2015年08月19日

8月21日(金)10:30秘密保護法違憲「東京」訴訟が結審

8月21日(金)10:30秘密保護法違憲「東京」訴訟が結審
 みなさまのご支援のおかげで、秘密保護法の違憲性を問う裁判を続けてこられました。いよいよ秘密保護法違憲「東京」訴訟は結審を迎えます。8月21日(金)10:30、東京地裁101号法廷に結集してください。

第七回口頭弁論(最後です)
8月21日(金)10:30
東京地裁101号法廷
(地下鉄「霞ヶ関駅」A1番出口すぐ)
※終了後は、裁判所となりの弁護士会館502号で報告集会を行います。こちらにもご参集ください。
posted by M at 09:34| レポート

2015年07月22日

私たちはなぜ座り込むのか? 沖縄沖縄戦体験者の証言1


政府は沖縄県民の反対を無視して、名護市辺野古や東村高江で米軍基地の建設を強行しています。建設を止めようと、辺野古の米軍基地前と高江のゲート前で座り込む県民の隊列には、不自由な体を押して参加する「おじい」「おばあ」の姿が。
なぜ、座り込むのかー。

戦後70年、沖縄の梅雨明けは例年より一一日早かった。現地は連日、厳しい暑さに見舞われている。県内各地から猛暑の中をバスや自家用車で駆けつける人々。その中には多くの沖縄戦体験者がいる。「悲惨な戦争を二度と繰り返してはならない」「戦争に繋がる人殺しのための基地は絶対に造らせない」という強い思いが、座り込みという非暴力直接行動へと駆り立てている。

沖縄戦とは何だったのか?
沖縄戦は一九四五年三月に始まった。米軍は五四万の兵力と艦隊一五〇〇隻で包囲。海が艦船で真っ黒に見えたと沖縄戦体験者は言う。一方、日本軍は一一万人、うち正規軍は八万五〇〇〇人で、残りは現地徴集の補助兵力だった。圧倒的な戦力差で戦う前から勝敗は決まっていたが、大本営は本土上陸を長引かせるため降伏を認めなかった。沖縄はいわば本土のための捨て石≠ノされたのだ。戦っても負けることを承知の無謀な戦争だった。
鉄の暴風≠ニ呼ばれた米軍の艦砲射撃。すさまじい地上戦が繰り広げられ、日本軍の命令による「集団自決(集団強制死)」など凄惨な事件がいくつも起こった。六月まで続いた無謀な沖縄戦で、県民の四人に一人にあたる一二万人以上が亡くなった。沖縄戦を体験した人の証言を聞こう。(=は沖縄戦当時の住所)
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今も思い出す赤ちゃんの目
伊佐真三郎さん(八五)=沖縄市
辺野古から北に車で約一時間、東村高江に着く。米軍北部訓練場の中に高江の集落をぐるりと取り囲むように、オスプレイ垂直離着陸機が使用できるヘリパッド六基の建設工事が進んでいる。住民は二〇〇七年から二四時間、一日も休むことなくゲート前で反対の座り込みを続ける。そのうちの一人、伊佐真三郎さんは一四歳の時に沖縄戦を体験した。

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国を守る為に海軍少年志願兵になろうと、友人と誓いの入れ墨を入れて約束しました。腕には「土」という文字が今もはっきり残っている。死ぬときは海じゃなく、土の上で死のう、みんな生きて帰ってこようと言う意味だったようだ。でも、志願兵の最終の健康検査で目が悪くて不合格になり、海軍に入ることはできませんでした。このとき軍医は検査表にトラコーマという字を書いたことを見ていた。海軍の審査員が全員見ている前で「このバカものー」とやせ細った伊佐さんは軍医に背負い投げで投げ飛ばされました。戦後、自分の目がどうなっているのか眼科医に行くと何の異常も無もありませんでした。あの時の軍医の診断は何だったんだろう。このバカものー、と叫んで投げ飛ばされたのも、真三郎さんを合格させない演技だったのかも知れない。もしかすると不合格になるように母が手を回していたのかな。兄は中国戦線で行方不明。次兄はサイパンで玉砕。家に残っている男は伊佐さんだけだったので、お母さんはなんとしても生き残って欲しいと思っていたのかも知れない。疎開船「対馬丸」で疎開させようと申し込んだのもお母さんでした。しかし、出発の前夜、「家族を守る為に僕は行かない。死ぬときは家族と一緒に」と出発直前に断ってしまいました。
沖縄戦が始まり、沖縄市(現)泡瀬にも激しい艦砲射撃が降り注ぎました。

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米軍が撮影した泡瀬の航空写真

戦争中、米軍が上空から撮影した泡瀬の写真があります。波止場近くに材木が並べられ、子どもたちが波止場からに飛び込んで遊んでいる姿が見えます。戦前、本島北部のやんばる(北部の森林地帯)から木材や薪、炭などの燃料を運び込むには海路を使ってました。泡瀬は那覇など南部に運ぶための集積港で周辺では一番の賑わいのある町でした。
港の後方には空襲や艦砲で焼け野原になった住宅地が写っています。3月の米軍が押し寄せる前に撮影されたようです。沖縄戦の前年1944年10月10日には県都の那覇市が米軍艦載機の空襲で壊滅しました。その時、数機の米軍機が泡瀬に飛来。港に停泊していた日本銀の機雷敷設艦が撃沈させられました。この事を木に隠れて見ていました。その時はまだ、米軍が上陸するとは思ってもいませんでした。
国民学校は授業はなく、塹壕堀やアメリカの戦車を落とすたこつぼの様な落とし穴を掘る作業をさせられていました。自分はお国のために戦って死ぬ事だけを考えていました。当時はそんな教育でしたから。
4月はじめ、泡瀬にも米軍が迫って来たので家族や親戚でヤンバルに逃げることになりました。しかし、泡瀬を出たあたりで、橋も壊され川を渡ることが出来ずヤンバルに逃げることを断念しました。そして、死ぬのなら家族一緒に先祖が眠る墓に隠れることになりました。沖縄の墓は大きく立派な物が多く、家族親戚が一緒に隠れるには絶好の場所でした。しかし、泡瀬は海岸線で墓がなく少し離れた高原(現沖縄市)、比屋根(現沖縄市)、などの墓に逃げ込みましだ。
激しい艦砲と米軍機からの機銃攻撃の中を逃げる途中、赤ちゃんを抱いた母親と出会いました。母親は足を大けがしていました。赤ちゃんを砲弾の届かない安全な道ばたに隠すと、自分は力尽きたのか川に飛び込んでしまった。置き去りになった赤ちゃんは、草の中で泣きもしないでじっとこちらを見つめていた。いま、思うと機銃か艦砲で足をけがした母親はもう逃げ切れない、ダメだと思ったのでしょう。道路の脇の草むらに置けば、米軍機のパイロットから赤ちゃんが見える、米軍でも赤ちゃん一人だけなら撃たないだろう、母親の子どもだけでも助けたいという思いだったんじゃないかな。もし母親が抱っこしていれば、米軍機からは赤ちゃんが見えず、母親と一緒に攻撃され赤ちゃんも助からないそう思って泣く泣く赤ちゃんを草むらに置いたんじゃないかな。
その赤ちゃんを草の中に置きざりにして逃げてしまいました。その時は申し訳ないとか、かわいそうとか言う感情は湧きませんでした。とにかく自分たちだけで逃げるのが精一杯でしたから。
しかし、戦後になって、どうして、赤ちゃんを助けてあげなかったのか?自分を責めて苦しんでいる。誰もが自分のことで精一杯だったと、言い聞かせている。しかし、今も、草の間から赤ちゃんがこちらを見つめている夢を見る。
戦争が終わって、海軍志願兵になった友達も、対馬丸に乗った近所の人も誰も戻らなかった。
長兄は中国戦線で戦死、2番目の兄はサイパンで斬り込み隊で戦死したことがわかった。男は自分一人になって母から大事にされたため姉からは妬たまれた。ある日海軍に行って戻ってこなかった友達の家の前を通った時、友人の父親が私を見るなり、玄関をバタンと閉めてしまいました。それ以来友達の家の前を通るのが怖くなりました。
「なぜ自分は生き残ってしまったのか」―。いまも自分を責めて眠れない夜がある。
ゲート前に座り込み来る若者に口癖のように言う言葉は「絶対に戦争をやってはいけない」目を細めて優しく静かに話す伊佐さんの記憶の奥にいつも、戦争の時の記憶が整理着かないまま刻み込まれている。

真三郎さんの両親のこと。
子どもの頃父と顔を合わすことが少なかった。父の記憶で鮮明に覚えていることがある。あれは1944年1010空襲の前日のことだ。夜に父が友人3人と花札を持って、暗号みたいななにやら秘密めいた会議をしていた。それをのぞき見していたら、突然、警察官を乗せた中型トラックが来て無理矢理、鳶外套を着た男に引っ張られていった。警察官は嘉手納署だったらしいとあとで隣近所の人が言っていた。その後2度と父は帰ってこなかった。戦後しばらくして先輩から聞いた話では戦前の治安維持法の「特高」による連行だったのではないかと言っていた。いまでも父の所在は解っていない。どうやら両親は反戦活動をしていたらしい。
息子の伊佐真次さんが高江の座り込み通行妨害で国に訴えられ、高等裁判所が那覇防衛局の訴えを認め仮処分の決定がされたとき、「殺されないなら良かった」と言った。特高に引っ張られて今も帰ってこない父のことを思い出したのかも知れない。

