2012年05月18日

JVJAで福島第一原発取材要請しました。

東電は福島第一原発内に取材をフリージャーナリストに大幅な制限を加えています。これに対してもっと取材枠を広げるように要請文を昨日(5/17)の定例記者会見の席上読み上げ提出しました。
以下、要請書です。
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どうも、フリーのジャーナリストは見て欲しくないところを見ようとしてうろつくので、入れたくないのでしょう。なんでも撮影されてしまうので、見せたくないようですね。
その点、大手メディアの記者は何でも言うことを聞いてくれるのでエスコートしやすいのでしょうか?大手メディアの記者は飼い慣らされている。全てじゃないけれど。NHKの数土経営委員長も東電の社外取締役に入った。これじゃ、毒まんじゅう食わされて何も言えなくなってしまう。
でも、国民が知りたいことはちゃんと知らせるべきです。そのためにジャーナリストは存在しているのです。
posted by M at 09:20| レポート

2012年05月17日

福島第一原発 警戒区域の見直し

20キロ圏内の警戒区域の見直しで、南相馬市小高区に入れるようになった。
津波、干拓する100年前の地形に戻っていた。田んぼは水が引かず湖のようになっている。
よく見ると地形も陥没した用に見える。
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posted by M at 19:42| レポート

飯舘村の桜

ゴールデンウイークが終わった6日夕方、飯舘村に着いた。
翌日早朝、最後の桜が朝日でピンク色に染まった。
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posted by M at 19:37| レポート

福島県伊達市名産の柿の木

除染して、木の皮がはがされて白い幹がなんだか不気味に光っています。
今年はCs137はどのくらいになるのか?減ってくれることを祈るばかり。
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posted by M at 19:35| レポート

2012年05月15日

6月23日神戸で講演します「福島と世界の核汚染」

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2012年05月12日

ウグイスの写真をキビタキに訂正します。

ラジオオートグラフで小鳥の被曝写真を掲載しましたが、たいへんな反響です。そして、大切なご指摘を頂きました。
この写真はウグイスではなく「キビタキ」だと。
「キビタキは、雄は鮮やかな黄色の羽をしておりますが、若い個体や雌はウグイスに似たこのような羽色をしております。掲載されている個体は、尾羽や肩羽の形と色から、当年生まれの若鳥であると思われます。」
以上のようなご指摘を頂き、訂正させていただきます。
そして、キビタキは福島県の県の鳥になっています。

ありがとうございました。



posted by M at 00:57| レポート

2012年04月28日

26年目のチェルノブイリ 30キロ圏内の村に戻った老人 サマショール

ウクライナ北部チェルノブイリ原発事故でふるさとを追われた人々が30キロ圏内に戻って生活している。
かららをサマショールという。
パレシェフ村は30キロ圏内でも低汚染地域だ。かつて300世帯がすんでいた。
いまはイワン セメシュクさん夫妻ほか6人が住んでいる。
事故当時ソフォーズの仕事をしていた。
事故から一週間後の5月3日、自家用車で夜中の11時頃避難した。
途中で何度もチェックポイントがあって、放射線を測られたりして、あさナバグれビア村に着いた。
避難所に着くと身体を冷たい水で洗った。お湯を沸かしていたが避難民が一杯で枠のが間に合わなかった。
年寄りの家庭に3ヶ月ホームステーした。避難する時には3日間だけ避難すると言われたのにその後転々と避難所を変え88年村に戻って来た。
村が汚染しているとは知らなかった。村に戻りたいというと村の担当者は戻って良いと言われた。
「やっぱり、生まれたところだからいい。自然も昔のままだし、食べるものもうまい。ここで暮らせることはとても幸せだ」といった。
食卓にはフナのような川魚の塩焼きの食べ残しが置いてあった。プリピャチ川で釣ったと言った。
「ここで死ぬまで暮らしたい」これがイワンさんとマリアさんのささやかな願いだ。
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posted by M at 08:14| レポート

2012年04月26日

26年目のチェルノブイリ@10キロ圏内コパチ村の保育園

チェルノブイリ原発から10キロ圏内にあるコパ千村の保育園。
子どもたちのかわいい靴や毛糸のパンツ、人形などが残っていた。
園庭は木々が生い茂り,半分埋められた古タイヤが当時の面影を忍ばせていた。
ベッドルームには小さな幼児用2段ベッドが整然と並び、お昼寝から覚めたばかりの子どもたちのうつろな目が私を見つめいるような錯覚にとらわれた。
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posted by M at 15:49| レポート

2012年04月20日

チェルノブイリから 

ホールボディーカウンタ-を受ける子ども。
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posted by M at 04:24| レポート

チェルノブイリから チェチェルスクの学校

汚染の中心地ゴメリから北に百キロのチェチェルスク市の中高学校では高校生た
ちがホールボディーカウンタの検査を受けていた。
ミンスクにあるNGOベルラドが学校を訪問して検査を行っている。
この地域の子どもたちの被曝量は30から40Bq/kgで時々200Bq/kgぐらいのこども
もいる。検査は普通のイスに腰掛けて、5分ぐらいじっとしているだけ。その場
で結果が出る。
子どもたちは不安そうに結果の出るパソコンをのぞき込んでいた。
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posted by M at 04:23| レポート

2012年04月19日

ゴメリの市場の食品検査。

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先ほど、ベラルーシ汚染地の中心地ゴメリ最大の市場行った。肉、乳製品、野菜など市民の胃袋を支えている。食品安全検査場が隣接され、生産者が販売前に放射能の検査を受けた食品だけが市場に並ぶ。市民は安全な食べ物を手に入れられる。
豚の頬に検査済の印のスタンプが押してある。
posted by M at 01:50| レポート

2012年04月17日

チェルノブイリから

ミンスクでゴメリから避難してきた、ナターリアさんに会いました。
チェルノブイリから北西方向にゴメリー、さらに首都モスクワの方向に風が吹い
ていた。当時、ソ連政府はモスクワを守るためにゴメリー上空で人口雨を降らせ
た。雨はチェルノブイリ原発から4放出した放射能を大量に含んだ、いわゆる黒
い雨だった。しかし、住民には知らされなかった。首都モスクワを汚染から守る
ためにゴメリーが犠牲になった。

その後夫、息子、娘を甲状腺がん、胃がんで失い、たった一人になってしまった
彼女は娘が残してくれた孫娘を生きる支えにがんばっている。
ナターリアさんの部屋の壁に飾ってある写真はかわいい孫娘の写真だけ。
息子や娘、夫の写真はないの?と、うかつにも聞いてしまった。
戸棚から閉まってあった子どもたちの写真を撮りだして見せてくれた。
「前に向かって生きるために全部外してしまった」とつらそうに顔をしかめた。
教会でチェルノブイリ被災者は「強い者に与えられた試練なのよ」と言われたと
きから、夫と子どもたちの死を受け入れられるようになったと。
ロシアの伝統的な起き上がりこぼし ニェバリャーシカを見せてくれた。これは私の気持ちと一緒なのだと。
日本にも七転び八起きの精神を表現したダルマという人形があると言うと、お土産にくれた。
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posted by M at 04:09| レポート

2012年04月15日

4月20,21日広島に避難した人たちが被災者の会を結成

飯舘村から広島に避難した、青木さんからお知らせです。
皆さん応援してください。
====以下届いたメール==============
森住さん、お久しぶりです。
今月の20、21日に広島に避難した被災者の会でイベントを行います。
避難区域、各県からの自主避難を問わず、他の政治団体などに利用されないためにも私たちだけで会を作り
生活問題、賠償問題などについて、まとまって活動していきたいと思います。
今回のイベントはこう言った会がある事を広島中に知ってもらい。孤立している被災者などに知ってもらい、まとまる事です。
イベントの事前に記事などで紹介してもらえば、イベントも盛り上がり、会も成功していくと思うので、よろしかったら取り上げてください。
よろしくお願いします。
青木達也=======================

青木さんの家族のことはhttp://mphoto.sblo.jp/article/45598164.htmlで紹介
しています。





森住さん、お久しぶりです。

今月の20、21日に広島に避難した被災者の会でイベントを行います。

避難区域、各県からの自主避難を問わず、他の政治団体などに利用されないためにも私たちだけで会を作り

生活問題、賠償問題などについて、まとまって活動していきたいと思います。

今回のイベントはこう言った会がある事を広島中に知ってもらい。孤立している被災者などに知ってもらい、まとまる事です。

イベントの事前に記事などで紹介してもらえば、イベントも盛り上がり、会も成功していくと思うので、よろしかったら取り上げてください。

よろしくお願いします。

 

青木達也

 




__________ ESET NOD32 Antivirus からの情報, ウイルス定義データベースのバージョン 6629 (20111114) __________



このメッセージは ESET NOD32 Antivirus
によって検査済みです。


http://canon-its.jp



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posted by M at 02:24| レポート

2012年04月07日

20キロ圏立ち入り禁止区域 怒りの看板??

