2011年10月15日

「トモダチ作戦」は軍事作戦の519作戦だった。

陸前高田上空を飛ぶ嘉手納基地所属の救難ヘリHH60(3月25日)
この作戦は純粋な軍事作戦だった。米軍奥地にしない本当の作戦の名前は「太平
洋有事519作戦」だったと石川巌朝日新聞元論説委員が軍事研究2011年9月号に書
いている。同誌によると指令は在日米軍横田基地に置いた。津波にやられた仙台空港
に最初に乗り込んだのが嘉手納基地の米空軍第355特殊作戦群のMC135特殊作戦機
だった。さらに秋田港や花巻空港をはじめて使用し実績を積んだ。「爆弾を投下
したり鉄砲を撃ったりしなかっただけ」(石川 巌)という。
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posted by M at 15:18| 地震・水害など

2011年03月27日

避難所にマッサージの出前

避難所を回って、じっとしているお年寄りにマッサージをして笑顔を振りまいている、整骨院の岩崎健二さんさん。
佐藤 貞美さん(83)の行方不明になった息子が見つからずふさぎ込んでいた。
マッサージを受けて笑顔が戻った。(3月26日 陸前高田市小友町三日市)
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posted by M at 01:43| 地震・水害など

鉄路の柵 JR大船渡線

海沿いを走っていた大船渡線の線路は津波で流され、枕木が柵のようになっていた。(3月26日 脇ノ沢ー小友)
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posted by M at 01:35| 地震・水害など

陸前高田被災地

川原さんのおじいさんが発見された場所で、大阪から犠牲者の供養にとやってきた僧侶が、卒塔婆をたてて、供養してくださった。
祖母と母親が行方不明のままだ。地域の消防団で連日,犠牲者の捜索に当たっている。
川原さんの顔には疲労が色濃く、体力の限界に達している。(3月26日 陸前高田市小友町三日市)
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posted by M at 01:16| 地震・水害など

2011年03月19日

津波 気仙沼レポート1 孫への土産

3月17日午前。宮城県気仙沼市に入った。
港が見える高台に上ると町の全景が見えた。息をのんだ。
すべてが失われている。
340トンの巨大な船が港からはるかかなたに打ち上げられている。先日まで燃え続けた火災はすべてを灰にした。地震、津波、火災。昔「地震、雷、火事、親父」と怖い物の順にたとえられたが今は「地震、原発、津波、火事」だ。
気仙沼の町はイラクやアフガン、コソボ、レバノンなどの戦場で見た破壊された風景とは規模内容が全く違う。

町内会の防災係だった五島正登(65)さんは地震発生後すぐに町内の人たちを安全な高台に避難させた。近くの缶詰工場から流れ出た缶詰を拾って孫へのお土産だといった。何もかもない。水、灯油、食糧、衣類、何もかもない。すぐすべての支援を。

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posted by M at 21:12| 地震・水害など

2010年10月04日

パキスタン洪水被災地12

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水が退いて、カブール川と鉄道の間の村が消えていた。
人口1万1千人のアフガン難民の住むクイッザヘル村だ。
積み上げた煉瓦造りの家は水に浸かれば簡単に崩れ手しまった。
崩れた煉瓦は堆積した土の下に埋まってしまった。
水が退いてい一ヶ月後の9月下旬、避難先から村に戻った住民たちは、埋まった煉瓦を掘り出していた。早く家を建てなければもうすぐ冬がやってくる。
住民たちの疲れ果てた顔が夕方の暗くなりかけた景色に溶け込んでいった。
posted by M at 11:15| 地震・水害など

2010年09月29日

パキスタン洪水被災地11 

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カブール川には小さな橋がたくさん架かっていた。洪水で橋が流され橋脚だけが残った。
川向こうの村は貧しく治安も悪い。橋が壊れて支援の手もさしのべられない。被害の状況がよくわからなかった。(サルタージアバード村)

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橋が流され、渡し船が町と村をつなぐ。


posted by M at 16:33| 地震・水害など

2010年09月27日

パキスタン洪水被災地10

避難した住民は未だにテント生活を余儀なくさせられている。衣食住すべてが不足している。「これから冬が近づいてくる。毛布や暖房器具が欲しい。地べたに寝ていると蛇やサソリにやられるので怖い。ベッドが欲しい」などの切実な要望が避難民のなかから出された。
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子どもたちを励まそうとイスラマバードからお菓子を持って支援の人がやってきた。(ノシェラ)
posted by M at 09:54| 地震・水害など