朝鮮半島から連れてこられた慰安婦たちのこと。
戦前の泡瀬の町の外れに日本軍が駐屯していた。駐屯地の近くには料亭が2,3件あり、日本軍の慰安所になっていた。伊佐真三郎さんの母の叔母もその料亭(慰安所)を経営していた。そこには朝鮮半島の女性たちが4,5人働いていた。
13歳だった伊佐さんは親戚の叔母の料亭に遊びによく行った。そこで三線をお姉さんから教えてもらっていた。色白でいつもおしろいの臭いがするとても優しいお姉さんだった。2階には毎日4,50人の兵隊がならんで順番を待っていた。あるとき叔母さんが、三線を教えているお姉さんに「早く2階に上がりなさい」と言った。お姉さんは今日は痛くて休みたいと言ったが聞き入れられず2階に姿を消した。着物の裾の奥から見えたあそこは真っ赤にはれていた。少年の真三郎さんには意味がわからなかった。ただかわいそうだと思っていた。
戦後、朝鮮半島から帰ってきた親戚の叔父さんに何をしていたのかと母が聞いた。叔父さんは警察官をしていて、若い娘を探して捕まえて日本に送った。娘の父親が助けようと抵抗すると銃を突きつけて脅して無理矢理、連行したと得意げに言っていた。母は真三郎さんに何も言わなかったが、「そうだったのか、三線を教えてくれたお姉さんはこうして連れてこられた慰安婦だったのか、もう2度と三線を弾かない」と持っていた三線を壊してしまった。
母は朝鮮の女性たちにいろいろと生活の相談にのっていたらしい。戦後まもなく米軍のジープに乗って、朝鮮から数人の女性が母を訪ねてきた。大変御世話になったと言ってお礼のお金を持ってきてくれた。それは今も大切に保管されている。昔の日本円と米軍軍票のB円。母は彼女らが「慰安婦」だったのかどうか言葉を濁していた。
真三郎さんは韓国に行きたいと思っている。どうしても、慰安婦にさせられた人たちに会って謝りたい。あのとき助けてあげられなかった事を謝りたい、申し訳なかった。国の戦争責任者は韓国に行って腹を切ってわびるべきだと。日頃穏やかな真三郎さんがこのときは厳しい目つきにに変わった。



伊佐真三郎さんが泡瀬から木材豊富な本島北部の東村高江に移り住み木工所をはじめたのはいまから二十数年前からだ。
これからは静かに緑豊かなヤンバルで暮らすことが出来る。木工の仕事も息子の真次さんに任せてゆっくり過ごせると思っていた。ところが8年前、北部訓練場の高江集落を取り囲むように米軍ヘリパッド(ヘリの離着陸帯)の計画が明らかになり、黙っては居られなくなったのだ。
座り込みテントに来る若い人たちに自分の体験を聞いて欲しいと時々テントで自分の体験を話す。しかし、辛い話はしんどいらしい。そんなときはいつも島酒の臭いがする。アルコールの力を借りなければ話が出来ない辛い体験だったのだ。
この闘いは絶対暴力を振るってはいけない。暴力は戦争に繋がるから非暴力で通すこと。機動隊にやられてもじっと我慢してね。と静かにいう伊佐信三郎さんの細めた目の奥が笑っていた。
戦後解ったことだが、真三郎さんの両親とも命がけの反戦活動をやっていたらしい。両親の平和を願う血は真三郎さんに受け継がれ、さらに息子の真次さんはいま、高江ヘリパット許さない住民の会でテントに座り込んでいるし、昨年9月にヘリパッド建設反対、北部訓練場の全面撤去を掲げて村会議員になった。平和を願う血は三世代に引き継がれている。
posted by M at 17:18| レポート

2015年01月21日

日本ビジュアルジャーナリスト協会(JVJA) イスラム国によるン日本人人質事件に対する声明

昨日、起こった2人の日本人の人質事件に我々JVJA(http://www.jvja.net)は声明を発表しました。(2015年1月20日)

 日本ビジュアル・ジャーナリスト協会( JVJA )はフォトジャーナリストやビデオジャーナ
リストの団体です。
 私たちは、イラク戦争とその後の占領下において、米英軍を中心とした有志連合軍による
攻撃がイラク市民にどんな災禍をもたらされたかを取材、テレビや新聞などで報道してきま
した。また、イスラエルのパレスチナ・ガザ地区への無差別攻撃に晒された市民を取材し、テ
レビや新聞等で報道してきました。私たちの報道はけっしてアメリカやイスラエルの攻撃を
肯定するものではありませんでした。
 私たちジャーナリストが、現場での取材を通して理解した戦争下の住民の現実だったから
です。同時に、報道を通して私たちはあらゆる暴力を批判してきました。日本政府の戦争政策
に対しても批判してきました。イスラエルのガザ攻撃に対しても、私たちは強く批判してき
ました。私たちは現在の安倍政権の戦争を肯定するかのような政策を、報道を通して批判し
ています。
 現在、IS(イスラム国)が拘束している後藤健二さんには、取材の現場で会ったことがありま
す。後藤健二さんもまた、イラクやシリアでの戦火に苦しむ市民の現状をテレビやインター
ネットで報道してきました数少ないジャーナリストです。湯川遥菜さんは、私たちと直接の
接点はありませんでしたが、報道によると個人的な興味から「イスラム国」に入ったようで
す。
 私たちは、暴力では問題の解決にならないというジャーナリズムの原則に立ちます。武力
では何も解決されない現実を取材をとおして見てきたからです。「交渉」を含むコミュニケー
ションによって問題解決の道が見つかると信じます。
 私たちは、IS(イスラム国)の皆さんに呼びかけます。日本人の後藤さんと湯川さんの2 人
を殺さないように呼びかけます。人の命は他の何ものにも代え難いものです。イスラムの教
えは、何よりも平和を尊ぶことだと理解しています。
 私たちは、同時に日本政府にも呼びかけます。あらゆる中東地域への軍事的な介入に日本
政府が加担することなく、反対し、外交的手段によって解決する道を選ぶようにと。
 
2015 年1月20日
日本ビジュアル・ジャーナリスト協会(JVJA)
http://www.jvja.net
e-mail:office@jvja.net
IS( イスラム国) による日本人人質事件に対する声明
posted by M at 09:16| レポート

2014年09月29日

満点の星空N1テントの夜。ここが東村高江のヘリパッド建設反対座り込みテント 国が「県道路側帯を米軍専用に変更し、住民排除」しようとする現場

高江N1テントは現在24時間座り込み中。
防衛省は年内工事着手すると発表後、高江は24時間監視,座り込み中です。この夜も満天の星空のもと、夜間の座り込みが続いていた。(2014年9月25日)流れ星もたくさん飛び、天の川も見える。
辺野古の海を立ち入り制限区域に設定し市民の反対運動を封じ込めようとしているが、高江のヘリパッド建設反対の住民運動を封じ込めるために辺野古と同じ手口を使おうとしている。s_hosei1_TM4_7651.jpg
posted by M at 19:56| レポート

2014年07月22日

国のジュゴン絶滅作戦を止めさせよう。

辺野古 キャンプ・シュワブの大浦湾側の海岸線で進む桟橋工事。直ぐ目の前の海底にはジュゴンのエサ場、海藻が生えている。桟橋が出来ればジュゴンの食事は出来なくなる。せっかく戻って来たジュゴンは生きられない。国によるジュゴン絶滅作戦が進んでいる。この海を守る為に辺野古に来て欲しい。絶滅危惧種ジュゴンを守る為に。sTM3_5984 (2).jpg

ジュゴンの食み跡が残るキャンプシュワブ大浦湾側、桟橋工事の行われている目の前の海底だ。s_n_hosei1_P7040396.jpg
posted by M at 22:35| レポート

2014年01月09日

宇都宮健治さん都知事選にキックオフ1月8日豊島公会堂と池袋駅等での訴え。

宇都宮さんの政策(希望のまち東京をつくる会)
T 世界一働きやすく、くらしやすい希望のまち東京をつくります。
U 環境重視、防災・減災重視のまち東京をつくります。
V 原発再稼働・原発輸出を認めず、原発のない社会と経済を東京からめざします。
W 教育現場への押し付けをなくし、いじめのない、子どもたちが生き生きと学べる学校をつくります。
X 安倍政権の暴走をストップし、憲法を守り、東京からアジアに平和を発信します。
どんどん支持を広げましょう。
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豊島公会堂で開かれた都知事候補の宇都宮けんじさんのキックオン集会
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5000万円こっそりもらって、ばれて辞めた猪瀬氏とは比べること自体がどうかと思うが、宇都宮さんはとにかくクリーンな政治家になること間違いない。もし、胃のセ氏がこのまま知事を続けていたならば巨大利権が絡むオリンピックで都政は1964年のオリンピックで東京都が汚職まみれの「伏魔殿」と呼ばれた時代に逆戻りしていたでしょう。東京オリンピックの大宣伝をやっているのは儲かるゼネコンや大企業。庶民にはなんの利益もない。(実は私はオリンピック開催に反対だったが・・)そんな時にスポーツを金儲けの手段としてではなく文化と位置づけ、平和の祭典と呼びかける宇都宮さんは本来のオリンピック精神を世界に向けて発信できる人。平和があってこそオリンピックを成功させることができる。その点で、宇都宮さんは「安倍政権の暴走をストップし、憲法を守り、東京からアジアに平和を発信します」と呼びかけています。オリンピックの成功を願うすべての都民の皆さん、宇都宮さんを応援してください。

posted by M at 11:46| レポート

2013年10月23日

2014Calendar「 ヤンバルで生きる」写真 森住 卓 発売です。


今年もカレンダー「2014Calendarヤンバルで生きる」写真 森住 卓(1000円)を作りました。
沖縄本島北部をヤンバル(山原)と言います。スダジイやウラジロガシなどの原生林が広がり、ヤンバルクイナやノグチゲラ、ヤンバルテナガコガネなどの貴重種の生息しています。
この森には米軍北部訓練場があり、ジャングル戦闘訓練施設では連日激しい訓練が行われています。
このジャングルの中に新たにヘリパッド(着陸帯)を建設する計画が進んでいます。
東村高江の住民はこの計画でくらしが破壊されると反対しています。
豊かな自然の中で子育てし,暮らしたいと願う人々の上をヘリの爆音、墜落の危険と自然破壊が心配されています。
カレンダーがヤンバルの自然と人々のくらしを一年間にわたって撮影した写真です。
静かにここで暮らしたいと願い、ヘリパッドの建設に反対している住民を応援するために作りました。売り上げの一部は「ヘリパッドいらない住民の会」に寄付されます。