浪江町幾世橋の住宅にかけられていた看板。帰宅した住民に怒りの気持ちが伝わってくる。ユーモアたっぷりに。
怒りを越えて笑っちゃう。笑いがなければ生きられない。
もう帰れないかも知れない住民の気持ちを逆撫でするように、再稼働だと。許せない。
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posted by M at 22:07| レポート

ザマナイ

「ザマナイ」カザフスタンの旧ソ連核実験場セミパラチンスクの閉鎖の闘いの中で歌われたうた。
セミパラチンスク核実験場では1949年から1989年まで40年間にわたり全部で467回もの核実験が行われた。
環境に放出した放射性物質はチェルノブイリの5000倍と言われている。
百数十万人が被曝した。
核実験は最高の秘密にされ周辺住民は沈黙させられた。
1989年2月地下核実験で周辺に高汚染が広がったことを知ったカザフ国民は長年の沈黙を破り核実験反対、被曝者救済の声を公然と上げた。
闘いは燎原の火のように広がりその年の暮れ核実験が中止され閉鎖された。
この時に歌われた「ザマナイ」は多くの人々にカザフ民族の誇りを取り戻させた。
日本語訳のうたをTOMOKOさんCDにした。
このたび私の写真集「新版セミパラチンスク」を使ってPVにして下さいました。
http://www.youtube.com/watch?v=hmaaiYebx_0
posted by M at 21:25| レポート

福島第一原発20キロ圏立ち入り禁止区域 希望の牧場の牛たち1

厳しい寒さを乗り越え、ようやく牧草地に柔らかな緑が芽生えてきた。
冬の間乏しい乾草で命を繋いできた牛たちは生きかえったように輝きを増し、次々と新しい命が誕生している。

この厳冬期に生まれた牛は寒さと栄養不足で次々となくなった。それでも生き残った子牛はいま元気に牧場を母牛と駆け回っている。

政府の殺処分に「牛飼いの意地」だと反対して飼い続けてきた牧場長の吉沢正己さんは「経済的価値を失った牛たちを飼い続ける意味は何か、まるで禅問答のようだ」
といいながら汚染した牧場から逃げずに事故の責任を追求している。
ここで牛を飼い続けることは、事故を起こした東電と国への抗議の証しでもある。
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posted by M at 17:06| レポート

2012年04月06日

続報 羽田空港に飛来した巨大米軍輸送機

4月4日にブログにUPして、いろいろな方から情報を頂いた。
すでにTV や新聞で報じられていたんですね。強風のため緊急避難とか?
機種は米軍最大の輸送機C5B。ハワイから来たという。

かつて、台風からの避難という理由で沖縄の嘉手納基地にグアムからB52がやって来た。
これは嘉手納へのB52配備の地ならし。沖縄県民を慣らすためだった。そして、いつの間にか常駐。すなわち居座ってしまった。
羽田に米軍機が常駐なんて言うことはないと言い切れない。

敗戦間もない1945年9月21日、突然占領軍の米軍は羽田にあった羽田鈴木町、穴守町、江戸見町の三つの町の住民に24時間以内に立ち退けと命令。
強制接収した町は一夜にして空港にされてしまった。
撤去作業中事故が相次ぎ取り壊されず残された穴守稲荷神社の鳥居は当時の米軍の暴虐をじっと見ていたのだろう。
そのいきさつは
http://blogs.yahoo.co.jp/to7002/36260900.html
に詳しい。


--
森住 卓
Takashi Morizumi
090-7715-2305
posted by M at 22:19| レポート

2012年04月05日

接近空撮 福島第一原発4

汚染水の処理タンクや汚染物質の保管コンテナが所狭しと並んでいた。
周辺の松林を切り開いて汚染処理タンクが並べられている。
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posted by M at 14:15| レポート

接近空撮 福島第一原発3

チャーターしたヘリは規制空域3キロギリギリで原発に接近した。
高度300b最接近した時の放射線量は以外にも0,8ミクロシーベルト/時だった。
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posted by M at 14:15| レポート

接近空撮 福島第一原発2

3号機はプルサーマルでMOX燃料を使っていた。大量のプルトニウムニュウムが存在する。プルトニュームは地上最も危険な物質。
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posted by M at 14:15| レポート

接近空撮 福島第一原発.1

4号機は格納容器の黄色いフタが見えて左端には作業員のすがたが。決死の被曝労働が続く。 彼らのおかげで何とかおとなしくしている使用済み燃料だが、予想される大地震では崩壊爆発の危機が迫っている。プールの中には1535本の使用済み燃料が入っている。原子炉に入る2倍もの量だ。使用済み燃料プールに落ちている瓦礫の除去、バケツのような金属容器をクレーンでプールの中に入れ、水の中で燃料棒をバケツに入れ蓋をしプールから出し、外の入れ物に移し替える。作業はクレーンが大破したので新しいクレーンの建設から始める。東電の計画では取り出しは2013年の12月からと言うことだ。この作業は何年もかかるだろう、その間に大きな地震が来たら一貫の終わりだ。
国が冷温停止状態=終息宣言をしたが実態は全く危機的状態がずっと続き、深刻さは増している。
だから、脅かしでも何でもなくて,東京の人も4号機が爆発したらすぐに逃げた方が良い。大きな地震が来ないことを祈るしかない。

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posted by M at 13:57| レポート

2012年04月04日

羽田空港で米軍輸送機発見

4月4日午後4時45分到着機の窓から駐機場に移動中の機内から米軍輸送機が見え
た。尾翼にはTRAIVSと書かれているようだ。星条旗のマークも見える。
どなたか、詳しい情報ご存じですか?
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posted by M at 17:25| レポート

2012年03月29日

帰還する村 川内村の保育園

3月13日、川内村の保育園。
ちょうど一年前、高い放射線量を検出した我々は、川内村役場に避難するよう要請にいった。
あれから1年が過ぎた。
4月から村は帰還する。
保育園では除染がほぼ終わり,モニタリングポストの線量計は0,31μSv/hを示していた。
東京の6倍前後ある。
しかし、周辺の山には放射性物質が降り積もったままだ。
春には埃と一緒に放射性物質の微粒子が舞い上がる。
そんな環境で子どもたちが生活させてはいけない。
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posted by M at 10:22| レポート

2012年03月21日

3月20日イラク戦争9周年 脱原発金沢ピースマーチ

とっても元気で楽しいPeace & Loveのマーチでした。
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posted by M at 10:30| レポート

2012年03月17日

3月20日金沢で講演します。

森住 卓 講演会
「チェルノブイリ・イラク・福島」

日時:3月20日10時30分から12時30分
会場:石川県教育会館(金沢市香林坊1)
http://www.doko.jp/search/shop/sc20329259/

主催:ピースウオーク金沢 実行委員会
posted by M at 20:44| レポート

緊急、明日3/18富山で公演します。


★森住 卓 講演
 「福島第一原発 風下の村(Down Winders)」
 3月18日(日)13:30〜15:30(13:00開場) 
     
フクシマから1年 イラク戦争から9年
   3.18 さようなら原発 もう動かさないで
   〜安心して暮らせる街を子や孫たちに〜

 会 場  明治安田生命ホール(定員190名)
        JR富山駅前 076-444-7003

 参加費  一般1000円 学生500円
       ※高校生以下及び障害者の介助者は無料
posted by M at 20:34| レポート

2012年02月21日

2.19脱原発杉並集会 

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posted by M at 21:33| レポート

2012年02月15日

JVJA写真・映像報告会「3・11東日本大震災から1年〜大津波と核汚染」(仮)

JVJA写真・映像報告会「3・11東日本大震災から1年〜大津波と核汚染」(仮)
日時:2012年4月1日(日)午後1時半〜5時
場所:明治大リバティタワー・地下一階1001教室(東京・御茶ノ水) 
共催:日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)/現代史研究会)
posted by M at 22:34| レポート

2012年02月02日

除染より除雪 

大寒波襲来の会津地方。こちらも大雪に見舞われている。
福島第一原発の大熊町の人たちが避難している会津若松の仮設住宅では毎日雪かきが日課になっている。
浜通では年に1,2回しか降らなかった雪。毎日降る雪に「もう、うんざりだ」と鉛色の空を見上げた。
大熊町は町への帰還に向けて「除洗のモデル」事業が始まった。
しかし、いつ帰れるかもわからない中で,帰れないのなら仮設から出て永住出来るところを探して欲しいと言う声が聞こえた。
除染は結果が見えないが除雪は結果が見える。
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posted by M at 09:06| レポート