2010年09月25日

パキスタン洪水被災地9 避難民キャンプ

着の身着のままで逃げてきた避難民は家財道具の一切を失ってしまった。
しかし、被災者への救援の手は届いていない。
テントが届いたのは避難して半月過ぎてからだった。国からの支援ではなくお金持ちの人が寄付してくれたのだという。
国からの支援は何処に行っても見当たらなかった。
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posted by M at 15:20| 地震・水害など

2010年09月23日

パキスタン洪水被災地8

水が退いて、モスクの中にカブール川が運んできた粘土質の泥が厚いところで40センチも積もっていた。村の男たちは自宅の片付けを後回しにして、泥を書き出していた。(ノシェラNowshera)
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posted by M at 11:16| 地震・水害など

2010年09月22日

パキスタン洪水被災地7

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冠水して全滅したトウモロコシ。畑に案内してくれたサイード・カマルさん(40)は腐ったトウモロコシをむしり取る顔は悔しそうだった。(クシュハールガーン村)
posted by M at 19:45| 地震・水害など

パキスタン洪水被災地6 感染症の拡大

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流行性角膜炎は感染力が強い。感染した目をこすったタオルを共有したり、手を洗わないのですぐに感染が広がってしまった。(ノシェラの避難民キャンプ)

避難民キャンプはたくさんの人が一カ所で暮らさざるを得ない。
衛生状態が非常に悪く、抗生物質などの医薬品がないところでは、感染症が一気に広がってしまう。
「せめてきれいな水で体を洗うだけで、飛び火などは改善される。こともたちは日頃,抗生物質の薬を使っていないので、一回使用しただけで飛び火などは翌日は症状が劇的に改善されている」と日パウエルフェア・アソシエーションの督永さんがおっしゃっていた。


posted by M at 11:53| 地震・水害など

2010年09月21日

パキスタン洪水被災地5  運び出した唯一の品・コーラン

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モハメッド・サイードさん(50)の避難テントにはコラーンだけが布に包まれて大切そうにおいてあった。

水が押し寄せてきたのは夜の10時過ぎだった。気づいたときには腰まで水が来ていた。持ち出したのはコラーンだけだった。家、家財道具、現金すべて失った。
アメリカの教会がコラーンを燃やすと言って騒いだ事件を聞いた人々は「聖書を燃やされたらキリスト教徒はどんな気持ちになるのか想像したことがないのでしょうか。彼らは間違っている」と反論した。
posted by M at 23:01| 地震・水害など

2010年09月20日

パキスタン洪水被災地4

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腐った麦の種。


洪水前に取り入れを済ませて倉庫に保管しておいた麦の種は水に浸かったために,腐ってしまった。秋まきの大切な種が無くなった。農民は借金をして種を買わなければならない。
さらに、畑が泥に埋まって、隣の畑との境界もはっきりしない。来年の収穫はこのままでは望めない。
国土の5分の1が冠水し、農地も大きな打撃を受けた。パキスタンの食糧生産に大打撃を与えた。小麦の価格はロシアの輸出禁止措置もあり国際的に値上がりが続いている。

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カブール川が運んできた泥に埋まった畑。
posted by M at 23:07| 地震・水害など

2010年09月16日

パキスタン洪水被災地3

被災者のキャンプに行ってきました。
農業用ビニールシートや布で作られたテント、家財道具やベッドもなく地べたに布を引いて寝ている人々がたくさんいました。「政府は全く何もしてくれない」といっています。
国からだという救援物資を何も見ませんでした。
国連や外国政府から送られた救援資金は役人の懐に入ってしまうというのだ。これで富める者はいっそう富、貧者なさらに貧しくになる。
パキスタンの人々は自然災害と政治災害を払いのけなければならない。

水害発生から50日が過ぎて現地入りし、水の見えない水害取材になりました。
ほとんどのメディアは引き上げました。
しかし、災害の去った後、この国のありようと被災者の苦悩がこれから始まることを、国際社会は黙って見ていて良いのでだろうか?