お求めは
森住 卓 takashi@morizumi-pj.com にお名前、電話番号、郵便番号、送り先住所、注文数を書いて申し込んで下さい。
お支払いは郵便振替でおねがいします。
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posted by M at 11:03| レポート

2013年09月23日

9/29 14:00〜16:00 山梨県母親大会で講演します。

山梨県母親大会で福島、チェルノブイリなどのお話をします。
山梨の皆さんお越し下さい。
9月29日(日)14:00〜
会場:ぴゅあ総合www.pref.yamanashi.jp/challenge/centerinfob.php‎

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posted by M at 20:20| レポート

2013年08月23日

世界ヒバクシャ展@京都開催中 9月8日まで

◆世界ヒバクシャ展@京都開催中です。
私も出品しています。

日時 2013年8月6日(火)〜9月8日(日)
午前10時〜午後5時(入館は午後4時30分まで)
場所 相国寺承天閣美術館 http://www.shokoku-ji.jp/j_nyukan.html
京都市上京区今出川通烏丸東入
075-241-0423

主催 世界ヒバクシャ展@京都実行委員会
       実行委員長 有馬頼底京都仏教会理事長
構成団体 相国寺承天閣美術館
金閣寺
銀閣寺
京都仏教会
NPO法人世界ヒバクシャ展
後援 京都府 京都市 京都市教育委員会
入場 無料(寄付の呼びかけをします。承天閣展示品の鑑賞は有料=800円)
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2013年08月16日

福島の子どもたちー祝島の夏

昨年祝島を訪れた飯舘村の安齋徹さんが「こんな自然の豊かなところで子どもたちを思いっきり遊ばせたいな」と言った言葉が今回の保養プロジェクトになって実現した。
付き添い出来た母親の一人は「島では空気を思いっきりすって、裸足で走っても,海に行って泳いでも何でも出来る。福島では外遊びの時間が決められ、土いじりはダメ、側溝の近くには行くなと言い続けてきた。
まるでわが子を檻の中に入れているようだった」と歓声を上げる子どもたちを見つめ喜んでいた。
島の人たちも取れたての魚や野菜を「今夜のおかずに食べな」と持って来てくれた。島一周クルージングに子どもたちを招待し歓迎してくれた。
10日間の保養プログラムが終わって帰って行った子どもたちは「また来たい」と誰もが言っていた。
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posted by M at 21:24| レポート

2013年08月05日

8月6日午後1300〜「福島と世界の核汚染」広島・生協けんこうプラザ

森住 卓 講演「福島と世界の核汚染」(無料)
8月6日 13時30分から
福島生協病院
広島中央保健生活協同組合 
生協けんこうプラザ
広島市西区観音町16-19
(082・292・3171)
・JR西広島駅より歩いて12分。
・ひろでん己斐駅より市内線にて西観音電停下車。
・己斐バス停より「広島バス」25系統広島行き、
  または「広電バス」バスセンター行き乗車、西区役所前下車
posted by M at 17:32| レポート

2013年08月02日

祝島島民の抗議の前に上陸阻止され、引き上げた山口県漁協幹部たち

祝島は30年以上にわたって、対岸の上関原発建設に反対を続けている島だ。
祝島漁協中国電力からの補助金10億8千万円の受け取りを拒否してきた。だが、
この3月山口県漁連祝島支店は総会でその受け取りを過半数で決めてしまった。
その後自体は急展開。詳しい経過は、こちらをご覧下さい。
http://silmarilnecktie.wordpress.com/2013/08/01/731%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%83%9E%E3%83%8D%E3%83%BC%E3%82%9231%E5%B9%B4%E6%8B%92%E5%90%A6%E3%81%97%E3%81%A6%E3%81%8D%E3%81%9F%E5%B3%B6%E3%81%8C%E7%B7%8A%E6%80%A5%E4%BA%8B%E6%85%8B/
とりあえず島民の抗議の前に県漁連幹部は乗って来たフェリーで帰っていった。
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2013年07月05日

安世鴻さんの写真集「重重」が発売されました。

安世鴻写真集「重重」(大月書店 2500円+税)

中国に取り残された朝鮮人日本軍「慰安婦」の物語。
昨年「在特会」などの圧力によってNIKON SALONでの写真展開催が一時困難になり、多くに支援者によって実現した写真展の写真が写真集になりました。
安倍政権や日本維新の会橋下代表などの異常な歴史認識で世界から孤立を深める日本にとって、侵略戦争とその犯罪を認め,韓国中国はじめアジアの人々へ謝罪させるためにも、この写真集は必要です。
本来この仕事は日本人自らがやらなければならない仕事なのです。
ぜひ、普及して下さい。
安世鴻写真集「重重」出版サポーター募集
http://www.otsukishoten.co.jp/news/n6211.html
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2013年03月01日

福島原発 警戒区域 浪江町請土上空から

昨年3月に撮影したものです。
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2013年02月26日

福島原発 警戒区域 浪江町大堀6

こどもたちの部屋にかかっていた時計は震災発生時に止まったままになっていた。
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福島原発 警戒区域 浪江町大堀5

浪江町の愛澤弘子さんの一時帰宅の同行させて頂いた。
自宅から2人娘のおひな様を見つけて避難先に持ち帰った。
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福島原発 警戒区域 浪江町大堀4

浪江町立大堀保育園
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福島原発 警戒区域 浪江町大堀3

大堀小学校の教室。震災発生でランドセルや教材が机の上にきれいに並べられていた。
あの日、子どもたちはそのまま避難して戻る事はなかった。
その後、避難から一時戻った教師が子どもたちのランドセルや教材を机の上にきれいな並べ、いつでも返還できるようにしたのだろうか?
誰もいない教室から子どもたちの歓声が聞こえてくるような錯覚を覚えた。
校庭の桜はつぼみを膨らませていた。
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福島原発 警戒区域 浪江町大堀2

福島第一原発から10キロ前後の浪江町大堀地区。避難した窯元の庭で高い放射線
量があった。
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2013年02月25日

福島原発 警戒区域 浪江町大堀1

元禄の頃からの伝統がある相馬焼は庶民に親しまれていた。浪江町大堀地区は相
馬焼きの里としてたくさんの窯元があった。
しかし、3.11と原発事故により、強制避難区域になり、今も放射能汚染にさらされ、住民が戻る事を拒否している。
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福島原発 警戒区域 浪江町の商店街


警戒区域の浪江町中心部の商店街。
3月11日の地震で倒壊したままになっていた。
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2013年02月23日

福島県双葉町町民の甲状腺検査

2月23日双葉町町民の甲状腺検査が行われた。
(福島市 医療生協わたり病院)

先日福島県は甲状腺検査の結果を発表。
4万人の県民の甲状腺検査の結果これまでに3人の甲状腺がんが発見され、疑いのある人は7人に上る。通常甲状腺がんは100万人に一人と言われている。
疑いも含めると通常の250倍の発生率になる。
県は福島事故由来を否定しているが、ならばなぜ高率の発生なのか理由を明らかにすべきだ。
チェルノブイリでは1986年の事故以来徐々に発生率が高くなっていった。

これまで懸念してきたことが現実となってきていることを感じている。一刻も早
く子どもたちだけでも安全なところに避難させなければならない。

福島集団疎開裁判
http://fukusima-sokai.blogspot.jp/
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2013年02月12日

写真展「風下の村」最終日

神戸大のロニー先生の教え子が来てくれました。先週土曜日会場に来てくれた。
岩手に支援に行くついでに寄って下さった。その帰りに今度は学生の皆さんが来
てくれたのだ。感謝感謝。
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12日最終日 写真展「風下の村」

開場して10分後、たくさんの方が見えてくださっています。
捨てられた牛乳の池、ガリガリに痩せた牛の背中、殺処分になる牛を見送ってい
るお母さんがトラックにしがみついている手の皺までじっくりと読み取っているかたもいる。
そして、ハンカチを目出しらに当てている人も。
連日「写真力」を感じている。

今日は最終日15:00までです。
新宿東口高野ビル4Fコニカミノルタプラザです。
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2013年02月10日

東京新聞2月9日夕刊が写真展「風下の村」を紹介してくれました。

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東京新聞2月9日夕刊が写真展「風下の村」を紹介してくれました。

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2013年02月05日

福島第一原発「風下の村 Douwwinders」写真展会場


今日はなぜか暇だ。
お客さんがいない間に動画撮影を行った。

希望を見いだせない写真に皆さん絶望して帰る。だが、これが現実なのだ。何が、
復興だ。次に踏み出せない福島の現実に目をそらさないで欲しい。勇気を持って
見て欲しい。そして何をなすべきか考えて欲しい。
私の写真がそのきっかけになれば幸いだ。

会場::新宿駅東口高野ビル4Fコニカミノルタプラザギャラリー

10:30〜19:00
2月12日最終日は15:00までです。
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2013年02月02日