2012年01月29日

2012年 飯舘村から1

伊達市石田の酪農家菅野伸一さんの家で出産シーンの撮影が終わると外が明るくたってきた。
ここから山一つ超えれば飯舘村だ。雪景色の日の出を撮影できる良いチャンス。
雪の山道はさらさらの雪が積もっていて気持ちよく車を走らせることが出来た。
峠を越えて飯舘村に入ると山の向こうから朝日が昇ってきた。
誰もいない村に雪がつもり、悲しみや怒りを包み込んで夜が明けてきた。
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posted by M at 13:02| レポート

福島第一原発・特定避難勧奨地点の酪農家

一昨夜から伊達市霊山町i石田の酪農家・菅野伸一さんの家に泊まり込んで牛の出産シーンの撮影をした。
福島原発から北西48キロ地点にある。朝5時、外は氷点下10度。産気づいた母牛
が破水して出産が始まりました。だが、通常2本の前足が出てくるはずが,片方
だけ。もう一方の足は膝が折れ曲がって出てこれない。
菅野さんが一旦、子宮内に押し込んで、曲がった足を伸ばして仕切り直し。
自力で産み落とし事ができなくなった母牛は親牛は苦しそうに目が点になっている。
出かかった両足を引っ張って出すしかない。菅野さんと奥さんの二人で引っ張り出した。
ニュルッと出てきた赤ちゃんを逆さにして、飲んだ羊水をはき出させ、心臓マッサージをしたが蘇生しな
かった。駄目だった。濡れた体から湯気が立ち上った。
母牛は元気。奥さんの美佐子さんが「よく頑張ったね」と母牛のほほをなでてねぎらいの言葉をかけていた。
伸一さんが作った、ビタミンとカルシューム入りの味噌汁を飲ませた。ごくごくと、うまそうにバケツ3杯飲んだ。
子牛が死んだからと言って、酪農家はセンチメンタルになっていられない。
母牛が元気なので次に希望を繋ぐ。これからたくさん乳を出して、酪農家の暮らしを支えてくれる。
それにしても、3.11事故以来、事故死や異常出産が多いという。(2012年1月28日)
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posted by M at 13:01| レポート

2012年01月25日

2月10日広島県福山市で講演会行います。

福島からの報告
2月10日18:30〜
まなびの館 ローズコム 福山生涯学習プラザ4F
資料代:500円
連絡先:090-7371-0134(平和・民主革新の日本をめざす福山懇話会)
posted by M at 22:50| レポート

2012年01月21日

「福島第一原発 風下の村から」の緊急報告

福島第一原発
風下の村からの緊急報告
【スライドとお話:森住 卓さん(フォトジャーナリスト)】
東日本大震災発生の翌日、森住氏は福島に入った。まだ報道管制はしかれておらず、彼のゆくてを阻むものは何一つ無かった。ただ、世界の核被害の現場でも見たこと
のないほど高い放射線測定値のほかには…。
2月12日(日)
13:00〜15:00
周南市文化会館
http://enjoy-live.net/detail/detail.php?hall_id=274
(地下) 練習室1
資料代 1000円
主催:原発いらん!山口ネットワーク
お問合 090−7991−7412 (那須)
posted by M at 21:05| レポート

2012年01月20日

2月18日練馬で講演します。

2月18日(土)14:00〜16:30
練馬区勤労福祉会館1F集会室
西武池袋線大泉学園南口徒歩3分
練馬区東大泉5-40-36
参加費:1000円(高校生以下500円)
主催:原発を考える会@ねりま
  03-6760-9446(宮前)

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posted by M at 10:47| レポート

2012年01月17日

沖縄東村高江ヘリパット反対座り込みの上空に米軍ヘリ飛来。

沖縄防衛局の工事強行に抗議して座り込む住民の上を米軍ヘリが爆音をとどろかせてやってきた。
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posted by M at 13:53| レポート

沖縄ヘリパット反対の高江、防衛局が来た。

1月17日午前10時40分、今年始めての防衛局工事強行しようと、
北部訓練場のある東村高江のN4ゲートに車両10台重機1台を運び込んだが、反対する住民に阻止されている。
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posted by M at 11:28| レポート

2012年01月14日

2/11広島で講演します。

みなさん来てください。
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posted by M at 10:57| レポート

2012年01月11日

2月18日(土)練馬で講演会します。

Photo&talk
子どもを放射能から守れ
「世界の核汚染と福島」…現地ルポ
フォトジャーナリスト 森住卓講演会
2月18日(土)午後2時〜4時30分(1時30分開場)
練馬区・勤労福祉会館1階集会室
(西武池袋線大泉学園駅南口から3分、練馬区東大泉5―40―36)
参加費 1,000円(高校生以下500円)
主催:原発を考える会@ねりま 
問い合わせ・連絡先 genpatu.nerima@gmail.com
fax 03・6760・9446(宮前)
参加予約受付中!
posted by M at 23:39| レポート

20キロ警戒区域内 餓死した牛

正月元旦、20キロ警戒区域内にある浪江町の牛舎に行った。
夕日が差し込んだ牛舎の中は静まりかえっていた。
クモの巣が時折風に揺れていた。
3月12日事故発生直後、20キロ圏内には3000頭の牛がいた。

住民はとるものもとらず、緊急避難して、それっきりになってしまった。
牛舎から放され野生化した牛となった。
牛舎には繋がれたままの牛が残っていた。
やがて牛舎から牛の牛のなき声が消えた。
牛舎をおおう異臭は冬とともに収まり、文字通り皮と骨のミイラが牛の原形をとどめていた。
息絶えた牛の背後から近づくと、立ち上がろうとするかのようにカメラを見つめていた。
眼孔がぽっかりあいたその奥にはウジがサナギになって、これもミイラになっていた。
しゃがみ込むと腐臭が漂ってきた。
壮絶な死が目の前に広がっている。
心の奥底からやり場のない怒りがこみ上げてきた。
だが、牛舎を離れるた後、あの惨状を表す言葉が見つからなかった。
写真を発表すべきか否か・・・・。

「自分の屍が役に立つなら…と、世に出すことを願っているような気がします。福島の苦しみを余すことなく伝えて欲しいのは、人間も牛も同じだと思うから」
と友人からのメールがきた。
だから、勇気を出して公表する。
目をそらさずにしっかり見て、脳裏に焼け点けて欲しい。

牛たちの屍は原発に頼ってきた、人間の愚かさを告発している。
(2012年1月1日浪江町)
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posted by M at 23:20| レポート

沖縄東村高江で福島の話しをします。

明日から、沖縄取材です。
1年ぶりの東村高江の「ヘリパットいらない住民の会」から福島の話しをして欲しいと頼まれました。
お近くの人ぜひ、お越し下さい。
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2012年01月02日

20キロ圏内のノラ牛

浪江町の常磐線踏切で変な格好の牛を見かけた。
まだ若い。
よく見ると生ゴミを堆肥化させるコーンポストに首を突っ込んで抜けなくなってしまったらしい。
かろうじて餌は食べられそうだが、外してあげようと追いかけたが、野生化した牛は逃げ足の速い。
こちらが疲れ果てて逃げ切られてしまった。(2012年1月1日浪江町)
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浪江町立請戸小学校体育館


請戸小学校体育館 卒業式の看板が掲げられたまま。時間は津波が襲った時に止まってしまった。(2012年1月1日)
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無人の町に日が昇る

2012年元日、20キロ圏内・浪江町に上った初日の出。
撮影中、防災無線から7時を告げるチャイムが鳴った。メロディーはゲーテ詩の「野バラ」だった。
希望に満ちた曲が静寂の支配する町に響き渡った。
「童は見たり、荒れ野のバラ、朝とく清く 嬉しや見んと ・・・・」という詩が浮かび、嗚咽ととともにファインダーが曇ってしまった。
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2011年12月28日

福島第一原発 .3月13日配達されなかった新聞 浪江町の新聞販売店


20キロ警戒区域内にある浪江町の新聞販売店の店先に野積みされた未配達の新聞
があった。日付は3月13日の毎日新聞。早朝届いた新聞は住民が避難のどさくさ
で配達されなかったのだろう。(2011年12月26日)
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2011年12月14日

写真集発刊のお知らせ

人類は核と共存できない、そして核被害を忘れてはならない。
子どもたちの未来のために。
「新版 セミパラチンスク 草原の民 核の爪痕」(1800円税別 高文研)
「福島第一原発 風下の村」(1000円税込 扶桑社)の2冊ができました。
★「セミパラチンスク」は旧ソ連の核実験場でした。
21年前に実験は終わりました。
40年間で467回の核実験を行い、環境に放出された放射性物質はチェルノブイリの5000倍にのぼる。
実験場周辺には百数十万人のヒバクシャが今なお、ガンや白血病、奇形児出産などに苦しんでいます。