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森住 卓
Takashi Morizumi
posted by M at 10:35| 地震・水害など

パキスタン洪水被災地2

カブール川の氾濫によって運ばれた肥沃な土が、豊かな実りを約束してくれるのです。しかし、農民にとってはすべての物を失い何の補償もありません。肥沃な土地になったとしても、来期に蒔く麦の種が水をかぶ
り腐ってしまいました。取り入れ前のトウモロコシは無残にも立枯れ、墓標のように立っていました。
運ばれ堆積した土は水平になり、所有者の境がわからなくなってしまいました。土地争いがこれから心配です。
カブール川の水をくみ上げていた灌漑用のポンプも流され、鉄枠だけが残されていました。小麦、トウモロコシ、ジャガイモ、野菜類、などの農業生産は大きな打撃を受けています。
きれいな水が手に入らないため、下痢や感染症がはやっています。自家井戸に洪水が入ったため飲めません。
住民には目がかゆくなる病気でウイルス感染する急性角膜炎が流行しています。汚れた手でこすって感染しその手をタオルで拭きその徹を他の人が使えばウイルスは感染していきます。感染力の強いウイルスなので一気に広まってしまいました。
地域の中心的な病院も水をかぶり、完全に機能停止、閉鎖されたままです。

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森住 卓
Takashi Morizumi
posted by M at 01:57| 地震・水害など

パキスタン洪水被災地1

いま、被災地から帰ってきました。ビザの問題で自由に動くことが危険なため警戒しながらの行動です。
場所はNowshera方面です。イスラマバードから西に150キロほど行ったところです。アフガニスタンにつながる幹線道路です。
この町が水に浸かって50日になりました。すでに水は引いてhなんみんも戻りつつあります。水の引いた町はカブール川が運んできた粘土が50センチから20センチも積もり道路、住居、学校、とにかく全部同じ高さになって積もっています。
粘りのある粘土は掻き出すことも大変で乾く前にはへばりつくし、乾けば固くなってやっかいです。水に浸かった建物は煉瓦を積み上げただけの家ですから、水圧で崩れたりひびが入ったりして外見は損害がないような家でもいつ崩れるかわかりません。危険なので住民は取り壊して建て替えています。ほとんどが借金をして住宅の建築費を出しています。それもできない貧困家庭は戻ってきていません。

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森住 卓
Takashi Morizumi
posted by M at 01:54| 地震・水害など

2010年09月14日

取材許可をもらいました。


今、イスラマバードです。
まだ、こんなところにうろうろしている????と思われる人も多いでしょう。
到着した翌日がラマダン明け。日本の正月にあたるイード。役所、学校、商店みんな休み。
一昨年、昨年と比べイスラマバードは思ったより静かで平和です。

そんなわけで、パキスタン到着後4日目でようやく取材申請してきました。問題は私のビザ。東京でもらったビザには滞在できる場所がイスラマバード、ラホール、カラチと書かれています。
これでは水害被災地から遠く離れたところばかり。なんで???水害取材のためのビザを申請しているのに。と思いつつ、とにかく情報省には行きたいところのを全部リクエストしました。
「何処でも行ってください」と言われ、拍子抜け。ただし、ビザを出した役所が内務省だ。情報省は取材してほしい。
しかし、内務省は外国人にあまりいろいろなところに行って欲しくないのでしょう。
お役所によって対応に違って困ります。
問題が起らなければいいのですが、なぜ制限付きのビザがでたのか理由がはっきりわからないのでとりあえず、今回は無理せずにいけるところに行こうと思っています。



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森住 卓
Takashi Morizumi
posted by M at 19:36| 地震・水害など

2010年09月10日

パキスタンに行ってきます。

パキスタン水害の取材に行ってきます。
洪水が始まって40日以上が過ぎました。
パキスタンの国土を南北に蛇行しながら流れるインダス川は全長
3000キロ以上。洪水は一ヶ月以上かかってアラビア海に到達しました。
被災地は農地大切な食料を生産する農地や住宅を飲み込みながら。その多くが貧
しい人々のくらす地域です。

ビザの制限も厳しくどれほど取材が出来るのか,行ってみなければわかりません
が。現地からブログで取材したことをお伝えします。
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森住 卓
Takashi Morizumi
posted by M at 09:40| 地震・水害など