写真展「風下の村」開催

写真展「風下の村 Downwinders」今日から開催。
2月2日から2月12日まで
コニカミノルタプラザ
新宿駅東口高野ビル4F
新宿区新宿3-26-11
03-3225-5001
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写真展「風下の村」開催

写真展「風下の村 Downwinders」今日から開催。
2月2日から2月12日まで
コニカミノルタプラザ
新宿駅東口高野ビル4F
新宿区新宿3-26-11
03-3225-5001
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2013年01月27日

写真展「風下の村」準備

エプソンのラボを借りて大出力画面のプリント行った。
最大展示はB0ノビサイズ。これで2回目のプリント。
出力しているのは福島第1原発3号機の無残な姿。再稼働と新設などという人々に、しっかりこの現実を伝えなければならない。
大事な事が写っている写真は迫力のある大画面で見て欲しいと思っている。
辛い事実に目をそらさないで。
現実と向き合うために。

会場:コニカミノルタプラザギャラリーC
開催日時:2月2日から2月12日(10:30から19:00)
新宿駅東口 高野ビル4F
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posted by M at 08:43| レポート

2013年01月07日

森住卓写真展「風下の村」のお知らせ 2/2〜12 新宿コニカミノルタプラザ


森住卓写真展「風下の村 Down Winders」
2013年2月2日(土)〜2月12日(火)10:30-19:00(最終日は15:00まで)
コニカミノルタプラザ ギャラリーC(無休・入場無料)
http://www.konicaminolta.jp/plaza/
〒160-0022 東京都新宿区新宿3−26−11 新宿高野本店ビル 4F
03-3225-5001

ネバダ核実験場から北東地域のネバダ、ユタ、アリゾナ州など放射性降下物で汚染された地域に住む人々を「Down Winders-風下地区の住民」と呼ぶ。
「風下の村 Down Winders」は福島第一原発事故で放射性物質が風で運ばれた地域。

汚染された事実を知らされず、住民はずっと住んでいた。
放射能は目に見えず,音も,味もない、五感で感じることが出来ない。
風下地区の人々は一瞬にしてふるさとを奪われ、家族や友人もバラバラにされた。
福島取材は2011年3月13日の事故直後から始まった。
これまで週刊誌や写真集などに発表した。
最新のものは昨年末など合計約50数点。
福島は終わっていないことを知って欲しい。
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posted by M at 19:55| レポート

2013年01月02日

飯舘村の正月3

飯舘村蕨平の志賀さんが避難先から戻って玄関に掛ける正月用のお飾りを作った。
玄関には松の枝が飾られた。いまだ、放射線量は高く、7,29μSv/hあった。
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posted by M at 20:38| レポート

飯舘村の正月

大晦日の夕方、雪が降ってきた。
山津見神社の鳥居。
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posted by M at 20:34| レポート

飯舘村の元日2

元日のあさ、裏山の氏神様にお供えをあげに行く長谷川さん。
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posted by M at 20:32| レポート

飯舘村の元日

全村避難の飯舘村の長谷川健一さん宅で新年を迎えた。
両親と長谷川夫妻の4人だけの静かな大晦日。
年越しそばと奥さんの手料理を食べながら、日本酒を3合ほど飲んだ長谷川さんはこたつで寝てしまった。
子や孫やひ孫のいない元旦の朝、4人で食べるお雑煮に「寂しいな」とぽつりと言った。
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posted by M at 20:07| レポート

飯舘村の初日の出

全村避難の飯舘村は国と村が一体となって村民を村に戻そうとしている。
無責任な除染が強引に進められ、賠償も進まず、なし崩しで何もなかったかのようにさせられるのではと住民たちは警戒している。
避難先から自宅に戻り正月を過ごす人は事前に役場に登録して下さいと呼びかけた。
登録する人が少なかったために区長に連絡をするようにと通達を出した。
しかし、住民は無視して村に戻ったひともいる。

元日朝7時のNHKニュースでは村に戻った家族の紹介をしていた。
どの地域なのかわからないが小さな子ども画面に映っていた。
「やっぱり家族一緒に過ごす正月はいいですね」という住民のコメント。
飯舘村には「子どもが戻ってきても大丈夫」なのだと印象づける無批判、無神経な報道だ。
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posted by M at 20:01| レポート

福島市内 復興牧場で生まれた子牛

田中さんは驚かないように生まれたばかりの子牛を牛の育成小屋にそっと運んだ。
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飯舘村を追われた田中さんたちがはじめた復興牧場

福島市ではじめて復興牧場。
年末30日に子牛が生まれた。
母牛は子牛の濡れた身体を舐めてきれいにしていた。
田中さんは笑いながら「コンチクショウ」と言った。
元気な子牛は雄だった。
将来子牛を産んでミルクを生産出来ない雄では役に立たない。
田中さんにとって牛は経済動物。市場に持って行っても3万円ぐらいにしかならない。
これでは育てる労力とミルク代が無駄になるだけで、儲けはまったくない。

新しい命の誕生は希望であり、うれしいことだ。が複雑な気持ちだ。
センチメンタルなことは言ってられない。
だから「コンチクショウ」なのだ。
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切り捨てられた柿の木に農民の怒りと無念

柿の木は皮を剥かれ除染したが、昨年も汚染していた。
幾つ年を越せば汚染は無くなるのか。
諦めた農民は柿の木を根元から切った。
(2013年1月1日伊達市霊山)
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2012年12月13日

富士山からとってきたのきのこ食べないでください。

警告!!
富士山のきのこ食べないでください。富士山東部小富士付近で採取(9月下旬から10月初旬)したきのこにセシウム137が188Bq/Kgとセシウム134が100Bq/Kg 合計288Bq/Kg検出されました。食べないようにしましょう。うどんのつゆに入れたらに最高のだしが出るんですが残念。パスタに入れてもうまいのに。悔しい。うまいからって食べないようにね。
あなたの健康と未来の子供たちのために。
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2012年11月26日

12/7森住卓講演会 つくばセンタービル

つくば「12.8不戦のつどい」
森住 卓 講演会「福島と世界の核汚染」

12月7日(金)】18:30〜20:30
【場所】つくばサイエンス・インフォメーションセンター(つくばセンタービル・ノバホールの隣り)
太平洋戦争開戦の12月8日前後に、毎年つくばで開催する
みなさんと写真映像を見ながらの講演
【参加費】大人1,000円 学生500円 小学生以下無料
【定員】100名(事前申し込み制)「森住 卓 講演会」への参加希望とお名前、ご連絡先をメー ルまたは電話でお申し込みください。
なお、定員以上になった場合は入場を制限させて頂くことがあります。
【申込先メールアドレス】12.8tsukuba@gmail.com
【問い合わせ先電話】029ー861ー7320(学研労協)
http://tsukuba-fusen1208.blogspot.jp/
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2012年10月21日

自衛隊の商店街を軍事行進

10月21日青森県弘前市の商店街を陸上自衛隊の軍事行進が行われた。
沿道の市民が日の丸を振り、平和団体の反対の声がかき消された。
軍靴よりも市民の歓迎一辺倒が怖い。
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2012年06月07日

環境省 ヒバク写真展を拒否

驚き。世界ヒバク写真展を環境省がエコフェアでの展示を拒否しました。
核汚染で被曝した人々の写真を展示することがなぜ??
環境汚染の最たるものが核汚染。なのに???
これじゃ環境省の外局に設置する原発規制機関「原子力規制庁」は原子力村管轄になること間違いなし。
何も規制できない。だから「ヒバク写真展」をやらせたくないのだ。
せっかく私のセミパラチンスク核実験場の被曝者やイラクの劣化ウラン弾被害者の写真を見て頂けると思ったのに。
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posted by M at 23:11| レポート

2012年06月06日

ドキュメンタリーフォトフェスティバル宮崎

6/5(火)〜10(日)
宮崎県立美術館 「原発を考える」 入場料500円
樋口健二「原発崩壊」
森住卓 「風下の村」
2人作品です。

--
森住 卓
Takashi Morizumi
posted by M at 12:30| レポート

2012年05月18日

JVJAで福島第一原発取材要請しました。

東電は福島第一原発内に取材をフリージャーナリストに大幅な制限を加えています。これに対してもっと取材枠を広げるように要請文を昨日(5/17)の定例記者会見の席上読み上げ提出しました。
以下、要請書です。
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どうも、フリーのジャーナリストは見て欲しくないところを見ようとしてうろつくので、入れたくないのでしょう。なんでも撮影されてしまうので、見せたくないようですね。
その点、大手メディアの記者は何でも言うことを聞いてくれるのでエスコートしやすいのでしょうか?大手メディアの記者は飼い慣らされている。全てじゃないけれど。NHKの数土経営委員長も東電の社外取締役に入った。これじゃ、毒まんじゅう食わされて何も言えなくなってしまう。
でも、国民が知りたいことはちゃんと知らせるべきです。そのためにジャーナリストは存在しているのです。
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2011年08月23日

北朝鮮との国境の町丹東

遼寧省丹東市に着きました。

川を渡ると北朝鮮だ。手前中国側はネオンがきらきら輝いて明るいが、橋の途中
からネオンがなくなり真っ暗で、対岸はさらに真っ暗。北朝鮮だ。
あす、国境を越えて北朝鮮に入ります。
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posted by M at 00:32| レポート

2010年06月09日

祝島 屋根の上の風車。

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先日鎌仲さんの映画「ミツバチの羽音と地球の回転」のお披露目会で続可能な自然エネルギーを祝島で実践しようという話がでた。さっそく、祝島の新庄さんの大工小屋の屋根に手製の飛行機の風車が取り付けられた。でも作った人は、自然エネルギーのことのが都内のお披露目話し合われたことを知らない。 
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2010年06月03日