★「福島第一原発 風下の村」は第一原発から30キロ圏の外側の高汚染の村・飯
舘村の人々を追ったフォトルポです。
4月以降当ブログに発表し続けた「飯舘村から」の写真を中心に編集しました。
高線量の村で避難のための補償もないまま被曝を続けた人々。
愛する家族がバラバラにされ、美しいふるさとから村人と牛が消えていきました。
原発事故が全てを奪うことを知ってほしいのです。

お求めは


「新版 セミパラチンスク 草原の民 核の爪痕」
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%83Z%83%7E%83p%83%89%83%60%83%93%83X%83N



この本を多くのかたに見ていただきたいのです。
普及にご協力ください。

お申し込みはtakashi@morizumi-pj.comへ。
10冊以上お買い求めいただいた方には特別割引があります。

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2011年12月05日

12/7 (水)世界のヒバクシャ緊急フォーラム 私もスカイプで出演します。

福島のとあるところからスカイプで汚染の状況と人々の暮らしを報告します。
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2011年11月24日

12/3佐世保で森住卓講演会

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2011年11月22日

12/3多摩市 飯舘村の酪農家・長谷川さんが講演します。皆さん来て下さいね。

皆さん、是非宣伝して下さい。

2011年12月3日(土)
午後6時30分〜8時30分

場所 関戸公民館 ヴィータホール 
http://ticket-search.pia.jp/pia/venue/venue_access_map.do?venueCd=TMS3
(京王線聖蹟桜ヶ丘駅 徒歩2分 OPAビル8F)
子どもと一緒に聞けるブースもあります。

参加費 500円(予約は必要ナシ)
主催「放射性物質からいのちを守る多摩市民の会」
連絡先 090−5191−3832(吉田)

写真は11月11日掲載したものを再掲載しました。
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長谷川健一さんへの講演依頼はiikouen@gmail.comにご連絡下さい。
posted by M at 17:00| レポート

2011年11月17日

11/20水戸市で講演会です。

東海第2原発の再稼働は許さず、廃炉に
「世界の核汚染を福島」13:30〜
県立青少年会館大会議室 Tel:029-226-1388
資料代:500円
主催:茨城県平和委員会 Tel:029-251-2806
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12月11日東京母親大会で講演します。

東京母親大会
記念講演「放射能から子どもを守ろう、いのちを守ろう、見つめよう日本の未来・世界の核汚染と福島」
12月11日10;00〜
品川キュリアン
http://www.shinagawa-culture.or.jp/hp/page000000300/hpg000000268.htm
〒140-0011 東京都品川区東大井5丁目18−1
参加協力会員券:2000円
お問い合わせ:東京母親大会実行委員会
03-3230-1734
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2011年11月12日

飯舘村から ネコと犬

住民は全村避難した。飼っていた犬やネコを一緒に連れて行きたくても、仮設住宅や借り上げアパートでは飼うことが出来ない。
仕方なく、飯舘村の自宅に残して餌を上げに来る住民がほとんどだ。
主がいなくなり寂しいのか親子の犬が私の後を追ってきた。
餌をねだっていたネコはもらえないとわかって、あくびをした。
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飯舘村から 雨上がりの朝

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2011年11月11日

私はモルモットにならないー福島県健康管理調査表に記入を拒否

飯舘村の長谷川健一さんは福島県が行っている健康調査表の記入を拒否し、抗議の意味を込めてサインペンでおもてに大きく「山下俊一のモルモットにはならない」と書いて提出する。

3月下旬飯舘村を訪れた福島県の健康管理リスクアドバイザーの山下俊一氏(長崎大学)は飯舘村の住民を前「子どもたちは外で遊ばせても大丈夫」と言った。
翌日、国は飯舘村などを計画的避難区域に指定し、一ヶ月をめどに全村避難しなければならなくなった。
講演を聴いた住民からは「あの(子どもを外で遊ばせても大丈夫)話なんだったんだ」と山下氏のいい加減な発言への抗議が殺到した。

山下俊一氏の発言を信じて子どもたちの避難が遅れたのだ。
長谷川健一さんは健康調査は「彼の研究材料にされるだけだ」と怒っている。
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2011年11月09日

講演のお知らせ11月13日(日)13:00〜14:30千歳市民文化センター

森住卓 講演会「世界の核汚染と福島」
11月13日13:00-14:30
千歳市民文化センター・大会議室
〒066-0036 北海道千歳市北栄2丁目2-11
地図http://www.chitosebunka.jp/center/map/
http://www.morizumi-pj.com/sc1.html#chitose
参加費:前売り800円(当日千円)
主催;念仏者九条の会・北海道ちとせ九条の会「つどい」実行委員会
連絡先:
念仏者九条の会・北海道(忍関TEL/FAX 0146-35-3354
t-nin902@guitar.ocn.ne.jp)
「つどい」実行委員会(渡辺TEL/FAX 0123-23-3423)
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さかなのサンプル汚染調査 いわき市久ノ浜 11月7日

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原発反対座り込み 経産省前10月28日

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2011年11月06日

パパママぼくの脱原発ウオーク(2)三鷹吉祥寺

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posted by M at 21:45| レポート

パパママぼくの脱原発ウオーク(三鷹・吉祥寺)

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posted by M at 21:33| レポート

2011年11月05日

除染2福島市蓬莱町の公園

福島市内の除染作業が行われていた。
高圧洗浄機で水を吹き付けアスファルトを洗浄する。
その水は下水に流れ込む。
植え込みの緑は全部根元から切られていった。
公園の放射線量線量はさがっても放射性物質がなくなったわけではない。
移動させただけだ。このいたちごっこがいつまで続くのか?
来年の夏は緑が減った福島県はとても暑くなるだろう。
どおすりゃいいんだ????
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posted by M at 21:57| レポート

2011年11月03日

除染(埼玉県三郷市立幸房小学校)

10月8日 市、教職員と父母が協力して一斉に校庭の土をはぎ取る作業が行われた。
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2011年11月01日

飯舘村から

飯舘村で稔った米(10月20日)
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posted by M at 22:24| レポート

福島第一原発.最近の状況

枝野が記者連れて中に入るって?質問しても突っ込まない仲良しクラブの記者クラブを連れて。
フリーのジャーナリストはダメなの。それじゃ一人で行くしかないか。
先日行った時には、福島第1の1号機はすっかり覆い隠されていました。
これで放射能洩れが防げるなんて思わないで下さい。
外から見えないように隠しただけです。
2、3,4号機も隠すつもりだ。
事故後も隠す体質は変わっていません。
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福島県伊達市霊山町上小国の田んぼ

収穫の終わった霊山町上小国のたんぼ。朝日を浴びて美しかった。
ここは6月に撮影をした。特定避難勧奨地点となっていたところだ。
ここの田んぼの農民は田植えの時期に市や農協は放射線をはかってくれなかった
と言っていた。「収穫した後汚染して言われたらどうしよう」と言っていたが、
収穫した米はどうだったんだろう。
http://mphoto.sblo.jp/article/46363203.html
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posted by M at 18:37| レポート

サケの遡上

相馬市の宇田川でたくさんのサケが産卵のため遡上していた。
太平洋を福島県松川浦にたどりつて、津波で変わり果てた風景を見ただろうか?
海底のがれきを見て、何を思っただろうか。
臭いもなく味もない大量の放射性物質が垂れ流された海を泳ぎ切ったサケたちはふるさとの変わり果てた姿をみただろうか?ここで卵を産んで子孫を残す。放射能で汚染された水で。
彼らにとってここが生まれ故郷なのだから汚染していようがいまいが戻って来なければならなかった。未来を見つめない人間の愚行が彼らにも影響を与えてしまった。
急流を遡り、ごつごつの岩にこすられ、ぼろぼろの身体になっても必死に産卵場所を求めて故郷の川を遡る。
やがてその身は絶えようとも、未来と子孫のために遡る。人間の愚かさをあざけり笑うかのように。黙々と遡上する。
(10月25日福島県相馬市 宇多川)
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posted by M at 18:01| レポート

2011年10月27日

除染のヒマワリ 南相馬市

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posted by M at 07:54| レポート

2011年10月25日

大熊町の石田洋一さん 福島第一原発20キロ圏内一時帰宅

3月11日の新聞がこたつの上に残されていた。
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posted by M at 07:19| レポート

福島第一原発20キロ圏内 一時帰宅の石田さん

石田家の墓参りにきた。
墓地は葛のつるが絡み草が生い茂っていた。
石田さんと息子の顕太さんは墓に手を合わせ、冥福を祈っていた。
2月に亡くなった奥さんと先祖に「また来るからね」といって線香をたいた。
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posted by M at 07:17| レポート

