月19日(月・祝) 10:30〜
場所:森村学園 中等部高等部校舎 3階ホール
   最寄駅 東急田園都市線 つくし野駅下車 徒歩約5分
       またはJR横浜線 長津田駅下車 徒歩約13分

当日は文化祭開催中です。正門に受付がございますので、講演会に参加する旨、お申し出下さい。

問い合わせ:森村学園中等部高等部 田中 典子
      TEL 045-984-2505

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6月12日分再掲載======================================
飯舘村から 酪農家の長谷川さんをあなたの町に呼んでください。

みなさん、
ブログにUPしている、飯舘村の長谷川健一さんが自らの体験を直接みなさんにお話したいとおっしゃっています。呼んでくれるなら何処にでも行くと。
長谷川さんの撮った映像(動画)もあります。

米軍占領下の沖縄・伊江島で銃剣とブルドーザーによる強制的な土地取り上げに反対し
闘うために、カメラを買って米軍の蛮行を記録し続けた阿波根昌鴻さんがいました。
いま、彼と同じように自分の村の体験を後世に残そうと4月にビデオカメラを買って撮影しています。
その映像と一緒に話をします。汚染して村を出て行く人々の無念さや悔しさ、原発への憎しみと汚染の今後の心配など、ともに考える良い機会です。

是非、皆さんに呼びかけて長谷川さんと飯舘村のお話を聞く機会を作っていただけないでしょうか。
連絡は
iikouen@gmail.com
にお願いします。
posted by M at 17:13| 原発

2011年08月22日

「賠償金よりエサよこせ」伊達市霊山の酪農家

菅野伸一さんは牧草が汚染し乳牛に食べさせられなくなった。
それでも、刈り取って処分しなければならない。処分するために収穫するなんて汚染した牛乳を捨て続けた3月、4月と同じ心境だ。

汚染した畑で草刈りやロールにする仕事は誇りを巻き上げ、菅野さん自身も被曝してしまう危険がある。(8月15日)
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posted by M at 00:05| 原発