祝島 平さんの田植え2

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3代にわたって築かれた見事な石積みです。
夏になったら石が草に覆われて隠れてしまいます。「若い人が草刈りに来てくれるといいんだが」と平さんは言う。

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2010年06月02日

祝島の子ぶた

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飼育中にその家畜が幸せに育ったのかどうか、殺された後の顔に出るという。都内の高級レストランのシェフが氏本さんが飼っている豚は微笑んでいると言ったと。
氏本さんが寝転がって子豚の腹をなでてあげると子ぶたは気持ちよさそうに寝転がって腹を出している。
子ぶたの顔には幸福感が満ちているようだった。
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2010年06月01日

祝島 平さんの棚田の田植え

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「今年は作れるかどうか?」・・・。
3月に柳井港から祝島に行く船に乗り合わせた平さんはちょっと弱気の発言をしていた。
すでに80を超えた肉体で棚田の稲作りはきつい。でも、棚田の稲穂が実ることを期待して多くの人が見に来てくれる、そのことが励ましになったのか、今年も一番下の田だけ作ることにした。
五月中旬の快晴の日。朝から水がいっぱいに入ったたんぼに田植機の心地よいエンジン音が響きはじめた。
ゆっくりゆっくり、心中に他の畦のカーブに沿いながら3、4本の早苗が植わってゆく。
水面にミズアメが浮かび、澄んだ水の中にオタマジャクシがたくさんいた。
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2010年05月31日

アカエリヒレアシシギの群れ

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アカエリヒレアシシギの群れを発見。100羽近くいる。この辺ではこんなにたくさんの群れは珍しい。カンムリウミスズメと同じくらいの大きさ。
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カンムリウミスズメの観察???

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5月、ニューヨークから帰ってすぐ、祝島に行ってきました。上関原発の計画海域でカンムリウミスズメの観察を「長島の自然を守る会」代表の高島美土里さんたちの船に便乗させてもらいました。
昼過ぎから五時間近く海上の観察しました。しかし、今年は天候不順なのかまだ時期が早いのか姿を見せてくれませんでした。
その代わり時々スナメリの群れが確認されました。
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2010年04月23日

祝島の船大工 新庄さん作った伝馬船

4月3日新庄さんが作った伝馬船の完成のお祝いがあった。

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無事に進水式も終わって、お祝いの酒でほろ酔い気分の新庄さん。
「船大工は家も造れるが、普通の大工には船は作れん」とぽつりと言った。いま、和船を造れる船大工はほとんどいなくなった。新庄さんは確かな腕を持った貴重な人だ。
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2010年04月12日

ヒジキ狩り3

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大潮の昼過ぎ潮の引いた三浦の磯で民ちゃんがヒジキを刈っていた。
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2010年04月10日

祝島のヒジキ2

昨日刈り取ったヒジキを朝から大釜でゆでていた。
民ちゃんが大きな袋から釜に入れると焦げ茶色のヒジキが鮮やかな緑色に変化した。
3時間以上茹でるので、私もかまど焚きを手伝った。燃料は山からとってきた薪だ。
かまどで燃える赤い火を見ていると心が和む。

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新庄さんの薪ストーブ

船大工の新庄さんが作った伝馬船のお披露目の日の朝、漁師が持ってきた魚が薪ストーブの上で塩焼きにされ、酒の肴になった。
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2010年04月09日

祝島の石垣

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祝島は海岸線沿いのわすかな平地は宅地や畠になっている。
狭い土地を有効に利用するために積まれた石垣。
巨石を積み上げた先人の血と汗と努力の結晶だ。
石積みの風景は平さんの棚田だけでなく島のあちこちに見られる。
しかし、捨てられた段々畑の石垣は人の手が入らなければ、いつか崩れてしまう
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2010年04月03日

祝島のひじきがり

春になり水も温み,海の中も芽吹きの季節。
ヒジキ、アオサ、フノリなどが次々ととれる。
3月16日午後2時過ぎ大潮で海岸線の岩場が現れはじめた。波に洗われ、焦げ茶色のヒジキが岩を覆っている。
長いものは数十センチもある。鎌で刈る海の中の草刈りだ。

山戸たかしさんは「祝島のヒジキ」として通信販売をおこなっている。
磯の香りとカルシュームなどのミネラルいっぱいの海からの贈り物だ。
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2010年03月26日

「ダビデの星を拒んだ画家フェリックス・ヌスバウム」友人のわこさんが書いた本

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友人の大内田わこさんから「ダビデの星を拒んだ画家 フェリックス・ヌスバウム」(光陽出版 1524円+税)という本が送られてきた。
わこさんは何年か前から、アウシュビッツやユダヤ人虐殺の足跡を訪ねていることを聴いていたのですが、著書でこの画家の存在を始めて知りました。

巻頭の挿絵はフェリックス・ヌスバウムの自画像。のっぴきならない目つきをした表情の男。手に持ったユダヤ人のIDカードとじっと見つめる目は、最後の時間が迫っている事を伺わせる。

読者に歴史の真実にしっかりと向き合ってくれとでも言っているようだ。どこかで見たような錯覚を覚える。

この画家がどんな画家であったのか知りたくなった。
今夜読もう。
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2010年02月27日

3.1ビキニデー

3月1日焼津でショートスピーチをします。
テーマは「大国の横暴」
  ビキニ水爆実験被害、イラク,アフガニスタンの報告をします。
「ビキニ被災56年2010年3.1ビキニデー集会」
13:00から15:30 焼津市文化センター大ホール

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【写真】1975年のビキニデーに参加したネルソンアンジャインさん(左から2人目)です。

あすから静岡でビキニデー集会が開かれます。
ビキニデーとはいまから56年前に中部太平洋のマーシャル諸島ビキニ環礁で行った水爆実験によってビキニの海域で操業していた日本の第5福竜丸を始め1000隻の漁船が被曝した事件が起こりました。第五福竜丸の乗組員の久保山愛吉さんが亡くなり、広島、長崎につぐ3たびの犠牲者が出たことで日本国内で核兵器廃絶の大きな運動が始まるきっかけになりました。

実は3.1ビキニデーは私が核問題に関心を持った原点なのです。
1975年の3.1ビキニデーの取材に始めていきました。当時私は24歳,右も左もわからない駆け出しのカメラマンでした。
ビキニデー集会の壇上から一人の色黒の男が「ワタシタチヲタスケテクダサイ」とたどたどしい日本語で訴えたのです。彼はマーシャル諸島ロンゲラップ島(ビキニ核実験場から180キロ東のロンゲラップ環礁)からやってきた村長のネルソン・アンジャインさんでした。日本の占領時代、皇民化教育で無理矢理覚えさせられた日本語が30年後に役立ったのでした。しかし、当時私は日本の侵略戦争の加害の歴史に関心を寄せていませんでしたから何となく、彼が話す日本語に親近感を感じるだけでした。しかし、核実験被害者の存在はしっかり記憶されていたのです。
それから、19年後、私はネルソンさんの案内で始めてビキニ被曝の取材を開始しました。「船がすごく揺れひどく船酔いしました。でも、島の人たちを助けて貰おうと必死でした」と始めて日本に来て救援を訴えたときのことを話してくれました。パスポート持たず決死の覚悟で日本に上陸したのでした。(不法入国?)










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2010年01月10日

劣化ウラン弾を使うA-10対地攻撃機

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カンダハール空港でたくさんのA-10対地攻撃機が駐機していた。ガトリング砲が装備され,通常口径30ミリの劣化ウラン弾が1〜2秒間に60〜120発発射され,弾幕となって飛んでゆく。
昨年、ドイツ軍マニュアルに記載された「劣化ウラン対策」が明らかになった。このマニュアルは「アフガニスタンに派遣されるドイツ連邦軍兵士用に,2005年にドイツ連邦コミュニケーションセンターによって作成されNATO軍内での使用に限られで機密扱いマニュアル」(NO DUヒロシマプロジェクトhttp://www.nodu-hiroshima.org/)になっていた。
このマニュアルの存在はアフガニスタンでの劣化ウラン弾使用を裏付けている。
さらに、ジャララバード、カブールの医師たちは一様に白血病やガン、奇形児の発生などが戦争前よりも増加している、と指摘する。
posted by M at 18:24| レポート

2010年01月08日

国際法違反の米軍のプレデダー無人機。パキスタン空爆から帰って来たんでしょうか。

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ジャララバード市内上空を空の鼓膜を破るような鈍いエンジン音を響かせながら,ゆっくり飛んでいた。
オバマが大統領になってからプレデダー無人機を使った爆撃が劇的に増加していとのこと。しかもこの運用にはCIAと悪名高きブラックウオーター社が関わっており、オサマビンラディンやアルカイダを殺害するためと言うことでパキスタン領内を爆撃している。一国に独立国に宣戦布告もせず爆撃をする。これまでアメリカは世界中でやってきたことですが、明確な国際法違反なのに国際社会はなにも問題にしない。
最近「ジャララバード近郊に二つ目の、秘密基地を増設したと、匿名の情報源が、タイムズに語っている。大半の無人機による任務は、現在はジャララバードから発進し、攻撃や、ミサイル発射は、バージニア州、ラングレーのCIA本部で、CIA職員が操作している。」http://eigokiji.justblog.jp/blog/2009/08/post-3ddd.htmlことがあきらかになった。
無人機であれば撃墜されてもパイロットや搭乗員の事を心配することもなく、安上がりだ。しかも、民間軍事会社が運用に携わっているとなればオバマ政権の責任のがれにもつかえる。まさにオバマ政権にとって安上がりで国内世論からも批判されることない,一石二鳥なのだ。しかし、無人機がばらまいた爆弾の下には一般市民が暮らし、多くの命が犠牲になっている。このことが一番問題だ。