2011年10月22日

JVJA写真展「3.11メルトダウン」開催中

JVJA写真展「3.11メルトダウン」
http://fotgazet.com/news/000144.html
10月22日から11月6日
キッドアイラック(京王線明大前)
http://www.kidailack.co.jp/?page_id=8

同会場にて
森住卓&鎌仲ひとみトークショー
10月28日午後7時から
参加費1000円
定員30名
お申し込み、お問い合わせ:
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会事務局
TEL. 090-6101-6113   E-mail. office@jvja.net
posted by M at 21:51| レポート

低線量被ばくの可能性が考えられる気になる症状

自身も五歳のお子さんをもつ有馬理恵さんが自分で調査した『低線量被ばくの可能性が考えられる気になる症状』
を送ってくれましたので掲載します。
====================================
医師はこの程度の症状は無視するかもしれませんが、とても大事なデータです。
これをもっと知らせないと。そして調査規模も大きくしてデータの厚みと範囲を広げる必要があると思います。
誰でも出来る調査のフォーマットを作る必要があると思います。
そして、集計センターを置いて専門家が分析する体制をつくれると良いのですが。
以下 有馬 理恵さんの調査内容==============================

低線量被ばくの可能性が考えられる気になる症状(2011,10,20調査)
(子どもと未来をつなぐ会スタッフの調査による)
但しこれは、広島原爆被曝医師、肥田舜太郎先生に相談しお聞きした、低線量被ばくの症状例を元に判断し調査したものです。

6歳 男 町田市在住
産まれてからこれまでほとんど鼻血を出さなかったのに、3・11後、10回以上鼻血を出しており、そのうちの3回は25分から30分間鮮血の鼻血が水道の蛇口を全開にしたように大量に出るのです。仰向けには寝ていられず、トイレに垂れ流しの状態で止まるのを待ちました。今現在、鼻の奥に茶色の膿が溜まり、中耳炎が2ヶ月半続いています。耳鼻科に通い抗生物質など処方され服用し続けています。

9歳 男 町田市在住
鼻血3.11以降4ヶ月内に7回立て続けに出た。産まれて初めて。量はタオル一枚濡れるくらい、鮮血

6歳 男 町田市在住
口内炎が3回できた。3.11後、産まれて初めて。

9歳 女 多摩市在住
震災後、約2ヶ月間、抜け毛が凄かったです。毎日、朝、洗面所の前は以前と比べ、落ちている毛が半端ではなく、毎日、ブラシには、びっしり毛がついていました。本人も、はげてしまうのではないか?と心配していたそうです。後日談。当時は季節の変わり目だから抜け毛が多いのかな?くらいにしか思っていませんでした。

7歳 男 町田市在住
夏休みから、二回 口内炎 一週間程 食事出来ず ゼリーなどで 栄養とる、 病院では風邪だと診断、こういう風邪は産まれてはじめて、、、

4歳 女 町田市在住
三回口内炎 今現在進行中 産まれてはじめての事、、、

8歳 男 町田市在住
3.11以来、夜中によく鼻血を出し、布団が真っ赤に。ある時は3日間ほど連続で出したことあり。一度は夜中にずっと血が止まらず、ティッシュが何枚も真っ赤になる。そんな症状がなんどかあった。血は鮮明。塊のようなものが出た時もある。鼻血がでた時は、東京都の放射線量あがった時やその翌日でした。あの連続して止まらなかったときがそうでした!その前にも2回ほど同じ状況がありました。

4歳 女 多摩市在住
微熱が数ヶ月続いています。下痢もかなり長く5ヶ月続いています、病院から整腸剤を処方され服用していますが、治りません。口内炎と足の腫れ。発疹、病院からステロイドを処方されていますが治りません。倦怠感というか、すぐ寝転んでぐったり。

13歳 女 町田市と横浜市の県境在住
生理が月に2回ペース5月より

7歳 男 町田市と横浜市の県境在住 町田市通学
熱が1週間下がらず処方された抗生剤効かず。目の下にクマ、充血、9月入って頻繁に

12歳 男 町田市と相模原市の県境在住 町田市通学
311以降 4月5月、鼻血を頻繁に出すようなる。三日間連続夜になると出た時もありました。 とにかくいつもより、体が疲れるらしく良く寝ていた。寝ている。

11歳 男 町田市と川崎市の県境在住 町田市通学
前々から気管支は弱く何かあると必ず咳がひどくなります。今回は前回の台風後から喉の調子が悪く咳がとまらない状態に、、、熱はなく元気だが粘膜に異変あり。

6歳 女 町田市在住
夏頃、生まれて初めて口内炎ができる。鼻血もほとんど出た事がないのに、6月頃連続で出していた。(311より、飲料水はハワイウォーター。野菜や米もミネラルウォーターで洗っています。野菜は西日本産オンリー。外食もこだわっているお店のみです。)

3歳 男 町田市在住
鼻血を頻繁に出す。7月、9月と原因不明(血液検査異常なし)の熱が1週間続く。10月、手の爪が二本根元から剥がれる。(311より、飲料水はハワイウォーター。野菜や米もミネラルウォーターで洗っています。野菜は西日本産オンリー。魚、肉、卵、乳製品は一度も摂取していません。外食もこだわっているお店のみです。)

11歳 男 町田市在住
311後、急に鼻血が増えた。もともと鼻血体質の子どもだが、夏の暑いとき、興奮したときなどに見られたくらいで小学校低学年を境に減ってきていた。現在の鼻血は量も出かたも明らかに異なる。週に1、2度。静かに座っているとき、就寝中などに突然、血をこぼしたように出る。ティッシュ20枚以上は使う。下痢。おさまったりまた出たりと、波がありながら繰り返している。

9歳 男 町田市在住
4月の半ばに鼻血。もともとまったく鼻血を出さない子だったので驚いた。鼻血は今、ひと月に数回。回数と量は少ないが、原発事故前とはまったく違う様子なので、何か起きているのは明らか。4月後半にやたらにまぶたが重く閉じてしまう感じ。昼間の活発な時間帯なのに、目が重く感じるため、何回も目をぎゅっとまばたきし、重さを振り払っていた。同じ様子は6月、8月にも見られた。倦怠感。

10歳 男 町田市と川崎市の県境在住 町田市通学
夏休みに下痢が3週間以上続く。今まで、お腹の風邪なら治りがけに、又は同時に鼻水や咳がでていた。心配になり食事を減らしたり、お粥にしたりしたが下痢だけ続く。1日に20回以上トイレへ。元気ではあったのでホメオパシーを与えていた。今も治ったと思うと下痢を3日間ぐらい続けておこす。風邪の症状はない。前回の台風のあとも1週間くらいつづいた。

6歳 男 多摩市在住
昨年までは鼻血を殆ど出したことなく、一年に一回あるかないか。今年は5月ころから既に5〜6回鼻血。ちなみに、3月と8月は東京を離れました。

4歳 男 町田市と横浜市の県境在住 町田市通園
四月に生まれて初めて鼻血を出す。それからずっと、量は多くないが、月に何度か鼻血が出る。八月中はずっと広島に滞在。その間はすこぶる健康。横浜に戻ってきてしばらくしてから、ずっと今日まで咳や鼻水など風邪や喘息っぽい症状が続いている。薬をもらうがあまり効いている感じがしない。3月16日から4月1日までは都心を離れていました。

5歳 女 多摩市在住
大量の鼻血がでました。止まらなくて深夜救急に電話したくらいです。
花粉症と重なっていたので その時はなんとも思わなかったのですが よく考えたら低線量被ばくの症状だったのかもしれない。アトピーがいつもより酷い。

9歳 男 町田市在住
アレルギー体質で、もともと季節の変わり目などには寝起きの時間に咳、鼻水が多かったが、4月頃から毎朝、鼻水が出て、咳の頻度も増えた。

6歳 男 町田市在住
まるきり治っていた、喘息の症状が、ちょっぴり痰が出たりして咳している。生まれてから鼻血という症状を出したことのなかった子が、3.11後に鼻血初体験がありましたね。

2歳 女 町田市と横浜市の県境在住
頻繁に鼻血を出しています。耳鼻科に行っても鼻の中に傷がなく医者も首を傾げるばかりで、9月位からず〜と咳をしていて今、血液検査の結果待ちです。

5歳 女 町田市と横浜市の県境在住
咳が続き顔にむくみがでる。

7歳 女 町田市と川崎市の県境在住
9月位から咳が長く続いています。元々気管が弱く喘息とアレルギーがあります。

6歳 女 町田市在住
もともと鼻血はよく出す子ですが、今年は明らかに多いです。夜中に鼻血で起きることが多く、最近はそれにも慣れ、一人で起きてすぐにティッシュでさっと押さえることができるようになりました。8月5日夏祭りの日に鼻血をたくさんだし、あとからその日、放射線量が高かったことを知りました。