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2010年01月07日

命をはぐくむ水 カレーズ

かつてアフガニスタンは緑豊かな大地があった。
春は杏や桃 桑の実がなり、耕地を潤し豊かな実りをもたらしてくれた。
その源が地下に掘られたカレーズと呼ばれる地下水脈だ。
山々からわき出した清涼な水をアフガンの大地にくまなく行き渡らせていた。
長く続く戦乱でこのカレーズも多くが破壊された。
ジャララバード近郊でカレーズに出会った。冷たく澄んだ水は農地を潤し豊かな
実りをもたらしていた。
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2009年12月12日

ブタのエサ作り

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島を一回りして回収してきた食べ残しや野菜くずにフスマなどを混ぜてをブタのエサ作り。脇からマキがおねだりした。あんパンのかけらを氏本さんが「ホレ食べろ」と言って投げた。今日はニンジン、リンゴの皮、キャベツの芯、冷凍庫の隅に忘れられていた餃子とご飯などなど。
昔は捨てられれていた残飯や野菜くずがちゃんと役立って,ブタを育てブタの排泄物が土を肥やし野菜を育て循環している。
昔は当たり前だった事が今では「すごい」となる。江戸の町の糞尿は川越あたりまで運ばれて肥料として売られたという。人肥で育った野菜が江戸に運ばれ消費された。氏本さんは同じ事を普通にやっている。
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2009年12月11日

祝島 氏本農園のマキと島で育ったみかん

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祝島はみかんの収穫が最盛期を迎えていた。傷物や小さいみかんは出荷できないのでブタのえさもらってきた。


氏本さんの相棒マキはどこに行くにも一緒だ。
ぶたのエサになる残飯や野菜くずを集めに出発。

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祝島 氏本農園のブタ

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この島で生まれた氏本さんは、北海道で酪農をやってきた。20年ぶりに生まれ故郷の祝島に戻ってきた氏本さんは耕作放棄された棚田にブタを放牧することにした。「荒れ地」に生えた雑草や茅や低木が生えぶたのエサになった。足りない分は島内で出る生ゴミや残飯にふすまをっまぜて与えている。輸入の飼料は使わない。ブタの蹄は土地を耕し,ぶたの排泄物は土の養分になる。やがて荒れ地が畑に可わっり、芋や野菜が育つようになった。
豚舎はない。ブタ本来の生きる力を引き出してあげるだけ。茅の茎や枝を集めてきてふかふかの暖かい小屋を造る。出産はこの産床でする。
放牧によってブタにかかるストレスの軽減で味も良くなる。ブタの生きる力を引き出す。耕作放棄された土地の再生、島内生ゴミの処理など循環型の農業を実践していている。
私が氏本産から聞いた話を書くよりご本人の氏本さんがブログで祝島での養豚について書かれているのでご紹介します。ttp://myweek.seesaa.net/article/40638486.html
「(祝島では)半世紀前は牛が飼育され耕運を担っていましたが、耕運機が牛に取って代わり牛の糞尿堆肥も無くなり島外から搬入する化学肥料に依存する農業に変貌してしまいました。そのことが離島農業の持続性や有機性、循環性を衰えさせ、高コスト化をもたらし、市場性を失う結果につながったと考えます。
そこで、私はもう一度祝島に家畜を呼び戻し、家畜を地域農業システムに組み込むことで、有機性や循環性を回復させることが、祝島農業再生の一歩だと考えたのです」(2007年50月3日 )
二年前に書かれた祝島での農業のあり方を見事に実践されていた。
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2009年12月10日

神戸で写真展とトークのお知らせ

(12月の投稿で、レイアウトの乱れがありましたので本日投稿し直しました。)

友人で神戸大学のロニー先生が主催する「ポーポキ・ピース・チャレンジ!」
関西方面の方是非来てくださいね。

Part1「いのちって、なに色?」森住 卓 平和のための写真展
2010年1月8日(金)から1月14日(木)
 09:00〜22:00(ただし、初日は15:00より;最終日は15:00まで)
Part2 講演「レンズを通しての平和といのち」(講師:森住 卓)
 2010年1月8日(金)18:30〜20:30(18:00)開場 資料代300円
Part3 灘のピース・マップづくり 
 2010年1月9日(土)(詳しくはチラシ裏面)

チラシはファイルをクリックしご覧ください。
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祝島 平さんの棚田

天をつくような石垣。まるで城壁のようだ。高さ8メートルに及ぶ。親子3代にわたって積み上げてきた。大型機械に頼らず、人の力だけで2メートルを超す巨石をどうやって動かしたのか。
ぴたりとはまった巨石。島の人の知恵と血と汗がしみ込んだ努力の結晶だ。
棚田の石垣の上には出作り小屋が建っている。小屋と行っても立派な家だ。亀次郎おじいさんが建てたという。孫の平万次さんは「この小屋でおじいさん一緒に寝泊まりして、昔の話をよく聞いた。貧しかったおじいさんは学校に行けなかったので字が読めなかった。夜になるといろりに座って歴史物語をよく読んであげた」と懐かしそうに言う。

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2009年11月26日

2009年11月13日

空軍第353特殊作戦航空団

昨日UPしたヘリの事が分かりました。海兵隊じゃなくて「陸軍か?」って書きましたが嘉手納の空軍でした。
「米嘉手納空軍の第353特殊作戦航空団の傘下の部隊で、夜陰に乗じて敵地潜入、脱出などの訓練を行っているんでしょう」(沖縄平和委員会大久保事務局長)太平洋地域で唯一の空軍特殊作戦部隊。
彼らの演習を目撃できるのは非常に珍しいと言っていました。
北部訓練場は海兵隊が運用していますが、訓練は陸、海、空、海兵が必要に応じて使用している。

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森住 卓
Takashi Morizumi
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2009年11月12日

助っ人参上!池田香代子さん、あすのJVJA森住卓トークに。

いよいよ明日(11/13金)日本ビジュアルジャーナリスト会議(JVJA)写真展トー
クに「世界がもし100人の村だったら」の池田香代子さんが助っ人に来てくださることにな
りました。
会場:キッド・アイ・ラックホール(京王線明大前下車徒歩1分)
    東京都世田谷区松原2-46-11
    TEL: 03-33322-5564
日時:11月13日(金)午後6:30から8:30
入場料1000円
定員:40名予約先着順です。
予約連絡先:office@jvja.netまたは090-6101-6113です。

出演が決まっていた鎌仲ひとみ監督が、上関原発の現場が急展開したために急遽
取材に行かなければならず、そのお詫びを昨夜お送りしたばかりだったのですが、
メールを見た池田さんがこの穴埋めに私ができることならばと、ありがたい連絡
を頂きました。

池田さんとは2002年イラク戦争前夜、私の写真と記事で作った冊子 英語版
「Children of the Gulf War」を衆参両院全議員にくばり、イラク戦争に反対す
るように説得をされた時からのおつきあいです。

池田香代子(いけだ かよこ)さんのプロフィール

ドイツ文学翻訳家 口承文芸研究家

世界平和アピール七人委員会メンバー
ESD−J「国連持続可能な開発のための教育の10年」推進会議顧問
2001年9月11日、アメリカで起こった大惨事。
それを機にアメリカがアフガニスタンに侵攻したことを受けて、
『世界がもし100人の村だったら』を出版し、
人々の"平和を願う”意識を呼び起こし、ベストセラーとなる。
その印税で「100人村基金」を立ち上げ、
NGOや日本国内の難民申請者の支援を行っている。

『ソフィーの世界』をはじめとする翻訳家として活躍する一方で、
1955年に核兵器廃絶と世界平和の構築を目指して発足された、
世界平和アピール七人委員会のメンバーも務める。
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森住 卓
Takashi Morizumi
posted by M at 11:18| レポート

2009年11月11日

鎌仲監督急遽下関原発埋め立て予定地に急行

「上関原発の予定地、田ノ浦の埋め立てをめぐって現地が緊迫しています。とても大事な時期なので急遽編集を中断して撮影に行くことにしました」
http://888earth.net/staffblog/cat14/cat17/
と、いう訳で皆様にお知らせしていた日本ビジュアルジャーナリスト協会写真展での私のトークショウへのゲスト出演が出来なくなりました。
ご期待いただいた皆さんに大変申し訳ありません。
仕事柄わたしも時々ドタキャンして急遽取材に出てしまうことがあります。映像の仕事はその時、現場に居なければ何も写らないのです。その点をご理解いただき、今回の件ではお許し頂きたいと思います。その代わり私が一人で核実験被害が核兵器がゼロになったとしても、今後も
何世代にもわたって続くこと。被曝者は未来の人類への警鐘を鳴らしていることをお伝えする予定です。

森住卓トークショー
11月13日午後6時半から8時半まで
キッド・アイラック(京王線明大前下車徒歩1分)

JVJA写真展追加トーク
JVJAメンバーの國森康弘さんも追い続けていた隠岐の島の老人介護の現場が急展
開!急遽撮影現場に急行!
「ずっと取材してきた看取りの家の取材は16日までかかります。14日の自分のトークショーは1時間程度のスライドショー(日本兵の証言
中心)にまとめ、残りを森住さんによる沖縄戦(住民の証言)
講演にして頂く運びになりました。」

という訳で15日も私が半分お話をします。
「沖縄戦 集団自決を生きる」(高文研)よりなぜ集団自決が怒った。そして今
何故集団自決が問題なのかをお話しします。
11月14日午後6時半から8時半まで
キッド・アイラック(京王線明大前下車徒歩1分)

森住 卓
Takashi Morizumi
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2009年11月03日

緊急告知 鎌仲ひとみ監督参上 JVJA写真展の13日トーク核廃絶

映画監督の鎌仲ひとみさんがJVJA写真展11月13日 森住 卓トーク「核廃絶はなぜ必要か」に来てくれることになりました。
核実験被害の話と鎌仲さが今取り組んでいる「上関原発建設」に反対する祝島の取材話、近況を話してもらいます。核兵器廃絶、終わりなき核実験場の被害、原発、クリーンエネルギーなどの話をします。時間内に終わるかどうか?

日時:11月13日〔金〕18時30分から
会場;キッド・アイラック・ホール(京王線明大前)
定員:40名予約先着順です。入場料:1000円
予約連絡先:office@jvja.netまたは090-6101-6113です。

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森住 卓
takashimorizumi
http://www.morizumi-pj.com/
posted by M at 21:43| レポート

2009年11月02日

JVJA写真展展示作業

11月1日会員の皆さんが早朝から集まって転じ作業が始まりました。展示にはうるさい人ばかりで「船頭多くして船山に上る」でした。一日では終わりません。今日も作業は続きます。でも、楽しい作業でした。
会員の皆さんご苦労様です。たくさんの人が見にきてくれることを願って。
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森住 卓
http://www.morizumi-pj.com/
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posted by M at 11:41| レポート

JVJA写真展「世界178人の顔」


JVJA写真展「世界187人の顔―命の現場から―」
2009/11/03(火)―11/5(日)観覧無料
キッド・アイラック・アート・ホール
東京都世田谷区松原2-43-11(京王線明大前下車徒歩2分)
〔開館時間〕11:00-20:00(会期中無休)
連絡先:
TEL 090-6101-6113
Email office@jvja.net
URL http://www.JVJA.net

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森住 卓
takashimorizumi
http://www.morizumi-pj.com/
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2009年07月31日

池田香代子さんが書評を書いてくださいました。

一昨日、コソボから帰ると机の上に信濃毎日新聞が。
開くと書評欄に「シリーズ核汚染の地球(全3巻)」(新日本出版社 各1500円税
別)が掲載されていました。なんと、池田香代子さんが書いてくださいました。
力の入った文章はさすが、大先輩の池田さんです。池田さんありがとうございま
した。
まだ、ご購入していない方ぜひ、買ってみてくださいね。


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森住 卓
Takashi Morizumi
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posted by M at 08:27| レポート

2009年05月25日

シリーズ核汚染の地球B6本足の子牛が発売されました。


カザフスタンにある旧ソ連核実験場セミパラチンスクのお話です。

■ くり返された核実験で、村は放射能に汚染された――

見渡す限りの草原、のんびりと草を食べる牛や馬たち、客人を温かくもてなす遊牧民――そこは、かつて、40年間に400回以上の核実験が行われたカザフスタン共和国セミパラチンスク。実験が終わって20年がたつ今も人々は放射能汚染の不安に脅かされている。「六本足の子牛が生まれた」と聞き、私はボデネ村を目指した――。

ISBN : 978-4-406-05242-9

定価 1,575円 (本体 1,500円)

ご注文・お問い合わせは:
http://www.shinnihon-net.co.jp/catalog/product_info.php?products_id=1962&osCsid=982a75fc66515d02abde5cfb53723e80

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森住 卓
Takashi Morizumi
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posted by M at 08:21| レポート

2009年05月16日

ヨルダンーイラク国境

話が前後して、申し訳ないが、イラク入国の時の写真を見ていただこう。
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ヨルダンを出国しイラクの入国手続きをすませ、振り返ると国境検問所にはアラビアコーヒーのポットの絵が掲げられていた。6年前まではサダム大統領の肖像画だった。
国境の事務手続きはイラク側がやっているが米軍が監視しているようだった。

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拘束事件から5年目、イラクに戻った高遠さん。入国スタンプの押されたパスポートを見せてくれた。(ヨルダン-イラク国境4月21日)
posted by M at 16:22| レポート

2009年05月15日

緊急イラク報告会

緊急イラク報告会を行います。
高遠菜穂子、志葉玲、森住卓が最新イラク情勢を報告します。

日時:2009年5月22日(金)
場所:明治大学駿河台キャンパス
リバティタワー8階1083教室
開場:18:00
開会:18:30
資料代:500円

<明治大学駿河台キャンパス>
〒101-8301 東京都千代田区神田駿河台1-1
■JR中央線・総武線、東京メトロ丸ノ内線/御茶ノ水駅 下車徒歩3分 ■東京メトロ千代田線/新御茶ノ水駅 下車徒歩5分 
■都営地下鉄三田線・新宿線、東京メトロ半蔵門線/神保町駅 下車徒歩5分
共催:イラクホープネットワーク 現代史研究会 問い合わせ:info08*iraq-hope.net 03-6228-0746(JIM-NET事務所)

以下のサイトをクリックして、チラシをダウンロード出来ます。宣伝してくださる方ご自由にお使いください。_meidai.doc
posted by M at 08:41| レポート

2009年05月02日

ラマディーの電力事情

 
ラマディーの町を歩くと空中を蜘蛛の巣のように電線が張り巡らされていることに気付く。
昼間は殆ど停電。あさと夜、1日に4時間前後。市民は自衛策として地域毎に裕福なひとが発電機を持っていて、そこから各家庭に電線をひいている。
アンバール州知事の話しによると、アンバール州全体に今、必要な電力は600MW。しかし、必要量の4分の1程度しか供給出来ていないという。
治安が回復したいま、急がれるのは電力の安定的な供給だ。市内の企業が計画的に操業できる最低条件だから。そうすれば雇用も創出され、失業問題も改善される。

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森住 卓
takashimorizumi
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posted by M at 04:32| レポート

2009年05月01日

イラク出国

4月29日無事に出国。見送りに着てくれた覚醒評議会のサラームさんとお別れの
あいさつをする高遠菜穂子さん。
国境の入国管理事務所は米海兵隊が警備していた。出入りする一人ひとりイラク
人のIDカードを確認していた。
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森住 卓
takashimorizumi
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posted by M at 03:44| レポート

砂嵐 

4月29日あさ6時にラマディーを出発。ヨルダン国境に向かった。
途中猛烈な砂嵐が視界をさえぎった。
前後を走る警備の警察車両も見えなくなってしまう。
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森住 卓
takashimorizumi
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コンテナ到着

4月28日記者会見の後、午前中到着したコンテナの前で無事に到着を喜んだ。
コンテナにはラマディー参加病院へのベッドなどの医療機器、小学校へのソーラー発電設備などが入っている。

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森住 卓
takashimorizumi
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記者会見

ラマディー滞在最後日の前日4月28日記者会見をした。
イラクのメディアやロイター、BBCも来た。
今回の高遠さんの滞在目的や拘束後初めての訪問の印象、劣化ウラン弾の汚染の
危険性などの質問を受けた。


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森住 卓
takashimorizumi
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2009年04月30日

知られざる虐殺・ラマディー・アンダルース地区の墓地

ラマディーのアンダルース地区では住宅地の一角にある子ども公園が墓地になった。
高遠菜穂子さんが犠牲になった市民の墓参りに訪れた。

無名の墓、「赤ちゃん」とだけ書かれた墓、累々と続く墓。全ての墓に「殉教者」と書かれている。
アメリカの攻撃で殺された人という意味だ。ざっと数えただけで2000以上の墓碑が立っている。

2006年8月から始まった米軍の攻撃によって犠牲になった市民を埋葬した。
当時、ラマディー市内は完全に米軍によって包囲され、市外にある墓地に遺体を埋葬することが出来ず、やむを得ず市内の空き地が墓地になったのだ。
8月23日ドバ地区を攻撃した米軍はインターネットセンターと周辺の住宅に集中放火を浴びせ、30人以上が死亡した。
瓦礫の下敷きになった生存者の救出の為に駆けつけた人々にさらなる攻撃が加え犠牲者が増えた。

米軍は「インクスポット作戦」と呼ぶ作戦で市内中心部をまず占拠し、周辺にインクがにじむように占領地を広げた。
市内を5地区に分断し、封鎖した。市民はなす術もなく、買い物にも行けず、何日も家の中に籠もるしかなかった。
周辺の建物は全て取り壊し平地にし、市民の隠れる場所をなくした。各地区の中心部の高い建物にはスナイパーが陣取り、周辺の動くもの全てに銃撃を加えた。
5地区は完全に孤立し、犠牲者の埋葬場所も市内のそれぞれの空き地を墓地にせざるを得なかった。
こうして、1万人とも10万人とも言われる市民が誰に知られることもなく殺され埋葬された。
 
墓参りに訪れた高遠菜穂子さんは「世界がラマディーのが虐殺を止められなかったことで、死者に申し訳ないと思った。ラマディーの人たちは世界が気が付いてくれなかったことが何より辛かったに違いない。
虫けらのように殺された人々は人間らしく死ぬ権利も与えられなかった。同時に怒りもこみ上げてきた。」といった。

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森住 卓
takashimorizumi
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2009年04月25日

高遠菜穂子さん5年ぶりイラクに入る

イラクのラマディーにいます。
4月21日アンマンから国境を越え、イラクのアンバール州に入りました。

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高遠菜穂子さん(イラクホープネット)のイラク訪問はアンバール州ラマディーの病院へ医療品を届ける事が主な目的だ。
高遠さんは拘束事件後、アンマンから支援を続けていた。
覚醒評議会の招待を受け5年ぶりのイラク入国になる。
「あの時(拘束事件)から止まったままになっていた時計の針が動き出したようです」と5年ぶりのイラク入国の気持ちをかたった。