2歳 女 荒川区在住
2ヶ月間下痢が続いています。病院から整腸剤を処方され服用していますが、治らず。

3歳 男 町田市在住
喉の痛みを訴えたのですぐに病院で受診したら、肺炎と診断、入院しました。こんなことは産まれてからはじめてです。

8歳 女 多摩市在住
もともとよく鼻血を出しますが、4月・7月の2回の鼻血はいつもより多く出てマクラ・シーツが血の海でした。

7歳 女 町田市在住
3週間ほど微熱がつづいている。朝下がって、夕方になると上がるを繰り返しています。

胎児 (町田市の助産師の話)
311以降9月10月あたりに出産予定していた方が3人流産・死産しました。
最近、4月5月出産予定の方が3人流産しました。
助産院は数が少ないのでなんともいえませんが。
今まではこんなに続きませんでした。
クリニックの医師も最近多いなあとつぶやかれておりました。
逆子に関しては、311直後2人続き、しばらくして戻りましたが、回りの友達にも「逆子になったんです〜」って会話が多くなったようです。

胎児 40歳代 女 町田市と川崎市の県境在住
出産予定日10月だったのが早期出産でした!三ヶ月も早い出産でした。未熟児でしたが、今は母子ともに順調です。一子二子は予定通りの臨月出産でした。

40歳代 女 多摩市在住
震災後2ヶ月間原因不明の咳、喉の痛み腫れているような違和感がありました。頭痛もありました。それまでは頭痛で悩まされることはなかったのですが。動悸も激しかったんです。それまでは、動悸はたまにありましたが、あのときは異常なほどでした。私は5才のときに心臓の手術をしたので、多少、人よりも弱いです。バズビー教授がセシウムは心臓にたまり、不整脈を引き起こすと最近言っていたのをきいたので。

40歳代 女 町田市と横浜市の県境在住
倦怠感、めまい、頭痛が続く

30歳代 女 町田市在住
元々甲状腺に異常があって、ホルモン薬を飲んでいるが、放射線量が高かった時、野外ではくらくらとめまいがしました。

46歳 女 町田市と川崎市の県境在住
もともと喉、はなが弱い。しばらく喘息から遠のいていたが3.11から喉がよくなく、舌に常に何か薬物のような味があった。5月連休新潟ほとんど石川県の海岸沿いに帰省その際は舌の異変なくなる。夏沖縄に行った際にはまったくなくなった!また台風後、町田市にある学校グランドを掃除した後から喉に異変あり、鼻から大量の鼻水くしゃみ止まらず、その後日夜中息ができなくなり夜間救急に行く。そのあと、土壌検査の際に土をいじり、葉をさわっている、、、その夜からくしゃみ、喉に異変、その後声がでない、、、いつもの喘息とは違う感じ医者には咽頭炎といわれる。

43歳 女 町田市と川崎市の県境在住
9才の男児と同じ、目が重くなる感じ。昼間の、眠くもない時間帯に、無性に目が重くなる感じがある。以前はまったくなかったことなので、何か異変が起きていると感じる。

45歳 女 町田市在住
13年位前に甲状腺の炎症をおこした事がある。前回の台風の後、体がだるくて、どうしたらいいかわからないほどの症状。熱は38度くらいでた。風邪かと思っていたが、何かが私の体のなかで起きているのかと思うほど、肩から首、背中までいたくてだるい日が1週間ぐらいつづいた。娘がある日私の首を触って耳の下あたりに手がきたときに、とても違和感を感じ、自分で触ってみたら、腫れていた。以前、甲状腺が腫れたことがあるので、これが肩や首などの凝り、痛み、だるさを起こしていると納得。
昨日から腫れがひき、体のだるさもなくなった。甲状腺の治療薬はムーンフェイスという副作用があり、経験しているので絶対服用したくないと思っていたので安心したけど、放射能の影響なのかと心配になった。

30歳代 女 町田市と横浜市の県境在住
数日間声がかすれ出なくなる症状ありました。

39歳 女 町田市在住
311後、喉の異常、痛み、イガイガが続く、痰がからみ、咳がよくでる。産まれてから40年近く頭痛を経験した事がなかったのに、酷い頭痛が続く、311前より体温が高く微熱が続く。体がだるい。

45歳 男 町田市と川崎市の県境
自治会の美化清掃で草むしりなどした、そのあと、家の周りに溜まった落ち葉など二時間以上掃除したあとから咳がとまらない日が一週間以上続いた。

40歳代 男 多摩市在住
手術で1年半前に胃切除、術後快方へ向かっていたところ原発事故後下痢が増えてしまいました。

30歳代 女 多摩市在住
白血球数の低下、これは幅があるからたまたまかもしれないけど、今回初めて血液検査で経過観察に引っかかりました。昨年12月4000/μl・今年2月6100/μl→今年10月3100/μl)と下痢の頻度も増えています。

45歳 女 町田市在住
4月から左側の喉に痛みと違和感。耳鼻咽喉科で診察受けましたがノドに炎症等はないとの所見
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飯舘村から 見回り隊の斉藤さん

見回り隊の斉藤さんは週3回自宅に戻ってくる。
ガランとした自宅にこたつを入れて一人ぽつんとテレビを見ていた。
山のヒラタケはどうなったか見に行った。「今年はだめだね」といいながら立派
に育ったヒラタケを放射性廃棄物の検査をするために採集した。
-
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posted by M at 09:58| レポート

福島市のさくら保育園 7ヶ月ぶりの外遊び

毎日、近くの山に行って遊んでいた子どもたちが事故後、室内に閉じ込められて外遊びが出来ない。
こどもたちは自然の中で遊び、たくさんのことを学んできたし、体力もついてきた。
しかし、半年以上室内いたので筋力も落ちた。
ようやく外で遊べるようになった。しかし、山に行けない。遊ぶ時間は20分から1時間。
それも親の同意を取ってからだ。七ヶ月ぶりの外遊びだった。普段は難なく動かせる三輪車が動かせなくなっていた。(サクラ保育園の三輪車は通常の
三輪車よりずっと重い)室内で過ごしている間に子どもたちの筋力が落ちてしまったのだ。
大好きな砂場はブルーシートが被されたままだ。
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飯舘村から 昨年の落ち穂からでた稲が実った。

誰もいなくなった村で昨年の落ち穂が春に芽を出し、実りの秋を迎えた。
今年はどう言うわけか雀の姿が少ないので食べられることがない。
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2011年10月20日

減線 子どもを守るペットボトル 福島市渡利 さくら保育園

福島市内で放射線量の高い渡利地区にあるさくら保育園では除洗のため園庭の土の入れ替えを6月4,5日にかけて市が行った。しかし、汚染しているのは園庭だけではない。ベランダに接した部分はコンクリートの上にグリーンのゴムが張ってある。ここが汚染されていた。しかし、市は予算がないとの理由でやってくれない。仕方ないので保護者のアイデアでペットボトルに水を入れ並べることにした。並べたペットボトルは1800本、保護者が集めてくれた。これで約3分の1放射線量が低くなる。
夏の時期は中庭に水を含ませたゴザを敷く。これで少し線量が下がった。
子どもたちを被曝からどう守るか、必死の努力が続いていた。
夕闇のせまる、子どもたちが帰宅した園庭にはペットボトルが不気味に光っていた。
子どもの安全を守れない国に未来はない。
原発を守って子どもを守らない国は滅びてしまう。
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飯舘村から 日本ハチミツの蜜の採集

10月19日蕨平の志賀正夫さんが、一時帰宅し、日本ハチミツの採集をおこなった。
春から夏にかけて、サクラ、フジ、ツツジ、クリなど何種類もの花の蜜のミックスだ。
香りがよく、こくがある。しかし、蜂の巣の周辺は毎時4,8マイクロシーベルト前後ある。
それでも蜂はたくさんの蜜を集めていた。
これは放射性物質でどれだけ汚染しているのか、弁当箱に入れて持ち帰り、農民連の食品分析センターで検査してもらう。
なめてみたいがぐっとこらえる。
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2011年10月19日

森住卓講演会「福島と世界の核汚染」のお知らせ。

『世界の核汚染地域と福島 フォトジャーナリストが見たこと』

10月22日13:30〜16:30
本庄中央公民館
http://navisai.com/0495-22-2798/

主催:第46回本庄児玉郡市地域母親大会実行委員会
無料・保育あり(ご希望の方はご連絡下さい)
連絡先:本庄民主商工会内0495-21-6265http://postmap.org/map/234780
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2011年10月15日

「トモダチ作戦」は軍事作戦の519作戦だった。

陸前高田上空を飛ぶ嘉手納基地所属の救難ヘリHH60(3月25日)
この作戦は純粋な軍事作戦だった。米軍奥地にしない本当の作戦の名前は「太平
洋有事519作戦」だったと石川巌朝日新聞元論説委員が軍事研究2011年9月号に書
いている。同誌によると指令は在日米軍横田基地に置いた。津波にやられた仙台空港
に最初に乗り込んだのが嘉手納基地の米空軍第355特殊作戦群のMC135特殊作戦機
だった。さらに秋田港や花巻空港をはじめて使用し実績を積んだ。「爆弾を投下
したり鉄砲を撃ったりしなかっただけ」(石川 巌)という。
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2011年10月02日

10/3広島で高遠菜穂子さんの講演会

イラクで2003年の米侵略以後、イラク子どもたちや女性たちの支援を続け、放射能汚染の中で瓦礫の撤去ボランティアを続けた高藤菜穂子さん。
その姿は黙々と。
ただ、黙々と。そこに、彼女のすごさがある。
広島での講演是非、聞いてください。
10/3 高遠菜穂子さん報告会 in 広島「命の側に立ち続けて」
http://iraqwar-inquiry.net/?p=678841048

10月3日16:30〜18:30
平和記念資料館
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2011年10月01日

飯舘村から 草刈り

飯舘村の長谷川さんと電話で話した。
明日から村の草刈りが始まるという。
私は「除染のために草刈るの?刈った草はどうするの?」と問い詰めてしまった。
作業する人が埃を吸って内部被曝する恐れを心配して。
長谷川さんは「村じゅう草ぼうぼうでみっともねえ」といった。そして、「刈ったあとは空気中の線量が1μSv上がる」と。

田畑を汚され、放置せざるを得ない村。
夏を越して草ぼうぼうになってしまった村を、黙って見ていられない長谷川さんたちの気持ちが痛いほどわかる。
草を刈ってきれいにしたいと。
でも、草刈りで埃を舞上げ作業の人が被曝してしまう。そして、放射性物質を再拡散させてしまう。

昨日報道された、プルトニウムの検出のことに触れた長谷川さんが「プルトニウムがでた45キロ地点はおれん所の部落だ」と言った。
つらい。悲しくなってしまった。
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前田地区の企画整理された造成農地(8月15日)
posted by M at 09:36| レポート

2011年09月20日

9.19原発反対集会で山本太郎さんが訴えた。

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俳優の山本太郎さんが「目の前の利益を守りたい人には目障りな発言だろう。でも僕たちは命がかかっている。一番大切なのは人々の力だ」と訴えた。
posted by M at 00:09| レポート

2011年09月18日

9月19日飯舘村の長谷川健一さんのお話を聞く会があります。


福島県飯舘村より、酪農家の長谷川健一さんをお招きして、3.11以降の飯舘村のお話をうかがいます。
『までいライフ』を合言葉に、村を愛し、隣人を愛し、真心を込めて生きてこられた飯舘の人々。
でも今は、高濃度の放射性物質が検出され、全村避難を余儀なくされています。
長谷川さんが直に体験されたことを、映像・画像を交えながらお話してくださいます。


※『までい』とは、東北地方の方言で、「手間ひま惜しまず」「丁寧に心をこめて」「つつましく」という意味。飯舘村では、飯舘流スローライフを”までいライフ”と呼ぶそうです。(SEEDS出版 飯舘村監修 『までいの力』より抜粋)

日時:9月19日(月・祝) 10:30〜
場所:森村学園 中等部高等部校舎 3階ホール
   最寄駅 東急田園都市線 つくし野駅下車 徒歩約5分
       またはJR横浜線 長津田駅下車 徒歩約13分

当日は文化祭開催中です。正門に受付がございますので、講演会に参加する旨、お申し出下さい。

問い合わせ:森村学園中等部高等部 田中 典子
      TEL 045-984-2505

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6月12日分再掲載======================================
飯舘村から 酪農家の長谷川さんをあなたの町に呼んでください。

みなさん、
ブログにUPしている、飯舘村の長谷川健一さんが自らの体験を直接みなさんにお話したいとおっしゃっています。呼んでくれるなら何処にでも行くと。
長谷川さんの撮った映像(動画)もあります。

米軍占領下の沖縄・伊江島で銃剣とブルドーザーによる強制的な土地取り上げに反対し
闘うために、カメラを買って米軍の蛮行を記録し続けた阿波根昌鴻さんがいました。
いま、彼と同じように自分の村の体験を後世に残そうと4月にビデオカメラを買って撮影しています。
その映像と一緒に話をします。汚染して村を出て行く人々の無念さや悔しさ、原発への憎しみと汚染の今後の心配など、ともに考える良い機会です。

是非、皆さんに呼びかけて長谷川さんと飯舘村のお話を聞く機会を作っていただけないでしょうか。
連絡は
iikouen@gmail.com
にお願いします。
posted by M at 17:13| レポート

2011年09月13日

9/21 13:30〜千葉県船橋市で講演します。

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posted by M at 16:56| レポート

2011年09月06日

9月15日帯広で講演します。


「核に蝕まれる地球〜福島・世界の核汚染地から」

日時:2011年9月15日 18:00開場 18:30開会

会場:道新ホール2階大会議室(JR帯広駅から徒歩8分)
   帯広市西4条南9丁目1
http://www2.manabi.pref.hokkaido.jp/fmi/xsl/sisetu/syousai_2.xsl?-db=sisetu&-lay=z&-recid=684&-find=

参加費:300円

主催:「森住卓さんから本当のことを聴く会」実行委員会

お問い合わせ:090-2070-3095(増田信隆)
posted by M at 10:29| レポート

09/17北見市で講演します。

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posted by M at 09:48| レポート

9月16日夜:網走で講演します。


講演   世界の核汚染と福島
日時   2011年9月16日(金)   18時開場 18時30分開演
会場   網走市 エコーセンター 2階 大会議室
http://www.city.abashiri.hokkaido.jp/040shisetsu/040bunka/180echocenter/
参加費  1,000円
チケットのお求めはエコーセンター2000へ
http://www.city.abashiri.hokkaido.jp/270kyoiku/025geijutubunka/040ticket.html
託児   有
後援   網走市・網走市教育委員会・市P連・新日本婦人の会網走支部

お問合せ 網走市母親連絡会網走市駒場北4丁目8−1
TEL&FAX0152−43−5391
posted by M at 09:31| レポート

2011年08月31日

講演会のお知らせ「世界の核汚染とフクシマ」9月4日宇都宮

森住 卓 講演会『世界の核汚染とフクシマ』

日時 2011年 9月4日『日』
        午前 10時〜 12時
場所     宇都宮市 総合コミュ二テイセンター男女共同参画推進センター)
http://maps.loco.yahoo.co.jp/maps?p=%E6%A0%83%E6%9C%A8%E7%9C%8C%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E5%B8%82%E6%98%8E%E4%BF%9D%E9%87%8E%E7%94%BA%EF%BC%97%EF%BC%8D%EF%BC%91&lat=36.54838750&lon=139.86726368&ei=utf-8&v=2&sc=3&datum=wgs&gov=09201.1.7.1
       住所:〒320-0845 宇都宮市明保野町7-1
       電話番号:028-636-4075
 資料代:500円

主催:新日本婦人の会栃木県本部 宇都宮支部
 宇都宮市石井町20918-1
問い合わせ先:028-662-2090
posted by M at 15:37| レポート

2011年08月29日

講演のお知らせ 9月3日(土)栃木県佐野市葛生あくとプラザ

講演会のお知らせです。
9月3日(土)18:30〜
佐野市葛生あくとプラザ
http://www.sano-culture.jp/actplaza/access/index.html
原発・核汚染私たちのくらし  「世界の核汚染と福島」
主催:「原発・核汚染・私たちのくらし」実行委員会
後援:佐野市/佐野市教育委員会
連絡先:
    090-5767-5389山野
    090-8038-7766堀川
お近くの方お越し下さい。
posted by M at 18:42| レポート

2011年08月23日

北朝鮮との国境の町丹東

遼寧省丹東市に着きました。

川を渡ると北朝鮮だ。手前中国側はネオンがきらきら輝いて明るいが、橋の途中
からネオンがなくなり真っ暗で、対岸はさらに真っ暗。北朝鮮だ。
あす、国境を越えて北朝鮮に入ります。
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posted by M at 00:32| レポート

2011年08月20日

飯舘村から 偽りの除染テスト ひまわりの畑

ひまわりが除染に効果があることはチェルノブイリでも知られている。
農水省が行った飯舘村でのテストは一カ所だけ。
汚染の比較的少ない二枚橋地区の畑だ。
種まきの時に農水省の技官に「もっと汚染の酷い地域でもテストをしなければ効果がはっきりしないでしょう」と質問したら「汚染の酷いところでは効果が出ない」と言っていた。
8月15日菅野村長にお会いした時、ひまわりの除染テストの話をしたら「あれはパフォーマンス」と国のやることを批判していた。
しかし、種まきの時に村長は農水大臣と一緒に種を蒔いていました。あの事はどういうことだったんでしょうね。
そんな人間様のいきさつとは関係なくひまわりは、太陽の恵みをもらって天に向かって元気よく咲いていた。
「希望を失っちゃいけないと」と村人を励ましているようだった。
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posted by M at 22:22| レポート