アンバール州はバグダッドの西部に位置し、ファルージャやラマディーなどがある(ラマディーはアンバール州の州都)。
米軍、アルカイダ、地元レジスタンスが入り乱れた戦闘が続きイラク最大の激戦地。その犠牲者数は数万人とも数十万とも言われている。

2007年から米軍と協議を開始した地元部族長などを中心に結成された「覚醒評議会」は米軍と協議を続けた。ラマディーなどの市内からの撤退と戦闘、不当逮捕、家宅捜索などの中止、警察力の覚醒評議会への委譲などの条件を米軍が受け入れ、アンバール州からアルカイダを一掃し、平和を取り戻した。
「ラマディーで一番の激戦地。ドクターストリートは米軍によって道路に面したビルディング30以上がブルドーザーで壊され平地にされた」と高遠さんはいう。
しかし、この最激戦地も車の駐車場やディーラーが建ち並び賑やかさを取り戻している。

戦闘が中止されたラマディーは平穏を取り戻した、市民が夜遅くまで町に繰り出し、平和を謳歌し、命を失う危険が去ったことでの開放感にしたっているようだ。

市内の行動は覚醒評議会のボディーガードが24時間警戒にあたっていてくれる。

高遠さんは28日まで学校、病院、難民などの施設を訪ね、支援品を届ける。

写真はラマディー郊外タミーム地区の難民の子どもたちに文房具を贈る高遠さん。
(4月23日)

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posted by M at 16:32| レポート

2009年04月11日

『ムスタファの村 《イラク共和国》』が発売です。

4月5日発売のシリーズ核汚染の地球A「ムスタファの村≪イラク共和国≫」(新日本出版社 1575円)好評発売です。

■エデンの園に降った放射能のチリ
2002年秋、映画監督の鎌仲ひとみさんの「ヒバクシャ」撮影の時、イラクで出会った白血病の少年・ムスタファ。
湾岸戦争後、イラクではガンや白血病の子どもがふえつづけていた。
エデンの園があったという砂漠の村にも、大量の劣化ウラン弾が使用されたのだ。そして、2003年のイラク戦争――。穏やかな暮らしを望む人々を苦しめる戦争と核の脅威を写真と文で伝える。

ご注文お問い合わせは:
http://www.shinnihon-net.co.jp/catalog/product_info.php?products_id=1937&osCsid=982a75fc66515d02abde5cfb53723e80
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森住 卓
Takashi Morizumi
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花見の宴会

新宿公園の夜桜を見に行きました。酔いが回って楽しそうに奇声を発しているビジネスマンたちのすぐそばでジャケットを着込んで寝ているホームレスの人がいました。悲しい風景でした。
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森住 卓
Takashi Morizumi
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2009年03月23日

2009年03月15日

「楽園に降った死の灰 マーシャル諸島」

新刊書のお知らせです。
3月1日発売したシリーズ核汚染の地球@「楽園に降った死の灰 マーシャル諸島
共和国」(新日本出版社 1575円)好評発売です。
楽園にひそむ放射能という悪魔。
1954年3月1日日本の漁船第五福竜丸が被曝したビキニ水爆実験。半世紀以上たっ
た今もマーシャル諸島の人々を苦しめている。写真とともに紹介する。
ご注文は:
http://www.shinnihon-net.co.jp/catalog/product_info.php?products_id=1927&osCsid=19a0a16997ac2b96dbaa69d928f96c8b


続刊、A「ムスタファの村 イラク共和国」B「六本足の子牛 カザフスタン共
和国」出版準備です。
是非ご購読ください。
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森住 卓
Takashi Morizumi
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2009年03月10日

『ミツバチの羽音と地球の回転』(仮題) 鎌仲ひとみさんの最近作

鎌仲さんより寄せられたお知らせを紹介します。

長編ドキュメンタリー映画

『ミツバチの羽音と地球の回転』(仮題)
(公式サイト)http://888earth.net/

■2009年秋公開予定

今、どのようなエネルギーを選択するのか、
そこに私たちの持続可能性がかかっています。


◆3月15日(日)「ぶんぶん通信no.1」上映会のおしらせ@東京
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「ミツバチの羽音と地球の回転」の制作途中の報告を兼ねたビデオレター
「ぶんぶん通信no.1」の上映会を開ます。

「ぶんぶん通信」は映画になる前の姿、言わば映画の卵の
ようなものです。

鎌仲監督より撮影の現場から最新報告をしていただきます。
この機会にぜひ上映会にお越し下さい。


◎トークセッション&上映会
≪持続可能性を支える人々、そして私たちの意志≫

◎日時:3月15日(日)
◎会場:東京大学 福武ラーニングシアター (各回180名定員)
     東京都文京区本郷7-3-1 情報学環
     福武ホール受付 03-5841-0328
◎アクセス
http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/facilities_inside-fukutake_learning_theater.html

◎タイムスケジュール
12:00 開場 
13:00@1回目『ぶんぶん通信no.1』上映会
14:10-15:30 トークセッション
≪持続可能性を支える人々、そして私たちの意志≫
16:00 2回目『ぶんぶん通信no.1』上映会
上映後、鎌仲監督より作品解説あり
17:30−18:30 交流会
19:00 終了

<トークセッションゲスト>
小澤徳太郎
元スウェーデン大使館環境保護オブザーバー
現在、環境問題スペシャリストとして執筆、講演活動中
http://www7a.biglobe.ne.jp/~backcast/

鎌仲ひとみ
「ミツバチの羽音と地球の回転」
「ぶんぶん通信no.1」監督
http://ameblo.jp/rokkasho/

【司会】
林香里
東京大学情報学環 准教授
http://home.d05.itscom.net/hayashik/


◎資料代:1000円
◎交流会:500円

*交流会では、フェアトレードコーヒーや祝島のびわ茶、
オーガニックスイーツなどの軽食をご用意しています。
*フライヤー・詳細はこちらから
http://888earth.net/images/bunbun20090221.pdf


<主催:「ミツバチ」制作プロジェクト>

★*888−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−・−

新作撮影中!
「ミツバチの羽音と地球の回転」

WEB:http://888earth.net/
MAIL:888earth@g-gendai.co.jp

「ミツバチ」制作プロジェクト
担当:巌本、藤井
〒160-0022 東京都新宿区新宿1-11-13
トラスト新宿ビル4F グループ現代
Tel: 03-3341-2863 Fax:03-3341-2874

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森住 卓
Takashi Morizumi
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2009年02月11日

「沖縄戦『集団自決』を生きる」が琉球新報と朝日新聞に紹介されました。

「沖縄戦『集団自決』を生きる」が琉球新報の2月8日付で小橋川共男さんが書評を書いてくださいました。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-140625-storytopic-6.htmlを開くと琉球新報に記事が読めます。

さらに2月10日朝日新聞夕刊コラム「窓」で紹介されまいた。


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2009年02月06日

江川紹子さんが書評を書いてくれました。

「沖縄戦『集団自決』を生きる」(高文研)の書評が週刊金曜日
に掲載されました。江川紹子さんに書いていただきました。
江川さんありがとうございました。

--
森住 卓
Takashi Morizumi
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2009年01月11日

「沖縄戦『集団自決』を生きる』が毎日新聞に掲載されました。

毎日新聞1月10日付で出版社の高文研は「沖縄」書50冊目に「沖縄戦『集団自決』
を行きる」を刊行と掲載されました。

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森住 卓
Takashi Morizumi
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2009年01月05日

派遣村と宝塚、2つの行列

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派遣村5日目。
日比谷公園と東京宝塚劇場は直線距離にしてわずか400メートル。この2地点で偶然見つけた2つの行列。
一方は夕食を貰うために500人以上の人が並び、一方の宝塚前には公演が終わってファンのお目当てのタカラジェンヌが外に出てくるのを待つ行列があった。
日比谷公園の行列は命をかけた、生き延びるための行列。一方の行列はファンの行列。ちなみに宝塚のチケットはS席は1万2千円くらいする。ここの並んだ人たちもいつ日比谷公園の行列に並んでもおかしくない情勢になっている。
歩いて、わずか5分のところで繰り広げられていた対照的な行列にショックを受けてしまった。

明日は派遣村の終了する日。政府と都は実行委員会の要請でようやく、廃校の学校や区の施設などを緊急避難用として500人分を確保し、食と住を保障すると表明した。しかし、これも、1週間だけ。今後も派遣斬りの人々の闘いは続く。一刻も早く国民が安心して仕事が出来て暮らせる社会を実現しなければ。その為の闘いはまだまだ続く。
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2009年01月02日

あけましておめでとうございます。

新しい年なのに、イスラエルはガザを侵略し、パレスチナの人々を殺し続けてい
る。国際社会は何をしているのか?もう殺されっぱななしはイヤです。
アメリカはイスラエルの手を縛れ。早く。

大晦日から通い続けている日比谷公園は昨日は夜行ったのですが、大晦日より人が多い。
炊き出しのカレーに長い行列が出来ていた。明日は我が身と思っている全国の人々から支援物資が寄せられている。
寒風が吹きすさぶ中でここだけは暖かな気持ちになれる。弱者を思いやる気持ちにあふれている。

大不況の中で、ちっともお正月を祝う気持ちになれないけれど、希望は持たなきゃ生きていけないね。

「分断から連帯の時代へ」を今年のスローガンにしてゆきたい。
年賀状に使った写真はアフガニスタン・カブール、夕方水汲みに来た姉妹です。
年賀状が届かなかった皆さんはこの写真でご容赦を。

--
森住 卓
Takashi Morizumi
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2008年12月31日

日比谷公園

今年も最後。除夜の鐘が鳴っています。
日比谷公園を散歩していたよちよち歩きの男の子。ホッ。
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