2011年08月19日

飯舘村から お盆お墓参り

避難先から久しぶりに戻って墓参りにきた家族(8月13日飯舘村二枚橋)
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posted by M at 23:31| レポート

福島市のホットスポット

高線量のホットスポットが無数にある。
8月16日福島市蓬莱町の側溝でホットスポットを見つけた。
放射線測定器は毎時41マイクロシーベルトあった。
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posted by M at 23:25| レポート

2011年08月11日

東電本社に抗議の農民 追加

4月16日に川俣町で取材した酪農家の斎藤憲雄さんの姿を見つけた。
搾った原乳を捨てていた。その顔は悔しさと、情けと、怒りとが入り交じった表情でなんと声をかけていいのかわからなかった。
あれから4ヶ月過ぎた8月3日東電前で会った斎藤さんの顔には強さやたくましさがあった。
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posted by M at 11:06| レポート

2011年08月07日

低線量地帯−囲われた生活空間 福島市渡利地区

阿部裕一さん(37)と夕子さん(37))夫妻には葵裕奏(あゆか)ちゃん(1歳4ヶ月)がいる。裕一さんは学習塾の教師,妻の夕子さんは小学校の事務をしている。一家は福島市渡利地区の静かな住宅地に一戸建ての借家に住んでいる。市内でも汚染が酷い地域だ。
阿部夫妻は福島第1原発事故が起こるとTVニュースを見続けた。12日、TVの生放送で1号機の爆発の映像がながれた。裕一さんは「大変なことになるぞ」と思った。しかし、テレビではコメンテーターがガス抜きだと言っていた。誰が見ても爆発なのに。それでも事故による汚染の事を伝えるニュースは流れてこなかった。
3月15日午後4時頃、インターネットで福島の放射線量が高くなったことを知った。
我が子の事が一番心配だった。16日は家に閉じこもり、17日新潟に3人で逃げた。何はともあれ、子どもを守らなければという思いだった。4月3日に家にもどってきた。
4月21日初めて自分で線量を測ったら、屋外で毎時4,1マイクロシーベルトあった。
我が家では2階の方が線量が低いと思っていたが、実際は1階のダイニングルームが一番低かった。何度も何度も部屋を掃除したが放射線量は下がらなかった。もう、気が狂いそうになった。一番線量の低いところにゲージを付けて、この子の生活空間にした。時々は外にも出しますが、ほとんどをこの空間で過ごしている。抱っこしていると上の方の線量が高いので怖い。そんなに神経質にならなくてもと言うが、何かあったらどうしようと思う。「この子が大人になった時に、福島出身の女の子だから,なんて言われたりしたら。東電に爆弾でも仕掛けてやろうかと思っちゃう」
外で動き回れない分、体力が余っちゃうんですよ。夜の寝付きが震災以来良くない。夜中に起きて明け方まで眠らないで昼間寝てしまったり。生活サイクルがおかしくなって親も寝ないので、体調を崩して血圧が上がりっぱなしですよ。

福島市のHPに原発の事をインターネットに書き込むと「書いてくれるな」と言われた。でも、福島の話題を書き込むところでしょ?現実から目をそむけたいんじゃないでしょうか。渡利地区で取材や放射線を測定している人を見かけると「止めてくれ」と騒ぐ住民がいる。これ以上線量が高いのを見たくもないじゃないですか?
我々が引っ越さないのは物件がないからですよ。浜通の人が入るために自治体に借り上げされているので。福島は汚染されているので,他のところを探そうとするんですが、冬の通勤の事を考えると遠くて雪のたくさん降るところは怖いんですよね。
お金が欲しいのではなく、ただ、ただ、普通の生活をしたいだけなんですよ。
それができなのであれば、それに変わるものを何とかして欲しいと言っているだけ。

「区切りを付けたいのだけれど原発はいつ終わるのか。原発問題が無ければ、何も問題なく次に進めるのに・・・・」この子もすごいストレスですよ。大きなスーパーに連れて行ってそれ走らせて、発散させるんですよ。
国も県も市も何もしてくれない。
もう4ヶ月ですよ。事故以来、洗濯物は室内干しで、家の窓は事故以来ずっと開けていませんよ。現在、玄関先の放射線量は毎時2~3マイクロシーベルト前後ある。
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2011年08月05日

飯舘村から 移転した鴫原さん一家

長泥地区で母牛に子牛を産ませて育てる繁殖農家をやっていた鴫原照二(52歳)さんは6月に村の斡旋で紹介された田村市の酪農家の牛舎と住宅を借りられることになり引っ越した。
「長泥地区は今でも、毎時17マイクロシーベルトもある。もう戻れないかも知れない」「私には牛しかないので迷いは無かったですよ」と鴫原さんは言う。しかし、再出発を素直に喜べない問題がたくさんある。損害賠償がまだ一つも具体的になっていない。さらに、来年出荷予定の牛が汚染していたら・・・。さらに心配なのは一人娘のあやかちゃん(7歳)のことだ。今年小学校一年生で飯舘村の小学校に入学した。だが学校は川俣町に移転して授業を行っている。「そこには友達もいるので、時々川俣の学校に行きたいなと言うんですよ。新しい学校でようやく慣れて友達もできてきました」と少しほっとした様子だ。
「家族が一緒に暮らせることが何よりですよ。当たり前なんですがね。原発事故は当たり前の生活を許してくれないんですよ」と言った。

原発事故から1ヶ月半後、彩花ちゃんはお母さんと山形に避難し寂しい思いをした。
もう、ずっとお父さんの側を離れなたくないのだろう、牛小屋でお父さんの手伝いを楽しそうに続けていた。
(田村市7月29日)
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2011年08月04日

飯舘村から 蕨平の志賀さん

「ここは本家だ。ほれ、こんなに草が生えちまった。人が住まなくなっと、早えもんだ」村の見回り隊に参加した志賀正男さん(74歳)は寂しそうに言った。計画的避難が始まってすでに2ヶ月が経ち、人の住まなくなった民家の軒先にはオオアレチノギクが腰まで伸びていた。
7月末、人口183人50世帯の飯舘村蕨平地区にはまったく人がいなくなった。
計画的避難が決まったあと、防犯のために村は自分たちで守ろうと組織した「見回り隊」に参加した志賀さんは奥さんの美枝子さんと一緒に一時避難先の箕輪から3時間かけてやって来た。
前日、蕨平の自宅に泊まって、早朝4時半に「見回り隊」本部がある役場の向かいにある「陽だまりの家」に行った。1日3交代でこの日は昼までの当番だ。
 70歳を過ぎた身体にはきつい仕事だ。しかし、「避難先のホテルにぶらぶらしているのも辛い。少しでも現金が稼げるならと思ってみんなやってんだよ。自分のふるさとは自分たちで守ろうという気持ちもある」と志賀さんは背筋を伸ばして、避難した民家の入り口を封鎖しているチェーンをひょいと飛び越した。
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2011年08月03日

東電本社抗議

農民連の皆さんが東電本社に賠償金の支払いをせよと抗議した。(8月3日)
牛も汚染わらでモー限界だと。
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飯舘村から お墓の掃除

もうすぐ、お盆が来る。お墓が草だらけではご先祖様に申し訳ねえ。
7月末老夫婦で墓の草取りをしていた。(7月28日板手村二枚橋)
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2011年08月02日

飯舘村から 7月

台風6号が通り過ぎた7月末、飯舘村は連日大雨警報や注意報が出ていた。
最高気温が2十数度までしか上がらず、寒い夏だった。
夕闇の山が霧に包まれていった。

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2011年07月05日

飯舘村から 収穫できない小麦

六月末、梅雨の晴れ間に秋に蒔いた小麦が実っていた。
何事もなかったように黄金色の穂は天を仰いですっくと立っていた。
村の人々は避難し、汚染した小麦は放棄された。
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2011年07月04日

飯舘村から 一時帰宅

計画的避難区域に指定されてすでに3ヶ月近くが経つ。村は90%以上の住民が避難した。
 だが、住民は避難所から通って畑作業をしていた。
畑に大きく太ったタマネギの収穫時期を迎えていた。
「もったいないからね.放射能調べて貰って、大丈夫なら食べようと思っている」と。
気持ちはよくわかるんだけれどね。悔しいねー。(6月29日飯舘村)
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2011年07月03日

なくせ原発7.2集会

東京 明治公園
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